第8回
お父さんのお話勉強会
2023.06.01更新
ある冬の日曜日の朝5時にアラームに起こされ、子どもたちを起こさないように身支度をして外へ出る。車のエンジンをかけて、大地に出発する。朝一なので、道はガラガラ。大地の丘に6時前に到着する。車を止めて外に出ると満天の星空が広がっている。携帯のライトをかざしながら、アプローチをすすみ大地への園舎へ向かう。今日は、月1回のお父さんたちのお話勉強会の日だ。大地にはお父さんたちのお話サークルがあり、定期的に練習を重ねている。なぜ開催時間が日曜日の朝の6時から9時なのか。お父さんたちの仕事が休みの日曜なのはもちろん、朝9時に終われば、1日また家族とたっぷり遊べるからだ。よく遊び、よく学ぶが大地の一丁目一番地。
園舎の扉をあけると、ちゃぶ台にあおちゃん夫妻。薪ストーブの火が勢いよく部屋を暖めている。他のお父さんたちが続々到着してきた。子どもたちの放課後の学びの場を営む将兵さん、イノベーションを研究・実践する企業家の優理さん、造園、木登、花火うちから茅葺まで幅広く仕事をする金ちゃん、高校教師の藤松さん、お寺の住職の季典さんらが集合した。
温かいお茶を飲みながら、雑談がはじまった。今度、大地で勉強会を開くためにお招きしている三砂先生の話。日本広しといえども、朝の6時から園長夫妻と薪ストーブを囲んでお父さんたちが雑談をしている子ども園はそうないのではないだろうか。
そして、本題のお話の練習へ。今日は僕から覚えている最中のお話を披露する。僕がいま覚えているのは「だいくとおにろく」。おにに、目玉をとられてしまいそうな、大工が、おにの名前を言い当てて、なんとか危機を脱出する物語。たかちゃんに夜読み聞かせていて、反応がいいので、この話を覚えようと思った。まだ暗唱の途中なので、僕は暗記のために作成したミニカードをちらちら見ながら、お話をはじめた。
「むかし、あるところに、とても ながれの はやい おおきな かわが あった。 あんまり ながれが はやいので、 なんど はしを かけても、たちまち ながされてしまう。 むらのひとたちは、とんと こまりはてていた」。
(『だいくとおにろく』 松居直 福音館書店)
ここで、大地の「お話」について、少し触れてみる。みなさんはお話と聞いてどんなイメージを思い浮かべるだろうか。僕は大地に通うまえは、お話といえば「読み聞かせ」で、絵本を片手に子どもたちにそれを読みながらページをめくるものだと思っていた。大地でももちろん絵本の読み聞かせは実践されているが、それとは別に「お話の時間」というのも大事にされている。
「お話」では話者は手ぶらである。話す内容は、事前に絵本や『おはなしのろうそく』というお話集で仕入れ、自分の中に入れるのだ。つまり、ほぼ暗唱できる形にして子どもたちのまえで語り聞かせる。あおちゃん、のんたん母さんのお話の師匠で、世界でも指折のストーリーテラーだったと言われる松岡亨子さんによれば、
「お話をおぼえるということは、テキストのことばによって、あなたの中にイメージを描きそのイメージに先導させて、あなたの中からことばを引き出してくる作業なのです」と書いている。(『レクチャーブックスお話入門3』 東京子ども図書館)
僕ははじめ、絵本がない状態で手ぶらで話すなんて、子どもたちは話しについてくるのだろうか、と不安だった。しかし、大地にきてから、のんたん母さんやあおちゃん、保育士のがーくんが披露してくれる「お話」に子どもたちと同じように魅了された。絵本のようにイメージが提示されるわけではないので、語り手の顔を見ながら、その言葉で自分の中に世界が生まれていくのを楽しめるのだ。
そして、語り手に挑戦してみると、絵本を読んでいるときと違い、子どもたちを見つめながら話すので、彼彼女たちの反応が手を取るように伝わってくる。面白おかしいところでは、ははっと声をあげ、ひやりとするところでは、息を飲む子どもたち。この話し手と子どもたちとの一体感を体験すると、もうお話の語り手はやめられなくなってしまうほどの快感を味わえる。
「おにろくっ!」とどなった。すると おには「聞いたなっ!」と くやしそうに いうなり、ぽかっと きえて なくなってしまった。
(『だいくとおにろく』 松居直 福音館書店)
こうして僕が『だいくとおにろく』を披露すると、あおちゃん夫妻や、それぞれのお父さんから感想をもらう。この日は、のんたん母さんより、「税所さんは、お話の最中の句点のときに、ゴビが上げ調子になるクセがある。あおちゃんもあるのだけど、それは意識したほうが、もっとよくなるわ」というフィードバックをもらい、赤木さんより、「この絵本をよく読んでいたから、頭の中でイメージが広がってきた」というコメントをもらった。
そして、この話の雑談に話は展開していく。僕がいま勉強しているドイツ語の学習書に、名前をモチーフにしたお話として「だいくとおにろく」が「千と千尋の神隠し」と一緒に紹介されていた話をすると、のんたん母さんもドイツ語を勉強してグリム童話のお話に挑戦されていた話になり、なぜお話の「昔話」は圧倒的に場を惹きつける魅力があるかの話になった。
朝日が登る7時前になると、あおちゃんが「モルゲンロート見に行こう!」と全員で外へ出た。みなさんは「モルゲンロート」って言葉ご存知ですか? 大地で頻出するこの言葉を僕は初め知らなくて、一体なんのことなんだろうと色々想像を膨らませていたことがあった。モルゲンロートとは「早朝の朝日の赤い光線が山脈や雲を赤く染める朝焼けのこと」(元はドイツ語で「Morgenrot」。モルゲン「Morgen」が「朝」、ロート「rot」は「赤い」)。
園舎の外に出ると、高社の丘からは、高社山、横手山など北信の山々が見渡せる。その山々が徐々に登ってくる太陽に照らされ、赤みを帯びていく。美しい光景にみんなで息を飲む。こういうことが起きるので、大地の早起きはつらいけど、十二分に元を取れる体験が待っているのだった。
「せっかくだから、藤松さん、この朝焼けをバックにお話してよ!」というあおちゃんのリクエストに藤松さんが答える。お父さんたちが東屋から持ってきた長椅子に腰掛けた。藤松さんは朝焼けと信州の山々を背景にして腰をかけると、昔話「三枚のお札」を語りだした。
「むかしお寺に和尚さまと小僧が暮らしていました」からはじまり、小僧が寺を出て鬼婆に会い、鬼婆からの逃避行、そして最後の鬼婆と和尚様の対決。藤松さんの穏やかな語りに耳をすませる。目の前では、朝焼けと藤松さんが一体化して、神々しくすらある。世界のどこに、こんな「三枚のお札」の語りがあるだろうか。
藤松さんのお話が終わると、僕たちは冷えた体をさすりながら、屋内へ戻り練習を続けた。その後、秋山さんが、「世界でいちばんやかましい音」。きんちゃんがエジプトの民話「ゴハおじさんのお話」。季典さんが「桃太郎」、優理さんが「マッチ売りの少女」を披露し、それぞれへの振り返りのコメントや雑談で盛り上がった。
8時半ごろにひととおりの練習が終わる。お話の話題だけで、大の男たちが2時間以上夢中に語り合っていたことになる。凄まじき、お話の魅力。そして大地のお父さんたちの好奇心の広大さ。練習が終わると、毎回あおちゃん夫妻が心づくしのモーニングを用意してくれる。これを楽しみに早起きを頑張ったのだ。薪の火と窯で焼いた焼きたてパンに、手作りのソーセージをはさんだ大地特製ホットドッグとコーヒーの日もあれば、にしんそばの日もあった。今日は1月の年初めということもあり、てんぷらそばだ。
ちゃぶ台の上にバーナーと油、具材がセットされ、優理さんは厨房で自身で打ったそばを茹で始めた。あおちゃんはそば打ちの達人で、それに感化されて優理さんも大地入園後、そば打ち修行に打ち込んだ。いまでは一人前のそばうち職人のようなうまいそばを振る舞ってくれる。
ジュージューと、あおちゃんが景気よく沸く油に具材を揚げていく。かぼちゃ、きのこ、かき揚げ。そのテーブルをお父さんたちで囲み、揚げたてのてんぷらをすぐにいただく、銀座の料亭スタイルだ。茹でたてのそばを、優理さんが持ってきてくれて、それに薬味をたくさん入れてずずっとすする。朝の練習に、てんぷらそば、僕たちは完璧な日曜の朝を迎えたのだった。
家路につくころにはまだ10時前。帰宅してから、日曜日の丸一日を家族と遊ぶことができる! 「一日を二回味わう」。あおちゃんがよく語る言葉だ。
そして、お父さんたちの鍛錬の成果を発表する、お話会は目前に迫ってきていた。次号につづく。