感じる坊さん。感じる坊さん。

第7回

アンドレ・アガシと河合隼雄とチャーリーブラウンが好きだった

2018.06.07更新

長女が小学校に入学する

 長女が小学校に入学した。買ったランドセルは黒だった。その報を受けた時には、少し驚いた。しかし現物をみてみるとネコの装飾があしらわれていたり、見えないところに薄い紫色が使われていたり、「女の子仕様の黒いランドセル」だった。入学したのは、僕が栄福寺に住み始めた小学4年生の頃に通っていた学校と同じ小学校。

 同級生の女の子は7人で、僕が通っていた頃よりも、かなり少なくなっているので、坊さんである僕も、ひとりの父親でもあるので「ちゃんと友達できるかな・・・」と入学当初は、自分のこと以上に心配にソワソワしていた。

 そんな時に、テレビ番組で菅野仁さんの『友だち幻想』(ちくまプリマー新書)という2008年に出版された本を又吉直樹さんが紹介されているのをみて、なんとなくピンときて注文した。ネット書店での買い物でありがちなことであるが、同じ著者の『18分集中法』(ちくま新書)という本も気になり(僕は集中力にかなり問題があるので)、一緒に購入してみた。

 テレビでは気づかなかったけれど、著者の菅野さんは、1960年生まれの大学教授で、2016年に病気で若くして亡くなられていることを知った。僕は何となくこの菅野さんが気になり、インターネットを検索していると、菅野さんの生前のtwitterを見つけた。最後の書き込みは、奥様であり9月29日に彼が亡くなったことの報告が記してあった。

 さかのぼりながら、少し読み進めていると、

Hitoshi K. @taka_3390・2016年9月7日
きちんとした座禅を組みたいのに、背骨からの線を10分でも保てるほどに体全体の体力が戻っていない。藤田一照老師の『現代座禅講義』を読んでいると、本気で座禅したくなるよなぁ。

 という亡くなる直前の書き込みを発見して、しばらく動くことができなかった。藤田一照師は、僕もとても好きな僧侶で世界や日本の様々な場所で仏教や坐禅を指導されている方だが、僕とは同じ愛媛県出身ということもあり、栄福寺での対話イベントで話して頂いたり、東京や関東の道場まで行って仏教や坐禅の指導を受けたことが何度かある。

 亡くなる直前の方が、自分の存じ上げている僧侶の名前を挙げて、「もっと仏教の修行をしてみたかった」と声を出されているのを目の当たりにすると、今、自分が生命を保持して動くことができて、考えることができる。ということが、当たり前のことではないのだな、と深く心を動かされた。

 それは、なにも仏教についての話ばかりでなく、「自分が生命を持っている、とても限定的な期間に何をするか」ということは、もっと腰を落ち着けてシリアスに考える、感じる場面があってもいいかもしれない。

松山の中高一貫校での講演にて

 先日、松山にある私立の中高一貫校に呼ばれて全校生徒の前で講演をしてきた(主催者がつけてくれた演題は「お坊さんと人生の話をしよう」だった)。その時に、「年を重ねてくると、嫌いな人もずいぶん増えてきますが(ジョークのつもりで言ったが、あまり受けなかった)、自分の好きな人や尊敬する人も増えてきます。それは素晴らしいことですが、気づいたら"尊敬する人が言っているから"と自分で考えることをさぼることがあります。なので、できれば人に聞く前に、自分でも考えたほうがいいと思うよ」という話をした記憶がある。そんなことを話した後なので、ふと自分の「好きな人」について考える機会があった。

 僕はその時、「好きな人」「尊敬する人」の注意点のようなものを話したのだけど、「好きだった人」が、今の自分に突きつけるものもあると思う。

 考えてみると僕は、アンドレ・アガシと河合隼雄が好きだった。アンドレと聞くと、「アンドレ・ザ・ジャイアント」という巨大なプロレスラーが思い浮かぶ人も多いと思うが(そうでもないのかな)、アガシはアメリカ人のテニスプレイヤーだ。

 僕は中学生から軟式テニスをやっていて、アガシは硬式テニスのプロ選手だったから、同じ競技ではないのだけど、とにかくアガシが好きだった。僕の記憶違いやらもあると思うけれど、あえて調べずに当時の記憶のまま書くと、金髪の長髪にど派手なユニフォームを着て、観客が熱狂する姿は、ほとんどロックスターだった。その存在感から醸し出される織田信長ばりの「うつけ者」感、「トリックスター」を自ら演じる姿がなんとも格好良かった。そしてちゃんと強かった。彼女は有名な女優で、髪が薄くなるとスキンヘッドにしていた。そこには特に憧れなかったが、結果的には僕もスキンヘッドになった。

 坊さんである僕は、今回のような学校で人生を語ったり、NHKで人生相談をしたり、市会議員の皆さんの勉強会で、講話をするような仕事も多くなってきた。それはたぶん、悪いことじゃない。

 でも、「アンドレ・アガシを好きなお前を忘れるなよ」とふと中高生の世代を前にした後に、僕は、ちょっと感傷に耽っていた。

 異形の姿で世に現れ、時代の同調圧力や常識に舌を出し、新たな価値観を提示する。お坊さんには、きっと「安心感」とはちょっと距離を置いた、そんな側面も必要だ、なんてことを感じていた。

今、聞こえてくる河合隼雄さんの言葉

 河合隼雄さんについては今でも著作等を愛読されている方も多いだろう。すでに故人であるが、ユング派の心理療法家でありながら、文化庁長官も務められ、仏教に関する著作も多い。

 僕は、高野山大学の卒業論文で、『密教と現代生活』というテーマで執筆したのだが、21才の僕にとって、その「現代」という時代が何なのか、まったくとらえどころがなかった。その時に触れたのが、作家・村上春樹さんと河合隼雄さんの対話集であった。

 その後、河合さんの著作や対談を繰り返し読むようになり、生前、四天王寺で行われた講演を聴くことができたのは、貴重な経験だ(「私のスーパーバイザーは、スーパードライです」という冗談が今も耳に残っている)。

 今その河合隼雄さんのことをよく思い出す。どんな風に思い出すかというと、

「河合さんなら、①昔はよかった。②"いいことをしなさい"とは絶対に言わないだろう」

 という文脈で思い出すことが多い。これも油断するとついつい坊さんである僕が言いそうになってしまうことだ。言ってもいいのだが、そこにかじり付いていると、ロクな事がないぞ、と、河合隼雄を好きな僕が自分にいつも釘を刺す。

 河合さんは、丁寧に冗談を交えて、「昔は良さそうに見えるけれど、駄目な所もずいぶんあった」と結構言いにくいことを言い続けていた。そういう目線をずっと持っておきたい。

ドイツのメディアとの問答

 外国人のお遍路さんが増えてきたこともあり、ドイツのメディアから(日本語で)メール取材があり、今日、その返信を書いていた。返信は「長ければ長いほど有り難い」というこもとあり(このあたりは日本と対極的ですね)、1時間ぐらいで書くつもりが、気がつくと3時間近くメールを書いていた。

 その中で、こんな質問があった。

2018年から新に遍路をはじめたと伺いました。遍路を始めるにあたり、マイルールを決めたそうですが、その中で「出来るだけ怒らない」ということがありました。日常生活でも怒りが世界に悪い影響を与えることが多いと思いますが、「怒らない」の目標を達成するためにはどうしたら良いのでしょうか?

 僕は自然に、こんな答えをしていた。

大きな声では言えませんが、私は結構、怒りっぽいのです。ですので、自分自身への反省として、そのようなルールを自分に課しました。

わたしの「怒り」は反省すべき、小さな怒りですが、怒りについて、こんな話をしてみたいと思います。

仏教には様々なバリエーションがあり、空海の修行した教えは、仏教の歴史の中でも密教と言われる後期の仏教です。その教えの特徴として、「怒り」の表現が発生することがあります。たとえばこの時代には怒りの表現を持った仏像も登場します。

つまり単純に「怒り」を否定しないのです。少し哲学的な話になりますが、仏教がその思想において一見、否定しているように見える「エゴ(自我)」もそうです。「怒り」にしても「自我」にしても、様々な階層があると考えています。

空海の密教では、持つのであれば〈大きな〉(それは例えば「微細」とか「巨大」などとも言い換えられるでしょう)「怒り」や「自我」を持ちなさい、と言うのです。空海はそれを「大我(たいが)」と呼んだりします。

その〈大〉は〈小〉に対する〈大〉ではなくて、〈相対的ではなく、絶対的な大〉です。なので、怒りを消そうとするよりも、もっとスケールの大きな絶対的な〈怒り〉〈エゴ〉に着目するというのもひとつの方法かと思います。

もう少し現実的な話をすると、私自身は小さな害のある〈怒り〉を「エネルギーの流れが行き場を失っている」ように捉えています。ですので、怒りを消すよりも、自分の持っているエネルギーの行き場を見つけてあげる、心と身体のエネルギーの交通を循環させるような方法がいいと思っています。その方法のひとつの可能性が四国遍路にもあると思いますよ

 そんな話をしながら、僕は、どこかでアンドレ・アガシと河合隼雄のことを考えていた。

 もうひとり、忘れられない人がいた。「スヌーピー(ピーナッツ)」に登場するチャリーブラウンだ。僕は彼の欠点が特に好きだ。弱気で繊細すぎて、よせばいいのに言わなくていいことでは、よく舌が回る。

 彼のことを思い出しながら僕は、「意識高い系のチャーリーブラウンなんていやだな」となぜかスマートフォンのメモ帳アプリに書き綴っていた。

 アンドレ・アガシと河合隼雄とチャーリーブラン、そんな人たちのことを思い浮かべながら、自分の生活と仏教の未来の1ページを覗いてみたい。

白川 密成

白川 密成
(しらかわ・みっせい)

1977年愛媛県生まれ。栄福寺住職。高校を卒業後、高野山大学密教学科に入学。大学卒業後、地元の書店で社員として働くが、2001年、先代住職の遷化をうけて、24歳で四国八十八ヶ所霊場第五十七番札所、栄福寺の住職に就任する。同年、『ほぼ日刊イトイ新聞』において、「坊さん——57番札所24歳住職7転8起の日々——」の連載を開始し2008年まで231回の文章を寄稿。2010年、『ボクは坊さん。』(ミシマ社)を出版。2015年10月映画化。他の著書に『空海さんに聞いてみよう。』(徳間書店)、『坊さん、父になる。』がある。

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