雨宿りの木

第31回

コミュニケーションを定量する

2024.01.26更新

 こんにちは。2012年にイヴ・ジネスト先生をお招きして日本で初めてのユマニチュードの講演会や、施設や病院でのケアの実践を行ったとき、現場でいつも困っているケアの状況を解決する手段があるのだ、と興味を寄せてくださったのは、介護や看護、医療の分野でケアを行っている専門職だけではありませんでした。「ユマニチュードって、面白いですね。どうしてこれが有効なのか、一緒に研究しませんか」と声をかけてくださったのは、情報学の専門家の方々でした。

 最初にそのお話を伺った時には、ケアの有効性について調べるために情報学をどのように利用するのかが私はよくわからなくて戸惑いました。まず初めに行ったのは、ケアの様子の映像を情報学的に分析することによってデータを蓄積する、ということでした。機会があるたびにケアの現場を訪れて、ケアの様子の映像撮影することが日常的になりました。ケアを受けている人の映像を撮影するには、もちろんご本人やご家族の方々の了解を得ることが大前提です。病院の倫理委員会にケアの映像評価に関する研究計画書を提出し、委員会で「なぜ映像が重要なのか」「どのように個人情報を保護するか」「ご本人に負担をかけない方法をどのように実践するか」「映像の管理はこのように厳重に行います」などの質疑応答を行い、2ヶ月ほどの時間をかけて審査が行われ、倫理委員会の承認を得ます。その後、ケアを受けるご本人やご家族に研究の意図や方法を説明し、同意書に署名をいただいて初めて撮影を行いました。

 ケアを行うために部屋を訪れるところから撮影は始めます。カメラが目立たないように、ご本人に意識されず、でも大切なご本人の表情や体の反応を逃さず撮影するには、慣れないうちはうまくいかないことがたくさんありました。私はそれまでビデオカメラを使ったことがなかったので、録音ボタンがちゃんと押されているかどうかがよくわからない、手ぶれがひどすぎて再生映像を見ると酔う、というような信じられないほど初歩的な失敗を重ねながら始めることになりましたが、だんだん良い角度、良いタイミングでの映像が撮れるようになりました。

 そもそも誰もが自分が仕事をしている姿を撮影されて、その内容について指摘される、というのはなかなか心穏やかではありません。しかし、その映像をご自分で見た時に「私ってこんなに患者さんを見ていないんだ。見ているつもりだったのに・・・」とか、「ずーっと黙って仕事してますね」とか、「あ、腕をつかんでいる」など、びっくりなさることが多く、またその行為がケアがうまくいかない原因となっていることに気がつくようになります。最初は「撮影は絶対嫌!」とおっしゃっていた方々が、次第に「そろそろ次の撮影をしてみたいのですが」とおっしゃるようになることもよくあります。施設全体でユマニチュードを導入している病院では、職員がチームを作って、自分のケアの映像を教材に同僚と語り合うプロジェクトを始めているところもあります。

 自分のケアを振り返ることに加えて、わたしたちは映像を客観的に分析する手法についての開発を行いました。映像の分析は、まず人海戦術から始めました。撮影した映像をジネスト先生を始めとする何人ものエキスパートが観察し、ユマニチュードの4つの柱のうち「見る」「話す」「触れる」がいつ行われているかの印(アノテーション)をつけます。「見る」といっても、この時の「見る」は単に顔の方を見ているのではなく、「相手の正面から確実なアイコンタクトを2秒以上とっている」などが条件です。「話す」については音声情報がケアの場において途切れずにあること、つまり黙々と無言で仕事をしていないことを評価します。「触れる」については相手のどこをどのように触れているか、について記録を行いました。エキスパートデータが揃ったところで、情報学部の学生さんたちがそれを学び、ケアの映像を見ながら「見る」「話す」「触れる」がいつ行われているか、を時間軸に沿って記述できるようになりました。流れる映像の下に、今どんなコミュニケーションが行われているかを「見る」「話す」「触れる」の時間に沿った棒グラフで表示するシステムを作りました。

 ケアは、ご本人のところにお伺いし、共に楽しい時間を過ごし、その場を去るまでの一連の物語です。その時間の流れに沿って「見る」「話す」「触れる」がどのように行われているか、とくに2つ以上の要素が重なっているかどうかを可視化できるこのシステムは、ケアの情報学的な評価の第一歩としてとてもわかりやすいものでした。大学生が数秒ごとに評価したアノテーションは、データが蓄積されてくると共に人工知能でも行えるように開発が進められました。撮影した映像をコンピュータに入力すると、人工知能がユマニチュードの観点からケアの評価を行う、という私たちの研究の第一歩が始まりました。

本田美和子

本田美和子
(ほんだ・みわこ)

国立病院機構東京医療センター総合内科医長/医療経営情報・高齢者ケア研究室長。1993年筑波大学医学専門学群卒業。内科医。国立東京第二病院にて初期研修後、亀田総合病院等を経て米国トマス・ジェファソン大学内科、コーネル大学老年医学科でトレーニングを受ける。その後、国立国際医療研究センター エイズ治療・研究開発センターを経て2011年より現職、高齢者・認知症患者のケアに関する研究に従事。2011年より『ユマニチュード』の研究・日本への浸透を担い、2019年7月一般社団法人日本ユマニチュード学会を設立、代表理事に就任。

※一般社団法人日本ユマニチュード学会は、フランス生まれのケア技法『ユマニチュード』の普及・浸透・学術研究と会員間の相互交流を通じ、誰もが自律できる社会の実現を目指して様々な活動を行っています。会員としてご一緒に活動いただける方、会の趣旨に賛同してのご寄附など、随時募集しております。詳しくは、ウェブサイトをご覧ください。

おすすめの記事

編集部が厳選した、今オススメの記事をご紹介!!

  • 生まれたて! 新生の「ちゃぶ台」をご紹介します

    生まれたて! 新生の「ちゃぶ台」をご紹介します

    ミシマガ編集部

    10月24日発売の『ちゃぶ台13』の実物ができあがり、手に取った瞬間、雑誌の内側から真新しい光のようなものがじんわり漏れ出てくるのを感じたのでした。それもそのはず。今回のちゃぶ台では、いろいろと新しいことが起こっているのです!

  • 『tupera tuperaのアイデアポケット』発刊のお知らせ

    『tupera tuperaのアイデアポケット』発刊のお知らせ

    ミシマガ編集部

    10月の新刊2冊が全国の本屋さんで発売となりました。1冊は『ちゃぶ台13』。そしてもう1冊が本日ご紹介する、『tupera tuperaのアイデアポケット』です。これまでに50冊近くの絵本を発表してきたtupera tuperaによる、初の読みもの。ぜひ手にとっていただきたいです。

  • 「地獄の木」とメガネの妖怪爺

    「地獄の木」とメガネの妖怪爺

    後藤正文

    本日から、後藤正文さんの「凍った脳みそ リターンズ」がスタートします!「コールド・ブレイン・スタジオ」という自身の音楽スタジオづくりを描いたエッセイ『凍った脳みそ』から、6年。後藤さんは今、「共有地」としての新しいスタジオづくりに取り組みはじめました。その模様を、ゴッチのあの文体で綴る、新作連載がここにはじまります。

  • 職場体験の生徒たちがミシマ社の本をおすすめしてくれました!

    職場体験の生徒たちがミシマ社の本をおすすめしてくれました!

    ミシマガ編集部

    こんにちは! ミシマ社自由が丘オフィスのスガです。すっかり寒くなってきましたね。自由が丘オフィスは、庭の柿の実を狙うネズミたちがドタバタ暗躍しています・・・。そんな自由が丘オフィスに先日、近所の中学生が職場体験に来てくれました!

この記事のバックナンバー

10月30日
第37回 社会基盤としてのユマニチュード 本田美和子
08月28日
第36回 ユマニチュードを人工知能・拡張現実を使って学ぶ 本田美和子
07月30日
第35回 正しいレベルのケア 本田美和子
05月29日
第34回 ケアがうまくいかないとき 本田美和子
04月28日
第33回 慶應義塾大学病院が取り組むユマニチュード 本田美和子
02月28日
第32回 働く人の体を守るために生まれた技術 本田美和子
01月26日
第31回 コミュニケーションを定量する 本田美和子
12月26日
第30回 救急隊が実践するユマニチュード 本田美和子
11月29日
第29回 ユマニチュードの5原則と生活労働憲章 本田美和子
10月30日
第28回 ノックはなぜ必要か 本田美和子
09月28日
第27回 ユマニチュードの理念が実現する場を作るために ~ユマニチュード認証制度と富山県立大学の取り組み~ 本田美和子
08月29日
第26回 福岡市とユマニチュード 本田美和子
07月26日
第25回 ケアの実践・暑いとき 本田美和子
06月28日
第24回 ケアの実践・入浴 本田美和子
05月27日
第23回 ケアの実践・返事がなく意思の疎通がとれないと感じる相手とのコミュニケーション 2 本田美和子
04月27日
第22回 ケアの実践・返事がなく意思の疎通がとれないと感じる相手とのコミュニケーション 1 本田美和子
03月28日
第21回 ケアの実践・ご本人に安心を届ける技術 本田美和子
02月27日
第20回 ケアの実践・食事 本田美和子
01月30日
第19回 ケアの実践・歩行訓練に誘うとき 本田美和子
11月28日
第18回 どんな記憶が残りやすいのか 本田美和子
09月29日
第17回 ご本人にとっての「今」はどこか 本田美和子
08月29日
第16回 記憶の仕組みをつかって、相手の不安を取り除く 本田美和子
07月25日
第15回 記憶の仕組みを理解する(2) 本田美和子
06月29日
第14回 記憶の仕組みを理解する 本田美和子
05月30日
第13回 物語をつむぐケア 本田美和子
04月28日
第12回 マルチモーダル・コミュニケーション 本田美和子
03月29日
第11回 立つことがもたらすもの 本田美和子
02月28日
第10回 相手と良い関係を結ぶための触れ方 本田美和子
01月30日
第9回 相手と良い関係を結ぶための話し方 本田美和子
12月27日
第8回 相手と良い関係を結ぶための見方 本田美和子
11月29日
第7回 「あなたのことを大切に思っています」と伝えるための手段 本田美和子
10月29日
第6回 「人」らしさとは何か 本田美和子
09月29日
第5回 「ケアをする人」の定義 本田美和子
08月29日
第4回 ユマニチュード誕生の原体験 本田美和子
07月29日
第3回 ユマニチュードを学びにフランスへ 本田美和子
06月24日
第2回 医療を相手に受け取ってもらうための新しい一手 本田美和子
05月25日
第1回 自分を守る 本田美和子
ページトップへ