雨宿りの木

第35回

正しいレベルのケア

2024.07.30更新

 こんにちは。

 ユマニチュードでは「ケアをする人は何者か?」ということを常に考えます。というのは、「健康への不安や問題を抱える人に対して、次のことを行う職業人である」と決めているからです。「次のこと」とは、「(1)健康の回復を目指す、(2)それが難しい時には現在の機能を保つ、(3)もしそのどちらも難しい場合には最期までそばに寄り添う」ことです。

 もう少し具体的に説明すると、

「健康の回復を目指す」とは、私が肺炎になって病院に入院し、治療を受けて元気になることを目指している状態です。このとき、私が元々の健康の状態に戻るために医師や看護師などの専門職がケアを行います。

「現在の機能を保つ」という場合は、たとえば私が脳梗塞になって右半身に麻痺がでて歩くことができなくなった状態です。ベッドに寝たままでは私の動く力がどんどん失われてしまいます。そこで私はリハビリテーションを受けて、現在の力を少なくとも維持しようと試みます。ここでは私が受けるケアには2つのゴールがあります。ひとつは麻痺してしまった右半身の力を取り戻す、つまり「私の健康の回復を目指す」ことで、もうひとつは麻痺がない左半身の力を失わないように専門職が「現在の機能を保つ」ためにケアをすることです。私のケアを行う専門職は、このゴールを目指して知識と技術を使ったケアを行います。

「最期まで寄り添う」とは、たとえば私に末期のがんが見つかって、もう積極的な治療はできない状態です。私は手術や抗がん剤で健康の回復を目指すことはできず、またがんは進行していくので、現在の機能を保つこともできません。私に必要なことは、自分に残された時間を過ごすことで、そのために、ケアを行う専門職は私の最期まで寄り添うケアを選択します。

 ヘルスケアの分野で働く人はだれもが、自分の仕事の対象となっている人に対して、この「健康の回復を目指す」「現在の機能を保つ」「最期まで寄り添う」の3つのどれかをゴールに設定して仕事をしていると考えていると思います。でも、ここにケアをする人が陥りやすい落とし穴があるのです。

 肺炎の治療のために入院している私の担当の看護師さんが「入院中は、私が何でもして差し上げるので、何もしなくていいですよ」と労ってくれれば、「なんて優しい看護師さんなんだ」と私は思い、ベッドから一歩も出ることなく、毎日ずっと寝たままで過ごすことができます。しかしながら、その間に寝たままでいることで私は1日あたり2-5%の筋力を失っていきます。2週間ほど入院している間に、私は歩く力を失ってしまうかもしれません。つまり、この看護師さんが優しさから「私が何でもして差し上げるので、何もしなくていいですよ」というケアを行った結果、私は自分の健康を失ってしまうのです。ここには「健康の回復を目指す」「現在の機能を保つ」「最期まで寄り添う」の3つのゴールのいずれも存在せず、「そんなつもりはなかったのに、結果的に相手の健康を害してしまう」ケアが行われてしまっています。

 ユマニチュードの「ケアをする人は何者か?」という問いには、冒頭に紹介した定義に加えて「相手の健康を害さない専門職である」と答えることができます。

 自分が今行っているケアが、「健康の回復を目指す」「現在の機能を保つ」「最期まで寄り添う」のどれにあたるのか、そして「自分のケアが相手に害を与えていないか」を考えながらケアの内容を選択することは、簡単にできそうですが、実はなかなか難しいです。たとえば、歩くことができるとわかっている患者さんや入居者の方々に対して、ケアをする側の都合で、車椅子での移動をすることはよくあります。その理由は、その方が働く人にとって効率的である、と考えての選択であったり、「いつもそうしているから」という習慣による選択であったりします。しかし、歩く力がある人に対して車椅子を使ったケアを行うことは、その方が持っている「歩く力」を、ケアをする人が奪っていることになります。しかもこの問題が難しいのは、ケアを行っている人がそれについて無自覚であることが圧倒的に多いことです。私もそうでした。

「ケアをする人は何者か?」と考える時、相手の健康状態を「健康の回復を目指す」「現在の機能を保つ」「最期まで寄り添う」のどれにあたるのか考え、決して相手に害となることを行わない人である、という定義は、ケアを受けるかたの年齢や状況に関係ありません。誰かにケアを行う機会がある時に、少し考えてみていただけたらと思います。

本田美和子

本田美和子
(ほんだ・みわこ)

国立病院機構東京医療センター総合内科医長/医療経営情報・高齢者ケア研究室長。1993年筑波大学医学専門学群卒業。内科医。国立東京第二病院にて初期研修後、亀田総合病院等を経て米国トマス・ジェファソン大学内科、コーネル大学老年医学科でトレーニングを受ける。その後、国立国際医療研究センター エイズ治療・研究開発センターを経て2011年より現職、高齢者・認知症患者のケアに関する研究に従事。2011年より『ユマニチュード』の研究・日本への浸透を担い、2019年7月一般社団法人日本ユマニチュード学会を設立、代表理事に就任。

※一般社団法人日本ユマニチュード学会は、フランス生まれのケア技法『ユマニチュード』の普及・浸透・学術研究と会員間の相互交流を通じ、誰もが自律できる社会の実現を目指して様々な活動を行っています。会員としてご一緒に活動いただける方、会の趣旨に賛同してのご寄附など、随時募集しております。詳しくは、ウェブサイトをご覧ください。

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