第14回
空海の4つのヒント 処・法・師・資
2019.01.13更新
今年も「お年始」のお経で1年がスタート
今年も新しい1年がはじまった。
僕が住職を務めている栄福寺では、1月2日、3日、4日と檀家さんの家でお経を唱えてまわる「お年始(ねんし)」というお参りがある。日によっては、1日に訪問する家が多くて昼に寺に帰ることができず、食事を出先で済ませることもある。今年は、3日にチェーン店のうどん屋さんのカウンターで昼ご飯を食べることになった。すると僕の隣に座ったおじいさんが、席に着いた途端、
「おお、坊さんの隣か! 正月から縁起がいいや」
と僕を少し見て笑顔でつぶやいた。
僕たち坊さんは、法衣で病院に行かないようにする人がいたり(病人の死を連想させないため)、どちらかといえば「縁起でもない」人として見られることも少なくないので、このおじいさんの「縁起がいいや」という何気ない言葉は、なんとなくうれしかった。
7歳の長女も、僕がくだらない冗談を連発したり(よくする)、踊ったりしていると(たまに踊る)、「もう、お父さん。お坊さんなんだからお調子しないでよ!」とよく不満を述べる。子供から大人まで、お坊さんに対するパブリックイメージというのは、曖昧なようで強固な部分もあるようだ。
今年は栄福寺にとって檀家さんや信者さんに寄進をお願いして事業(耐震工事)をする年なので、この「お年始」のお宅訪問の際に、寄付のお金を用意してくださっていることも多かった。普段から楽ではない生活や病気、家族との死別のことを世間話ですることも多いので、寄付を頂くことはもちろん有り難いことでありながら、どこか「心苦しい」ことでもある。
でも夕食の時に、尼僧でもある妻に「やはりね、なんか申し訳ないよ」という気持ちを話した後に、すぐに出てきた言葉は、「でも寄進のお金は、考えてみると僕が使うのではないんだよな。全額、お堂を直すのに使う。そして、お堂もお寺も僕のものではない。だから僕たちの役割って、本当にいろんな意味で〝つなぐ〟立場なのかもね」と話した。
そんな中で、これからの住職としての自分の役割は、多くの人たちが「自分のお寺」と自然に感じることのできる場所を少しずつでも作っていくことにあるような気がした。どんなことができるだろうか・・・。このままでいい部分と、このままでは絶対に駄目な部分が両方あるような気がする。
お遍路さんが減ってきている
今まであまりこういう話はしないようにしてきたのだけど、お遍路さんのお参りの数が目に見えて減ってきている。欧米を中心とした海外からのお参りだけは、増えているけれど、全体から見ればまだわずかだ。栄福寺のような四国遍路の寺は、お遍路さんが納経料として払われる数百円のお布施で経済的に成り立っているので、お参りの人数が減ってくると、なかなか厳しい財政状況になる。
僕が住職を継いでからの数年は、幸いお参りの方がとても多くてお寺としては経済的に困ることはあまりなかったのだけど、ここに来て難しい雰囲気が漂い始めている。住職は多くの場合、宗教法人の代表役員でもあるので、今まではそこまで考えることのなかった「組織の経済的な経営」も考えるべき時がとっくに来ているのは明らかだ。
仲のいいタオル会社の友達が、お寺に来たので聞いてみた。
「ねぇ、経営ってどうやってやるの?」
彼が引き継いだ会社の借金をすべて返済して、堅実に利益を出している話はたまに聞いている。
「密成さん、経営は簡単よ。支出を減らして、収入を増やすんだよ」
こともなげに言い放つ彼を見つめて、とりあえず、
「ありがとう。たまにはいいこと言うね」と返してみたが、今ひとつピンと来ない。
しかし、誤解を恐れずに言えば、なぜかこの窮地から、お寺の新しいコミュニティーも、自分達にとっての大きな意味での「学び」もやって来るような予感がしている。理由はよくわからない。
「一味ではなく五味を揃える」
やはりこういう時は、弘法大師の言葉を開いてみようと、空海が京都で開いた学校である綜芸種智院(しゅげいしゅちいん)の式(規則)を開いてみることにした。空海は僧侶であると同時に、日本ではじめて民衆の子弟にも開かれた学校を作った人物でもある。このことは宗教者としての活躍に遜色がないほどの大きな意味を持っていると思う。空海は教育者でもあったのだ。
「道を学ぶことは当に衣食の資に在るべし」(弘法大師 空海『続遍照発揮性霊集補闕鈔』巻第十、「綜芸種智院の式」)
【現代語訳 学道のためには衣食の資(たすけ)も必要である】
大師も多くの人の中から「師」を得ることの大事さと共に、「食べてゆくこと」が道を学ぶうえで必要なことだと書かれている。当時でも今でも「食べられること」は当たり前のことではないから、そこをまず確保することは、大切なことだ。
「是の故に斯の四縁を設て郡生を利済す」(弘法大師 空海『続遍照発揮性霊集補闕鈔』巻第十、「綜芸種智院の式」)
【現代語訳 故にこの、処・法・師・資の四つの条件を設けて多くの人を利益し救済しようとするのである】
空海は学校を開くうえで処(場所)、法(教え)、師とともに、衣食に満足する「資」をコンセプトに加えた。ここに「資」が入っていることも今の僕にとっては、ずしんと響くことだけど、むしろ大切なことは、なにかひとつを大切にするのではなく、ひとつの道を成立させるために「一、場所は整っているか」「二、教えを学んでいるか」「三、それを教えてくれる師はいるのか」「四、きちんと衣食を与えているか(得ることが出来ているか)」という「空海のチェック項目」のように見ても頷ける。
考えてみるとお寺にとっても、僕にとっても「資」が単独であるわけではない。場所には手をつけるところがまだあるし、「教え」に近づく修行も勉強も足りていない。有り難いことに師に恵まれているが、自分の弟子としての自分の準備は満足ではなく、衣食のための経営のこともあまり深くは考えてこなかった。
「未だ有らじ、一味美膳を作し、片音妙曲を調ぶる者は」(弘法大師 空海『続遍照発揮性霊集補闕鈔』巻第十、「綜芸種智院の式」)
【現代語訳 五味のうちの一味のみでご馳走ができたり、五音のうちの一音のみで妙音を奏でるなど、いまだかつてそのためしはあるまい】
学びも組織もひとつの味では完成せず、甘い、塩辛い、酸っぱい、辛い、苦い(五味)の要素が揃って動き始めるということだ。
僕はこの考え方(ある単独の要素ではなく、総合的な集まりを目指す)に、お寺というチームが「やっていく」ための肝要が含まれていると感じる。そろばんを叩くこと、戦略を立てることの大事さをふまえた上で「場所」「教え」「師」が揃っているだろうか? そのことをもう一度、がんばってみたい。そのうえで「資」と向き合えば、自然と人が集まり、経済的にもいい方向に行く可能性があがるのではないだろうか。それで無理だったら仕方がない。
受け入れてはいけないもの
しかし、そのような中で「すべてを受け入れる」必要はないと感じている。「本当に大事なもの」と出会うために大きく手を広げて受け入れると共に、もうひとつ大事なことがあるはずだからだ。それは僕たちが「受け入れてはいけないもの」を断つことだ。それはつまり何かをやらないこと。今、「やるべきじゃないこと」に対して、出来る限り自覚的であること。それを大切にしたい。
空海の人生の中にも大きな「受け入れがたいもの」があったと思う。それは例えば、面授ではなく文献のみで仏教を学ぶことや、都にいて雑務に追われ修行ができないことであっただろう。僕たちにも人それぞれ「受け入れがたいもの」があると思う。それをもしかたら、「今、受け入れているのではないか」ということも考えてみたい。
そのうえで、自分たちが、はじめて庶民が学べる学校を作った人物の弟子であることを思い出したい。空海は言う。
「大唐の城には、坊坊に闇塾(りょしゅく)を置いて普く童稚(とうち)を教へ、県県に郷学を開いて広く青衿(せいきん)を導く。是の故に才子城に満ち、藝士国に盈(み)てり。今是の華城には但(ただ)一つの大学のみ有つて闇塾有ること無し。是の故に貧賤の子弟、津(しん)を問ふに所無く、遠方の好事、往還すること疲(つかれ)多し。今此の一院を建てて普く噇曚(どうぼう)を済(すく)はん」(弘法大師 空海『続遍照発揮性霊集補闕鈔』巻第十、「綜芸種智院の式」)
【現代語訳 大唐の都城では、各坊ごとに勉学の塾があって、広く幼年者を教えており、各県ごとに郷学が開設されていて、広く青少年を指導している。だから才智ある者が城内に溢れており、六藝に秀でた士が国内に満ちている。ところが今日、この平安京には大学がただ一校あるのみで、勉学塾はまったく皆無である。このために、貧賤の子弟は知識を求めるてだてもなく、学問を好む遠方からの子弟は通学するにも疲労が甚だしい。今この一学院を建てあまねく学童の蒙を啓(ひら)こうと思うのである。】
「今、ここにないもの」を作ることに、大師の弟子は恐れることはなかった。
大師の処・法・師・資の4つのヒントと共にそのことを憶えておこう。