第10回
保育士見習いDay 4 血がしたたる修羅場に彼は舞い降りた
2023.07.01更新
2月21日、朝から雪が舞っている。今日は保育ボランティアの4日目。クロスカントリーの板をかついで、たかちゃんと大地に登園する。この日は、冬の大地の特徴である「立体感」と「加速」を体感する一日になった。保育士のがーくん、ゆみちゃんと今日の打ち合わせ。
「今日はクロカンと迷ったのですが、屋根の雪下ろしすることにしました!」とがーくん。朝の会では、「せーくんぼ」遊びがはじまる。雪の中でみなで輪になりお互いの腕を組み合い歌う。
「せーくんぼ、せーくんぼ。ながれがはやい。せーくんぼ、せーくんぼ。おされて、なくなあ!」
最後の「なくなあ!」を合図に、みんなでおしくらまんじゅう。何回か繰り返すうちに体が暖まってくる。一緒にはたらく、さおりさんから「がーくんは身体をつかったダイナミックな遊びが得意」と聞いていたので、こういうことか! と得心した。
朝の挨拶が終わると、みんな園舎の外に立てかけてあるそれぞれのスコップを手にして、ガンガー前に集まった。年中さん以上の面々は、スコップを屋根の上に放り投げ、はしごで登っていく。ちなみに、冬の大地ではみんな1人1スコップが必需品のひとつで、雪かき、雪のテーブルづくり、スコップをお尻にひいたスコップ滑りなど遊びのパートナーとなる。昨日からの積雪は30センチから40センチだ。
みんなでざっくざっくと雪を一方に落としていく。しばらくして、だいたい雪を落としきると、がーくんの合図で、十分に雪の量と箇所を確かめてから、雪上へのジャンプ遊びがはじまった。年長さんをはじめに、ぽんぽん子どもたちが下ろし立てのふかふか雪に飛び降りていく。
「ボサっ!ボサっ!!!」と、子どもたちの下半身が、下ろし立てのふかふかの雪に突き刺さる。僕もジャンプ! 中空で一瞬身体が宙に浮き、重力にぐうー! っと引っ張られ落下していく、このなんとも言えない感じが癖になる。子どもたちはどんどん雪に飛び込み、2度、3度と跳躍した(雪遊びの専門家と一緒でない限り、決して真似をしないでください)。
ジャンプ遊びがひと段落すると、大地正面のスロープにみんなそりを持って移動した。今度はスロープで盛大なそり遊びがはじまる。なにせ、このスロープがそり遊びのためにあるような斜面なのだ。子どもたちのカラフルなそりが、どんどんスロープを加速して、滑り降りていく。これがけっこうなスピードで、きちんとコースの終わりで脱出しなければ、リンゴ畑の木々に激突してしまう。僕は、ありさちゃん、ゆずきちゃんとそりを3台「連結」して出発。「連結」とは、そりの前方についている長紐を前のそりの操舵者のおしりにしくことで、2台以上がくっついて滑走を楽しめる走法だ。
そりは走り始めるとスルスルと大地を滑り、徐々にスピードをあげて、中盤からはビュンビュン飛ばして滑降していく。
「きゃー!!!」という歓声とともに、コースアウトして雪を散らす爽快感といったら、そのへんの遊園地のアトラクションよりよっぽど面白い。スロープの下まできたら、またスタート地点まで登るのはけっこうな雪道を走破しなければならない。屋根の上に登っての雪下ろしや、大地の丘下までのそり遊び、この大地の遊びの「立体感」といえばどうだろう。
東京にいたころに、たかちゃんが通っていた園は、ほぼ全てのフィールドが平面だった。そして、雪上ジャンプ、スロープそり遊びがもつ「加速感」。これも、冬の大地、独特の遊びだろう。冬の大地を彩るこのふたつの特色、遊びの「立体感」と「加速感」はもちろんリスクと背中合わせだ。
「雪下ろし中に、子どもたちが落下したら? そり遊びで子どもが木に激突したら?」
しかし、自然のなかで遊ぶということは、リスクをゼロにすることはできない。どこまでいったら危険なのか、なにをやると自分の身体にとってアウトなのか、それを自分で掴み取っていく、感じ取っていくのが大地の子どもたちなのかもしれない。
十数本、そりすべりでスロープを往復しただろうか。ヘトヘトに疲れたタイミングで、お昼ご飯の合図となった。やっと部屋のなかで暖まれるぞと思っていたら、なんとはしごを登ってガンガーの屋根の上でみんなでお弁当を食べるという。「え、がーくん、でも雪降ってますけど?」
こうしてみんなで屋根の上に登り、お弁当タイムとなった。ところが、たかちゃんの様子がどうもおかしい。そり遊びのころから、ずぶぬれになった手袋をはずして、手が寒い寒いと訴えていたのだ。屋根の上でもその様子は変わらず、だんだんたかちゃんの不快のボルテージは高まっていったようだった。
ごちそうさまのころには、たかちゃんのかじかむ手は悪化し、今にも泣き出しそうな感じだ。うーん、これはちょっといやな予感がしてきたぞ。
しかし、問題は今は屋根の上にいるということだ。はしごで、ひとりずつ地上に降りていくので、とても時間がかかっている。しかも、スタッフのゆみさんより、「あっちゃん、屋根の上で子どもたちが降りるのを見てもらえますか?」と頼まれたのもあって、寒さと不快を訴えるたかちゃんの意向を顧みず、僕の意識は子どもたちを下に下ろすことに向けられていた。そのことは、たかちゃんの怒りと悲しみの連鎖に拍車をかけたようだった。
年中のいおりくんが、はしごをつたって降りるのを介助すると、上に残されているのはたかちゃんただひとりになった。たかちゃんは雪降りすさぶなかで、涙を流し始めていた。かじかんだ両手で凍えるたかちゃんを、はしごで下に下ろすのに難儀した。「怖い」と「寒い」のダブルパンチで、たかちゃんの堪忍袋は切れかかっていた。なんとか地上に降り立つことができたが、いよいよ癇癪に火がついてしまった。
「ウワワーーーーーーーーーン!!!!」
それは立派な、素晴らしい泣き叫び声だった。僕がもっとも恐れていた展開。
「ギャーーーーーーーン、ウワーーーーーーーーーン!!!」
なんとか、ガンガーから園舎の入り口まで抱っこで運び込む。玄関扉を開けると、そこは冷え切った、そして、濡れたスキーウェアを着替える子どもたちで大混雑していた。
そのなかで、たかちゃんは泣いた。
「ギャーーーーーーーン、ウワーーーーーーーーーーーーーン!!!」
園舎中にたかちゃんの泣き声がこだましているようだった。玄関のところでなんとかスキーウェアを脱がす。泣きながら、叫びながら、たかちゃんは僕に平手打ちをお見舞いしてくる。何回目かの平手打ちが、僕の顔面、しかも鼻っ面を直撃した。きーんと、かすかな耳なりと、鼻の奥がツーんとするあの感じ。
そして、ぼたっ、ぼたっと大粒の鼻血が僕の白色のセーターの上に斑点をつくった。鼻をおさえながら、出血を止めようとする僕。玄関で泣き叫ぶたかちゃん。僕にとっては修羅場そのものだ。スタッフのもっちーがヘルプに入ってくれた。その間に僕はトイレに駆け込んで、トイレットペーパーをカタカタ巻き取ると、鼻につめこんだ。僕の白セーターには見事な鮮血の斑点が滲んでいる。止血している間にも、たかちゃんの断末魔が聞こえてくる。なんとかせねば! と、ティッシュで鼻をおさえたまま、現場に戻る。
もっちーが玄関から、部屋のなかへたかちゃんを連れ込んで、濡れた服を着替えさせようと悪戦苦闘している真っ最中だった。なんとか、ズボンとパンツを交換しようとするもっちー。全力で泣きながら、抵抗するたかちゃん。僕はもっちーにバトンタッチを告げる。
「ごめん、あんまり力になれなかった・・・」ともっちー。
こうして、鼻血を止血しながら、僕とたかちゃんは対峙した。たかちゃんは、変わらず癇癪モードで泣き叫びどうしようもない。まわりに子どもたちが通りがかったり、癇癪モードのたかちゃんを見物していく。ホールの奥のお話の部屋、薪ストーブのまえでゆみちゃんのお話がはじまった。それでも、こちらは「ぐわーーーん」とやっていて、引き続き手がつけられない。僕はほとほと、弱って、立ちすくんでいた。どうしようもない、この状況。たかちゃんにも申し訳なかった・・・。
その時だ。後ろの扉がガラガラと開き、救世主が現れた。一陣の風のように、赤のスウェット姿のあおちゃんがやってきたのだ。
「税所さん、ちょっと見てて」と、あおちゃんは僕にいうと、
「たかちゃん、どうしたの!?」と、泣き続けるたかちゃんに声をかけた。ちんこを出して、泣き叫ぶ彼をむんずと抱っこすると、部屋の外へ。
突然のあおちゃんの登場に、僕は呆然としていた。
しばらくすると、泣き声はやんだ。扉の外からあおちゃんの声が聞こえてくる。
「なんでそんなに泣いてるの? お腹すいてるんじゃないの?」
「あおちゃんのりんご食べる? みんなには内緒だよ」
耳を澄ませていると、たかちゃんがあおちゃんの問いかけにリアクションをしているらしい。さっきまで、誰にも耳を貸さずにギャン泣きしていたあのたかちゃんがである。
「りんご食べるまえには、パンツとズボンはかなきゃね」
あおちゃんの声が聞こえると、扉がガラガラとあき、「税所さん、ズボンとパンツある?」とたかちゃんを抱きかかえながら、あおちゃん。
僕がそれらを渡すと、あおちゃんは、また扉の奥に消えた。
その後、台所から「よーし、よくはけたね、たかちゃん。じゃあ、あおちゃんのりんごあげちゃうわ。みんなには、ひみつだよ」とあおちゃんが語りかける声が聞こえてくる。
たかちゃんのギャン泣きの最高潮から、ものの5分とたっていない。僕は狐につままれたような、不思議な安堵感を味わっていた。
「これが、大地の園長、あおちゃんなのか」
その後、ものの5分もしないうちに、たかちゃんは何事もなかったかのように、あおちゃんと扉をがらりと開けて、部屋に入ると、お話の輪に戻っていった。僕がぽかんとその場に突っ立っていると、あおちゃんから、「税所さん、二階に行こう」と声をかけられる。
「ああ。俺の保育ボランティアもここまでか・・・」
内心、そう思った。あおちゃんねえちゃんの予言は正しかったのだ。きっと、このままじゃたかちゃんがかわいそうだから、もう保育ボランティアには来ないほうがいいんじゃないか、そうあおちゃんに言い渡されるにちがいない。
二階の打ち合わせができる小部屋に二人で入る。あおちゃんが、薪ストーブに火をつけると、「たかちゃん、どんなふうにしてああいうふうになっちゃった?」と僕に聞いた。こうして二人で振り返り会がはじまった。
僕は事のあらましをあおちゃんに語る。屋根の上での昼食の時点で、たかちゃんの手がかじかんで、寒いと訴えていたこと。他の子どもたちが屋根から降りるのをサポートしていたら、結局たかちゃんを最後まで残してしまい、ついに泣き出してしまったこと。その後、癇癪モードは本格化して、無理に着替えさせようとしたりしても、なにしてもどうしようもなくなってしまったことなど説明した。
「子どもはみんな臨界点を持っていて、そこを超えてしまうともうどうしようもなくなっちゃう。まずは、その臨界点を迎えないように、できるだけ早めに気付いてあげる」
「いったん癇癪モードに突入してしまったら、それをなだめるのは至難の技。今回俺がやったのは、まずたかちゃんをがつっと抱っこしたでしょう? このときに、むんずっと抱きかかえることで、お前の感情は全部受け止めるぞっという気持ちと、ただじゃおかないぞっという強い気持ちを両方こめた」
「そして、その子の大好きなものから突破口を考える。たかちゃんだったら、食べるものが大好きだから、『お腹減ってるから、そんなに泣いてるの?』『あおちゃんのりんご食べる?』と釣り糸をぶらさげてみた。すると、たかちゃんがわずかに、反応した。その瞬間に、俺はこの食べもの路線でいける! と直感したんだ」
ひとりひとりの子どもが、一体何が大好きで、何に心動かされるのか、を知悉していること。それをトリガーに何本か釣り糸を垂らし、癇癪状態から引き戻すための「とっかかり」を見付け出す。わずかな子どもの反応を見逃さず、それを突破口に一気に癇癪モードから呼び戻す。まさに職人技だ。
「しかも、泣いている場所も最悪だった。他の子どもたちが様子を見にきていたでしょう。あれをされたら、たかちゃんだって引くに引けなくなって、より自暴自棄になってしまうよね」
たしかに、と僕は頷きながら言った。
「僕も、シュタイナー講座でみんなで話し合ったときのことを思い出して、こういうときは場所を変えないと、とたかちゃんを抱っこして違う場所に運ぼうとしました。でも足をジタバタさせて激しく抵抗されて諦めてしまったんです。そもそも、僕はたかちゃんの癇癪に、気を挫かれていたのかもしれません。あおちゃんのような、烈白の抱っこをする気力がありませんでした」
こうして、振り返り会をするなかで、どういう動きをすればこの事態を避けられたのかわかってきた。まず第一に、たかちゃんがぐずり出した第一段階。屋根の上でのお昼ご飯タイムに、僕は危険を察知して、すぐに動き出すべきだった。ごちそうさまを終えて、僕は子どもたちを屋根の上から下ろすことに気を向けていた。「たかちゃんが寒くて泣きそうなので、先に部屋に戻ります!」と、ゆみちゃんかがーくんに告げて、いの一番に園舎に戻ればよかったのだ。
第二段階は、ギャン泣きがはじまってからの対応だ。玄関や部屋のなかでは、常に他の子どもたちがいて、たかちゃんに注意を向けていた。たかちゃんも当然それを感じ取って、引くに引けなくなっていた。ギャン泣きの第一段階で、僕は速やかに烈白の抱っこで、落ち着ける場所に移動するべきだった。たとえば、事務室へ、たとえばキッチンへ。そこで、二人だけの空間を作り出せば、今回のように「エンドレス癇癪」を迎えたシナリオは脱せたかもしれない。
「今日はたしかに寒い日だった。でも、子ども園にいる普段の子たちだったら、なんとか我慢出来る寒さ。でも、お父さんがいて家族モードにも戻れるたかちゃんにとっては我慢できない寒さだったんだ」
「どんな子でも、親がいるとそうなるのは仕方ない。年長さんになれば、まず大丈夫だけど、年中のたかちゃんにとっては、寒すぎるとかコンディションが悪くなればこういうことは起きうるから。あまり気にしないでね」とあおちゃんの総括を聞いて、僕はほっとした。どうやら、保育ボランティアを首になるわけではなさそうだ。
こうして、二階での振り返りを終えて部屋に帰るとそこでは子どもたちが賑やかに室内遊びを繰り広げていた。たかちゃんも楽しそうに、ここちゃんと薪ストーブの前でリリアンに興じている。僕のなかでは、クタクタに疲れきった気持ちと、あおちゃんの職人芸を間近で見た興奮がまぜこぜになっていた。無事に帰りの会が終わり、大地の園舎を後にしたときには心底ホッとした。
帰り道のコンビニで飲んだコーヒーは身にしみて、美味しかった。