第2回
長男たかちゃん、大地に入園する
2023.03.01更新
大地入園の通過儀礼? ほしぞらキャンプ!
東京に帰り、僕はお世話になっている編集者の方を恵比寿に訪ねた。小布施への引越しをする報告と、小布施の町内の園に息子を預けるか、大地に預けるか迷っていることを伝えた。大地に通うには、小布施から車で20分から25分の時間がかかる。毎日共働きの家庭にとっては、簡単に捻出できる時間ではない。町内の園であれば車で5分だ。絶対にそちらのほうが便利である。僕は、大地に強く惹かれつつも、毎日の生活を考えると踏み切れない部分があった。しかし、編集者の方はきっぱりといった。
「そりゃあ、一択でしょう!」
「・・・はは! ですよねえ!!!」
当たり前だ。せっかく長野に引っ越すのだ。東京ではありえなかったおもしろそうな選択肢があって、素通りできるはずがない。
妻のゆかこは、毎日のお弁当や、山遊びの代償ともいえる泥だらけの服の洗濯などに対して不安な表情を隠さなかったが、「全部、俺が担当するから!」と勢い任せに僕は言い放った。こうして僕たちは、長男たかちゃんを大地に通わせたい旨を小布施町教育委員会に伝えた。ちなみに、偶然、大地では年少さんの枠がひとりぶんだけ空いていた。
7月、仕事の引き継ぎや引越しの準備、友人らへの挨拶であっという間に引越しの日を迎えた。長野では車生活がスタートということで、地元の足立区の中古車屋さんで、走行距離8万キロのボクシーを約100万円で購入した。引越し屋さんが荷物を積み込み、そのトラックを、僕たちはボクシーで長野まで追いかけた。僕たちが引越したのは、暑い夏の日だった。
小布施町の僕の地域起こし協力隊としての仕事は、9月から本格始動ということで、8月は、子どもたちが小布施の新しい環境に慣れることがメインテーマだ。長男のたかちゃんは大地へ。次男のひろくんは町内の小規模保育園へ通うことになる。引越した日の週末、さっそく大地から催しものへのお誘いがきた。「ほしぞらキャンプ」があるという。どこかキャンプ場に行って開催するのかと、思った僕がバカだった。大地のフィールド自体がキャンプ場のようなものなのだ。ほしぞらキャンプは大地の敷地内で開催される。
「引越しの荷ほどきもままならない状況で、ほしぞらキャンプに出かけるの?」
妻のゆかこは不安そうだが、僕はワクワクを抑えきれずに、ついつい申し込みをしてしまった。しかし、妻の不安は的中する。ほしぞらキャンプに向かう車の中は、夫婦の険悪なムードで満ちていた。まず、キャンプの装備を準備するのに大変に手間取った。引越しの段ボールを散々に引っ掻き回さなければならなかった。そのせいで、僕たちは大幅に遅刻してしていた。時間に遅れていると、人は苛立つ。
さらにほしぞらキャンプの不穏な事前情報が僕たちを不安にさせていた。「基本的には夜空の下、寝袋で寝ます」という。「うん。野宿ね。それ」。僕たちはてっきり、テントか何かを借りられると思っていたのだ。僕たちの次男はまだ生後11ヶ月だった。「11ヶ月の赤子と、寝袋で野宿ってできるんでしょうか」。フツーに考えれば、できるわけがない。なおさら妻の不安は増し、不機嫌指数はマックスに達していた。「なんでこんな無謀なキャンプに、引越し早々、申し込んでしまったんだ!」僕の心には早くも後悔がよぎり、妻も同じことを感じているようだった。
そんなムードで大地に到着し、荷下ろしをする僕たち。すでに先着していた家族がそれぞれに時間を過ごしていた。野宿する予定のののはな文庫の前のスロープはなだらかに傾斜があって、シュラフをひいて星空を見ながら寝るにはなるほど最適だった。しかし、11ヶ月のベイビーが転がり落ちるにも十分な傾斜に思えた。こうして僕たちのほしぞらキャンプはスタートした。もう16時になっていた。
キャンプの参加者は、大地に通園している家族もあれば、東京や大阪など県外からの参加している家族もあった。ここで出会った工藤さんご一家は、大地に4月から息子のいおりくんが通っていた。たかちゃんと同じ年少で、ふたりはお互いもじもじしながらも一緒に遊びはじめた。
晩御飯は、芝生の上で、みんなでカレーを食べた。しかもなぜか南アジアの本格的なカレー形式で、本場さながらの「手づかみ」で食べるという。僕はバングラデシュでの暮らしを思い出しながら、たらふくたいらげた。夕暮れになり、暑さもだいぶやわらぎ、虫の声があたりから聞こえ始めると、ストレスモードだった僕たち夫婦のムードもだいぶ落ち着いてきた。
そして大地の名物である五右衛門風呂に家族で入ることに。32年間生きてきて、五右衛門風呂に入った記憶はない。家族ですっぽんぽんになる。威勢良く燃える薪の匂いがとても新鮮。掛け湯をすると、とても熱い。浮いている蓋の上から足を風呂の中に踏み入れて、体を入れると一気にお湯が溢れた。
「ああ〜!!! めっちゃ気持ちいい!!!」
風呂からは大地のリンゴ畑から夕暮れに輝く山々まで見渡せる。
「五右衛門風呂ってこんなに気持ちいいの?」
緑や土の匂いに、燃える薪の匂いがミックスされてなんだか最高のアロマになっている。子どもたちも、妻も気持ちよさそうに浸かっている。この瞬間、僕たちの夫婦の険悪なムードは一掃され、幸福感で満たされた。
午後8時には、寝袋に入って就寝となった。懸念だった次男ひろくんが転がり落ちるのではないかという問題。こちらは、妻のゆかこの寝袋にうまくひろくんが入り込むことでなんとかなりそうだ。真っ暗闇のなか、月明かりとヘッドランプを頼りに、芝生の上で寝る体勢をそれぞれの家族が整えた。税所家初の野宿体験だ。
青山園長の奥様、伸子さん(のんたん母さん)が、リンゴの収穫かごをベンチに、物語を語り始めた。「ねずみのすもう」のお話から。夜空を見上げながら、家族で寝袋に入り、よく通ったストーリーテラーの物語に耳を傾ける。なんだかとっても贅沢な寝入りの時間。僕はまたたくまに眠りに落ちた。
翌朝は5時半に、朝陽を見るために起こされた。みんなで火を囲み、コーヒーを片手に朝陽を見たようだ(僕は起きれなかった笑)。二日目は隣町の信濃町へ川遊びへ。いわさきちひろの別荘がある黒姫高原でも遊び、夜はみんなで軽トラックの後ろに乗って蛍を捕まえに。五右衛門風呂と星空のもとのお話会と贅沢な時間が続く。最終日の三日目は、ロング流しそうめん台で、トマトから、ブルーベリー、グミから素麺まで流す「そうめん大会」でキャンプは幕を閉じた。最後には、たかちゃんが、流しそうめん台の近くでカブトムシを捕獲し、東京から出てきた僕たちにとっては非日常満載の時間だった。
そう。通常なら、僕たちは、最高の経験をしたといって、「都会の我が家」へ帰るのだ。しかし、明日からもここが僕たちの「日常」になるのだ。なんとも想像の枠を超えているので、とにかく大地の入園の通過儀礼のひとつめを無事に過ごせたことを喜び、僕たちは家路についた。
夏の大地 慣らし保育がはじまる
8月2日、小布施町役場で、地域起こし協力隊のゼロカーボン推進員としての赴任の挨拶回りから1日がはじまった。町長や課長たちの集まる幹部会議で挨拶し、各部署へ。僕は小布施町が環境先端都市を目指すための脱炭素化を推進する事業の担当になった。
前職リクルートの上司からは「なんで環境がすでに良さそうな小布施町が、環境の事業に力をいれるんだろう」なんて質問された。たしかにその通りだ。小布施町は、「まちづくり」や「地方創生」の分野では日本でもフロントランナーとして知られる。町の中心の北斎館を拠点に、「街並み修景事業」がはじまったのは約30年前。それ以来、町歩きが楽しい町、癒される町を目指し、今では年間100万人が訪れる観光立町になっている。
そんな町おこしの成功事例として語られることもある小布施町が、気候変動の危機に直面したのは、2年前の台風だ。町を流れる千曲川の氾濫によって、100戸近くが浸水。この気候災害によって、町としてこれからの災害への防災対策に力を入れるのはもちろん、根源的な気候変動問題に対しても危機感を持って動き出さなければいけないというムードが一気に高まっていた。そのために、町として「環境グランドデザイン」なる行動指標を策定した。
僕の手持ちのプロジェクトとしては、小布施町での化石燃料の使用量を減らすために、森林資材を活用したバイオマスエネルギー資源の利用などが町内でできないか、検討・調査する案件などが寄せられた。本格始動は9月からだが、忙しくなりそうだ。
その後、たかちゃんを連れて大地へ。夏休みに入った大地では、希望者向けの休日保育期間がはじまっていた。夏の大地は、緑がまぶしい。今日のスタッフは、あおちゃんねえちゃんと、さおりさん。子どもたちは、なおちゃん、さとちゃんの姉妹と、うたちゃん、けいとくん、そしてたかちゃんの5人だ。朝の会では、大地のわらべうたの挨拶からはじまる。
「夏の大地〜みどりのはっぱがゆらゆらり〜。ころころころりん、きびだんご〜。クワガタおひるねいい気持ち〜。今日いちにち、しあわせな日でありますように」
「今日は、なおちゃん、さとちゃん、うたちゃん、けいとくん、たかちゃん、たかちゃんのパパと遊びます!」
午前中は、軽トラに切り倒した木の枝をみんなで運び込む作業を手伝った。同世代の子どもたちが、その体以上の枝をどんどん運んでいるのを見ると、たかちゃんも負けじと、枝を引きずりながら運び出した。大地では、このようなお手伝いも立派な遊びのようだ。積み込み終わると、軽トラの後ろにみんなで乗り込む。さおりさんの運転で、丘を下る。でこぼこ道の木々の下を、軽トラが駆け抜ける。荷台で風を感じる気持ち良さといったら。子どもたちは乗り方をきちんとわきまえていて、しっかりと両手でしがみつきながら、「わー!!! きゃー!!!」と楽しんでいる。志賀高原の山々を軽トラの荷台から眺めがら、丘の下の農家さんの庭へ。枝の積み下ろし作業が終わるころには、汗びっしょりお腹ペコペコ。大地に戻ってお弁当の時間だ。
「いただきますしてもいいですか」「いいですよ〜!」
野外で食べるお弁当の美味しいことといったら。かわいい子どもたちと、遠くの山を見渡しながら食べる幸せを噛み締める。食後にはあおちゃんねえちゃんが、農家さんからもらった大きなスイカを切ってくれる。これも甘くて幸せな気分でいっぱい。園舎の中で昼寝の時間。大きく開け放たれた窓から、気持ちのいい風が吹いてくる。あっという間に、眠る子どもたちの姿の可愛さといったら。僕もうとうとと眠りの渦へ。
僕は先月までリクルートでサラリーマンとして働いていた。八重洲の巨大なガラス張りのオフィスビル、重たい営業用の紙袋を手に食い込ませながら、同僚たちと総武線快速でお客さんのいる千葉に出撃していった日々。電車の中から、太陽の日差しや緑をうらやましく眺めながら、ノートパソコンを叩いていた。しかし、世界の違うところでは、こんなにも安らかな場も存在していた。ふとしたきっかけで境界を越えた僕からすると、あまりの環境の違いにびっくりだ。ウトウトしながら、園長のあおちゃんが保護者会で話していたことをふと思い出した。
「都会のお父さん、お母さんは働きすぎなんじゃないか。仕事はスキルさえあれば、あとからいくらでも取り返しがつく。しかし、子どもの小さい時の時間というのは取り返しがきかない。」
「60代以上の人たちに、人生で一番後悔していることはなにか、と聞いたら『もっと子どもとの時間を過ごせばよかった』という答えがとても多かったという。」
「退職金じゃ、子どもとの時間は買えないんだ。」
「共働きで、朝早くから夜遅くまで子どもを保育園に預けて働いている都会のお父さん、お母さんたちの話をきくと、そんなにお金が大事ですか? って聞きたくなります。」
つい先日まで、都会の保育園に預けまくっていた僕にとっては臓腑をグサリと刺されたような気持ちになった。朝の8時半から夕方の18時まで子どもを保育園に預けて、フルタイムで僕も妻も働いた。僕自身、9時間半も子どもに会えないのは寂しすぎるので、仕事を早めに切り上げて16時、17時頃に迎えに行ってしまうことはよくあった。しかし、同じクラスのお父さん、お母さんたちもほぼ同じようなワークスタイルだったから、なんの不思議にも思わなかった。
「そんなにお金が大事ですか?」
このセリフは地元の公園を散歩していたときに、スリランカ人のお父さんとふと立ち話をしたときにも、飛び出したセリフだった。スリランカ人のお父さんは1歳くらいの娘を抱っこしながら言った。「東京の人たちは、働くことに価値を置きすぎるのではないか。お金は生きるための重要な手段ですけど、それ自体が目的にはなり得ないですよね。でも、いまの東京での子育ては、いかに生活費を稼ぐかの比重が重すぎて、子どもとの時間を味わうというよりは、毎日を『まわす』というほうがしっくりきます」。
彼は力強い口調で言った。
「そんなにお金が大事ですか? 子どもとの時間は、それ自体が人生の最も贅沢な瞬間なはず。僕たちはその贅沢さを味わえるときに味わないと、一瞬で過ぎ去ってしまう」
あおちゃんも、スリランカ人のお父さんも同じことを言っていた。昼寝から起きて、お昼に食べきれなかったスイカをおやつに食べる。たかちゃんは果物大好きなので、いくらでも食べる。さらに、ひと遊びして帰路につく。帰り道にはラズベリーが生えていて、たかちゃんとパクパクといただく。甘酸っぱい果汁が口の中に広がる。どこまでも青い空と北信の山々が広がる。僕の人生の中で、今年の夏は一番美しい夏かもしれない。
編集部からのお知らせ
税所篤快さん『僕、育休いただきたいっす!』
(こぶな書店)のご紹介
小布施に引っ越す前、長男のたかちゃんが生まれてからの1年間、育児休業を取得した日々をつづった『僕、育休いただきたいっす!』は、2021年のこぶな書店から出版されています(元の連載はスタジオジブリ「熱風」)!