第17回
ご本人にとっての「今」はどこか
2022.09.29更新
こんにちは。
このところ、記憶のしくみについてご紹介していますが、前回は「誰もが自分の知っていることには自信をもって取り組め、知らないことは不安になる」ことについてお伝えしました。
介護をするときには、「相手が不安な気持ちにならないようにする」ことが一番大切です。
「不安にならないように、いろいろ伝えて安心してもらおう」と思いがちですが、一度にたくさんのことを伝えると、「情報過多」となってしまって、却って不安を引き起こしてしまいます。そのため、何かをお伝えするときには、「ひとつずつ伝える」ことが大切で、その例について前回ご紹介しました。
前回はもうひとつ、「ご本人がよく知っていて、安心できる話題を選ぶ」ことも提案しましたが、今回はその理由についてもう少し詳しくお伝えしようと思います。
人は、自分が安心できる場所に行きたいと思う本能があります。みなさまも、自分が心地よいと感じる場所として思い当たるところがいくつかおありだろうと思います。小さな子供だとお母さんやお父さんの膝の上かもしれませんし、大人では自分の部屋や、お気に入りのカフェや公園など、それぞれの方がそれぞれの心地よい場所をお持ちです。
「物理的な場所」だけでなく、わたしたちは自分の記憶においても「自分が安心できる場所」があります。とりわけ、認知の機能が低下して、記憶を留めておくことができなくなった方々にとって、不安になったときの「自分の記憶の中で安心できる場所」は、自分の身を守るためにもとても大切な場所です。「安心できる記憶の場所」は言い換えれば、「自分が自信をもって振る舞えていた記憶の場所」です。
人の人生の歴史は生まれてから今日まで、人生の年表として一本でつながっています。年表の順序に変更はありません。しかし、認知の機能が低下してくると、その年表のどこにご本人がいるのかについては、その時々で変動してきます。なぜなら、「自分がここにいると安心する」という場所を人が本能的に探し出して、そこに留まるからです。その場所は一カ所ではありません。認知症をお持ちの方にとっての「ご本人が安心できる記憶」は、いつも同じではなく、その日によって、またそのときの状況によって変わってきます。
たとえば、もう20年も前に退職しているのに「今日はこれから会議があるから、会社に行かなくちゃ」とお父さんがおっしゃるときに、「お父さん、会社は定年退職したでしょう! 何を言ってるの」と現在の事実をお伝えするのは、私たちにとってごく普通の反応です。しかし、お父さんはご自分が社会で活躍していた、とても自信のある時代を「今」と認識していらっしゃるときに、「違う! 間違っている!」と言われると、戸惑い、混乱します。
今日この文章を読んでくださっている方が、誰かに「何歳ですか?」と尋ねられて「46歳です」と自分の年齢を答えたとき、「違いますよ! あなたは92歳です」と言われたらどうでしょう。「え! 違うよ、92歳じゃないです。46歳です」と反論するのが普通です。しかし、そこで自分が92歳の人として周囲から扱われつづけたら、どんどん不安になっていくのと同じことです。
私たちが「現在」と認識している時間とは異なるところに「ご本人の今」があるな、と感じるときには、ご本人の人生の年表を思い浮かべて、その時間軸に沿って「ご本人の今」へ私たちも一緒に戻ることが、ご本人の不安を解消するためにとても役に立ちます。
会社に行く、子供を迎えに行く、幼なじみと遊ぶ、など、ご本人が語る「ご本人の今」には年表のその時代にたどりつくためのさまざまな手がかりがあります。
「ご本人の今」が、「私たちの今」でないことを理解し、「ご本人の今」に私たちが飛び込むことは、ご本人に対して嘘をついているのではありません。ご本人にとっての真実を私たちが受け止めるのです。
そのためには、ご本人の周囲にいる方々が、ご本人の人生(年表)をよく知っておくことが大切です。とくに、ご本人が安心できる出来事についてはその経緯も含めて理解していることが役に立ちます。
「最近、親が同じ昔話ばかりする」といったお話を、介護をしているご家族からよくお伺いします。何十回も聞いたよ、ちょっとうんざりする、という気持ちになってしまうこともあるかと思いますが、実はそれは宝の山です。同じ話をする、ということは、「そのことが人生において大きな意味を持つ出来事だった」ということにほかなりません。それこそが、「安心できる記憶の場所」なのです。
「そのときのことを詳しく話して」、と頼むと、ご本人はとてもうれしく、誇らしく詳細をお話しくださることと思います。それを書き留めておくことで、一緒に介護をしているご家族やケアの専門職と共有する、とても重要な資料が出来上がります。
話を聞くご家族にとっても、知らなかった家族の歴史を新たに知る機会にもなります。ぜひお試しください。