雨宿りの木

第34回

ケアがうまくいかないとき

2024.05.29更新

 こんにちは。ユマニチュードについてご質問を受ける時、よくお尋ねいただくのは「授業や講演、テレビなどで紹介されている事例は、すごくうまくいった奇特な例なのではないでしょうか。ユマニチュードがうまくいかないこともあるのではありませんか?」ということです。

 自分が行おうと思っていたケアを受け入れてもらえないことが一度もない、という方はいらっしゃらないのではないかと思います。ユマニチュードを実践する場合も、それは例外ではありません。そもそも、ユマニチュードは、イヴ・ジネスト先生とロゼット・マレスコッティ先生が、医療や介護の現場に赴き、その病院や施設でケアに困っている方々に対して、そこで働いている看護師さんや介護士さんと一緒にケアを行うことから始まりました。二人はそこでたくさんの失敗を重ねました。その失敗を通じて、「同じ状況であっても、こうするとうまくいかないが、こうすればうまくいく」という経験が蓄積されていきました。たとえば、「相手の目を見ないでケアを始めるとうまくいかないが、しっかり瞳を捉え続けるとうまくいく」ことであったり、「相手に立ってもらうための介助をする時、手首を掴むと拒絶されるが、自分が両手を差し伸べると、自然に相手が自分の手を載せてくれて立つ動作が生まれる」ことであったり、「いきなり近づいて仕事の話をすると断られるが、最初の一言は絶対に仕事の話をしないと同意してくれることが多い」など、今、ユマニチュードの基本として体系化されている技術はすべて、数々の失敗の中から生まれたものです。

 今私たちが学んでいるユマニチュードの哲学と技術は、二人が46年間毎日経験してきた失敗から誕生したものなのです。しかし、その一方で、私たちがユマニチュードを実践するときに、完全敗北、と感じてしまうような完璧な失敗があるか、というと、それはあまりないなとも感じています。これはユマニチュードの正規の研修を受けた方々がよくおっしゃる感想でもあります。

 まず、学んだことを実践してみたら、いつもと違う反応を感じた、ということをおっしゃる方はとても多いです。また、ベッドサイドに一緒に赴いたインストラクターが、自分がこれまで注意を向けていなかったわずかな相手からのメッセージを受け取っていることを目の当たりすることで、「相手から、こんなにいろいろな返事が来ていたことに気づかなかった」とお話しになる方もいます。相手からの返事とは、言葉での返答だけでなく、うなずきであったり、まばたきであったり、筋肉の弛緩であったり、と言葉によらないものがたくさんあります。ユマニチュードを学ぶことでこの言葉によらないメッセージを受け取る私たちのセンサーがより鋭敏になっていくことを、トレーニングを受けている方々の変化を通じて私は感じています。

「あなたのことを大切に思っています」ということを「相手が理解できるやりかたで伝える」ユマニチュードを身につけることは、「あなたから受け取ったメッセージに、私は答えていますよ」という相手からのかすかなお返事を、しっかりと受け取る力を身につけることでもあります。この「返事を受け取る力」を身につけることで、困難だと考えられていたケアの際に、相手との関係をうまく結べるようになり、今までよりも少しケアがうまくいく可能性が高くなります。

 それともう一つ、とても大切だと私が思うのは、ケアがうまくいかなくなったときに、その理由を自分で説明できるようになる、ということです。これまで「闘いのような入浴だった」「口腔ケアができなかった」などと感じていたことが、「なぜそうなったのか」について分析できるようになります。

 たとえば、「ノックの音のお返事を待たなかったな」「近づく方向が反対の方がよかったな」「体を起こすときに手首をつかんでしまったな」「忘れた道具を途中で取りに行ったら関係が途切れるな。戻ったときには、また5つのステップの最初からやるべきだったな」というように、ケアがうまくいかなかった時の理由を言葉で説明できるようになります。お気づきのように、この理由には「人柄」とか「やる気」などは含まれていません。ケアがうまくいかなかったときには、ケアをする人に問題があるのではなく、その人が行うケアに「技術的な問題」があるのです。ですから、自分を責める必要はなく、自分の技術を磨いていけばそれで問題は解決していきます。

 ケアを職業とする方々が「この仕事は自分に向いていない」と感じて離職することが増えています。もちろん業種としての好き嫌いはあると思うのですが、もしこの分野に興味がある方であれば、そこに必要なことは「人柄」とか「やる気」ではなくて「技術」です。技術はどなたでも学ぶことができます。これは、ご自宅でご家族の介護をしていらっしゃる方々についても同じです。ユマニチュードの基礎はどなたでも学んで身につけることができます。書籍もありますし、家族向け専門職向けの研修もあります。ビデオ・オンデマンドで学ぶ教材もできました。

 ユマニチュードのケアを学んでみたい方がいらっしゃいましたら、どうぞご利用になってください。

本田美和子

本田美和子
(ほんだ・みわこ)

国立病院機構東京医療センター総合内科医長/医療経営情報・高齢者ケア研究室長。1993年筑波大学医学専門学群卒業。内科医。国立東京第二病院にて初期研修後、亀田総合病院等を経て米国トマス・ジェファソン大学内科、コーネル大学老年医学科でトレーニングを受ける。その後、国立国際医療研究センター エイズ治療・研究開発センターを経て2011年より現職、高齢者・認知症患者のケアに関する研究に従事。2011年より『ユマニチュード』の研究・日本への浸透を担い、2019年7月一般社団法人日本ユマニチュード学会を設立、代表理事に就任。

※一般社団法人日本ユマニチュード学会は、フランス生まれのケア技法『ユマニチュード』の普及・浸透・学術研究と会員間の相互交流を通じ、誰もが自律できる社会の実現を目指して様々な活動を行っています。会員としてご一緒に活動いただける方、会の趣旨に賛同してのご寄附など、随時募集しております。詳しくは、ウェブサイトをご覧ください。

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