第22回
忍者大縦走!四阿山・根子岳を駆ける
2024.02.05更新
満点の星空の午前3時50分、長野県、上田市の菅平牧場登山口に大地の仲間たちが集まってきた。子どもたちは寝ぼけ眼に、なぜか忍者の衣装、そして頭にはヘッドライトをつけている。今日9月2日は、大地夏の名物の「親子登山」だ。日本百名山のひとつで、標高2354メートルの四阿山(あずまやさん)の山頂を目指し、その後隣の根子岳へ縦走し登頂してから下山する。午前4時に出発し、下山が午後14時、総計10時間の登山だ。山に詳しい友達は、このコースは中学生が挑戦する難易度だ、と驚いていた。たかちゃんにとっては初めての本格的な登山だ。果たして頂上まで登ることができるのだろうか。
参加者は年中さん以上の親子たち、約30名。引率は、園長のあおちゃんとスタッフのガーくん。僕は、長男のたかちゃんと二人での挑戦だ。登山口では、子どもたちに忍者の巻物が渡された。巻物を開くと、登山のおおまかな地図になっている。今回の登山のテーマは「忍者大縦走」。いく先々で、忍者にまつわるサプライズが子どもたちを待ち受けている。僕の背中には、そのサプライズのひとつである特大スイカがリュックサックの奥にしまわれている。四阿山頂上でみんなで食べるのだ。それにしても重い。リュック紐が肩に食い込む。
午前4時、あおちゃんから1日の流れの説明を受けて出発。空には、天の川の星がきらめき、父親仲間のきんちゃんと星座を予測して言い合いながら、歩いた。横を行くたかちゃんも、ヘッドライトの明かりを楽しみながら、いおりくんとぺちゃくちゃおしゃべりしながら、ゆく。まだまだ余裕だ。
しばらく階段を上ると、木立の中に入っていった。さらに進むと、藪の中に入った。藪は朝露でたっぷり濡れていて、僕たちは大いに濡れた。先頭はがーくん、しんがりは、あおちゃんだ。子どもたちは、親たちが藪をかき分ける後ろにつけて、必死についてくる。ハア、ハアとだんだん息が上がってくる。それにしても、ガーくんのペースが早い。これは大人でも早めの歩調ではないだろうか。前日の夜は、登山口前の駐車場で、たかちゃんと車中泊した。彼はぐっすり眠っていたが、僕は興奮して寝付けなかった。ほぼ一睡もせず、しかも少々風邪気味という万全でない体だった。
普段から、木こりであり庭師であり、茅葺き職人であるきんちゃん、牧場で牛たちを育てる荒野くんなど体力自慢たちは、息を切らさずに坂道を軽々登っていく。早くも僕は息切れ。背中のスイカがだんだん重さを増していく。しばらく行くと、夜明けが近づいてきたのか、空が赤みを帯びていく。
「モルゲンロートだ!」とあおちゃんが、遠くの稜線を指差した。モルゲンロートとは、早朝に、山脈や雲が赤く染まる朝焼けのことをいう。大地に来なければ知らなかった言葉だ。たしかに東の空が燃えるような朱色だ。息切れを整えながら、僕はモルゲンロートを眺めた。そして、朝陽が徐々に姿を現した。僕たちはその壮大な景色を前にしばし立ち尽くした。
本格的に朝がやってきた6時ごろ、第一チェックポイントがやってきた。木立を抜け、岩場に出るとその時、忍者が急に現れて、僕たちの前に躍り出た。
「よく来たな、大地の子どもたち! 無事にこの山を登りきり、忍者修行を終えられるかな!? ハハハハ!!!」と忍者(清水父)が、刀を振るう。子どもたちはいきなりの忍者の登場に「わあ〜!!!」と大盛り上がり。
「さあ、巻物を出すんだ!」
子どもたちは、忍者にチェックポイントのハンコを押してもらいおやつをプレゼントされた。なんと特製「兵糧丸」(砂糖菓子)だ。15分ほどの休憩。嬉しそうにおやつや行動食をむさぼる子どもたち。僕もウィンダーインゼリーを飲み、レーズンとナッツを食べた。僕のリュックには巨大スイカだけでなく、遭難が心配で買い込んだ食料も満載されていた。だから、こんなに重いのだ。「旅の荷物は最小限に」という基本を大いに逸脱した僕は、序盤から体力を蝕まれていった。
休憩を終えて、さらに山を登る。一筋縄ではいかない岩場が増えてきた。子どもの手を握り、引っ張り、時に抱えながら標高を上げていく。さすが大地のお父さん、お母さんたちだ。みんな健脚の持ち主で、自分だけが息を切らしているように感じる。「税所さん、スイカ大丈夫?」と、ゼーゼー言う僕を、みんなが気遣ってくれる。「まだまだ、大丈夫です!」と強がりを言ってみたものの、正直、しんどくなってきた。
年中の陽宇くんがも、ここで「もういやだ! 僕は下りる!」と逆走を開始。下山方向へ走り始めたのを、陽宇くん父さんが追いかけていった。ここからはいよいよ大変だ。
第二チェックポイントでは、違う忍者(工藤父)が僕たちを待ち受けていた。工藤忍者は、特製手裏剣(おせんべい)を子どもたちにプレゼント。巻物には二つ目のスタンプが押された。巻物を覗きこむと、あと5つもチェックポイントがあり、僕はげんなりした。まだまだ先は長い。さて、この登山行で登場する忍者たちは、年長のそら組さんのお父さんたちが中心だ。大地の催しでは、年長のそら組のお母さん、お父さんたちが縦横無尽に活動し、盛り上げ役を担う。僕自身もそら組さんの父なので、特大スイカを背負っているわけだ。
ここで、朝ごはん休憩になった。僕とたかちゃんはおにぎり。あおちゃんや丸山さんらはホットサンドを作って食べている。休憩ポイントからは、日本の屋根「南アルプス」がはっきりと見渡せて、絶景が広がっていた。幸運なことに天気に恵まれた。子どもたちと一緒に「ヤッホー!!!!」と叫んだら、こだまが響く。
朝ごはん休憩を終えて、四阿山の山頂まであと1時間ほどまで登った。そのとき、午前7時ごろ。僕は完全にスイカの重みに負けてバテ始めていた。あおちゃんまでも、「税所さん、大丈夫?」と心配するほど、顔が真っ青。肩で息をしていた。たかちゃんと一緒に、最後尾に近いところを歩いていた。
しかし、僕の役割のときが迫っていた。僕は四阿山の頂上で、第三の忍者としてみんなを待ち受け、スイカを振る舞うのだ。そのためには、この忍者軍団の先頭を抜き去り、いのいちばんに登頂しなければいけないのだ。いよいよ八合目まできた。先頭のガーくんが、小休止をして待っていてくれた。僕は、たかちゃんをガーくんに預け、待ち伏せのために、頂上へ向けて早足で進み始めた。リュックがどんどん肩に食い込む。思うように足が上がらず、息が切れて苦しい。それなのに、僕は歩調のペースを上げる。八合目でがーくんから受け取った、忍者の太刀が重い。登りにくいこと、このうえない。
「なぜ自分は、忍者の格好をして、太刀を持ち、特大のスイカを背負って、こんな岩場を駆け上がっているのだろう」という問いが頭をよぎる。ここまで来たら行くしかない。
山頂の社が見えた。僕は肺が爆発しそうになりながら、一番に山頂の岩場に上り詰めた。午前8時、四阿山2354メートルの頂上にたどり着いた。
ラストスパートをかけたのに、大して忍者軍団を引き離せていなかった。3分もしないうちに、忍者軍団の先頭が頂上に躍り出てきた。僕はなんとか息を整えると、バンダナを締め直し、太刀を抜いた。頂上の岩場からは、世界の隅々まで見渡せるようだ。忍者たちが続々と頂上の岩場に到着した。
「オオーーー!!!」と大人も子どもも絶景に歓声が上がる。そして、岩場の頂上にいる僕を、誰かが指差して叫んだ。
「また忍者がいるぞー!!!」
僕は太刀を掲げ、大声で叫び始めた。
「やあやあ! 大地の忍者たち! ついにこの山頂まで登ってきたか! この修行をやり遂げようというのか。すごいじゃないか! 俺から頑張ってるお前たちにプレゼントをやろうじゃないか」
僕はリュックから、特大のスイカを取り出して、天に掲げた!
「スイカだ!!!」「やったー!!!」と子どもたちは大盛り上がり。
彼らの喜びようをみて、僕は脱力した。
スイカを岩場の上に置くと、太刀を振り上げ、一刀両断(のふりをして包丁で切った)。そして、山頂の世界で、忍者たちのスイカパーティがはじまった。
たかちゃんと一緒にむさぼり食べたスイカは、カラカラに乾いた身体に染み渡った。あおちゃんが僕のところに来てボソッと言った。
「税所さん、子どもがいるからこんなバカなことができるんだよ」
ついにスイカの重みから解放された。しかし、僕は十分に体力を失っていた。四阿山の頂上から、今度はお隣の根子岳への縦走が待ち受けていた。まずは、せっかく登った2500メートルの山頂から、7合目くらいまで一気に降りる。岩場の下り道は、疲労した身体に応えた。途中で、たかちゃんも体力の限界を迎えて半べそをかいてきた。
「もういやだ〜!!! 足痛い!!!」
久しぶりのギャン泣きモードか? この山の中腹で、そうなったら僕はおしまいだ、と恐れていたら、しんがりのあおちゃんがやってきた。
「ほらほら! たか、なに止まってるんだ!? こんなところで、ひとりで止まってちゃしょうがないぞ! さあ、がんばれ!!!」と威勢のいい声で加勢する。あおちゃんに後ろから追い立てられては、たかちゃんも前に進むよりしょうがない。僕も、普段出さないような、勇ましい掛け声で、半分自分をはげましながら、進む。途中、あおちゃんから、落差の激しい岩場での子どものおろし方の伝授があったりして、なんとか僕たちは四阿山の中腹まで降りてくることができた。そこからは根子岳の頂上が見えて、美しい山々が見渡せる。アルプスの向こうには、富士山の姿もあった。
次の忍者ポイントでは、きんちゃん忍者が藪の中から現れて、強烈な梅干しを子どもたちにプレゼントして去った。根子岳の頂上まであとわずか。行き来する登山者たちは、四阿山から縦走してくる大地の忍者たちに、「なぜ幼稚園児がこのコースを?」と驚きを隠せないようだ。
途中、トンボを捕まえたり、厳しい岩場を越えたりしながら、ついに僕たちは根子岳の山頂(2207メートル)に立った。午前10時30分、出発から6時間半が経過していた。結果的には予定通りのスケジュールで到着したことになる。登頂メンバーは、大人16名。子ども12名の計28名。脱落者は0だった。
根子岳の山頂からは、先ほどまでいた四阿山の山頂がはるかに見渡せた。あんなところから、ここまでよくぞ歩いてきたものだ。みんなで記念撮影して、昼ご飯休憩、くつろいだ。
しばらくすると、岩場の影から、貴族のような衣装を恭しくまとったお殿様と、十二単のような着物をまとったおちょぼ口のお姫様が登場した。お殿様は、薄緑色の衣に身を包み、烏帽子をかぶり、芍まで持っている。お殿様というより、神官!? 兼子さんは普段は住職で、坊主姿に正装がキマっている。姫のあきさんは、着物もきらびやかでカラフル、美しいただずまいだ。突然の殿と姫の登場に根子岳山頂は騒然とした。一般の登山客の方達まで集まってきた。
兼子夫妻の荷物がスイカ並みに膨れていたのは、この衣装が入っていたからか。殿と姫は、山頂の社のまえで忍者たちに挨拶し、子どもたちの大縦走の成功を祝った。褒美の宝石(金平糖)を振る舞い、質疑応答の時間になった。
「お殿様とお姫様はどこから来たの?」
「何歳ですか?」
様々な質問が飛んだ。山頂で、殿と姫を囲む、子ども忍者たち。その異様な光景に、他の登山者たちが思わずシャッターを押していた。
なぜここまでして、僕たちは山を登るのか。子どもたちをノラせて、励まして、楽しませながら。あおちゃんは、出発前に配布された手紙で「親子登山」の意義についてこう書いている。
「なぜ、そこまでして登るのでしょうか。家族が、親子が緊張感を持って過ごす時間。家族が寄り添う助け合う感動しあう向き合う体験。そして、大人が毅然と判断する権威的な瞬間、判断能力、それによる家族のぴりっとした行動、こんな時間は、日常の生活にはほとんどありません。緊張感のある体験が家族の絆を深め、心に刻まれます。」
その後、僕たちはたっぷり3時間かけて山を降りた。これが、大人の僕が泣きそうなくらい辛かった。てっきり、根子岳の山頂にたどりついたことで、僕はゴールについたと思っていた。しかし、山は下りなければいけない、あたりまえですが。いつまでも延々と続く岩場に、僕もたかちゃんも疲労困憊した。途中からはお互い、半べそになりながら、下りた。僕自身、体力の限界を突破しつつあった。
午後14時15分。僕たちは最後尾集団の一員として、登山口に帰ってきた。そこには、年少さんたちと、その家族とノンタン母さんたちが、手を組んで花道をつくって、出迎えてくれた。僕たちはマラソンのゴールテープをきったランナーのごとく、倒れ込んだ。あおちゃんは、たかちゃんに「よくやった、たかちゃん! 東京生まれなのに、すごいぞ!」とねぎらった。
「税所さんも、素晴らしい集大成になりましたね!」
そう、僕たちは翌月ドイツに渡るのだ。大地での催しはこれが最後になる。
こうして忍者の巻物のスタンプはいっぱいになり、みんなで牧場のソフトクリームを食べた。
僕は体力の限界を突破し、その後数日寝込んだのであった。