第31回
妻ゆかこと大地 後編
2024.11.01更新
長野県の須坂市にある古めかしい喫茶店で、僕はナポリタンを食べながら、病院からの電話を今か今かと待ちわびていた。というのも、コロナ禍が一息つき、出産の現場に立ち会うことが許されるようになったものの、立ち合い当日はコロナ検査を受けてからでないと病院に入れないことになっていたからだ。
次男ひろくんの出産の時はコロナ禍真っ只中で、立ち会うことができなかったので、僕は今回の立ち合いに大いに張り切っていた。ついに、携帯が震え、僕が電話に出ると、「税所さん、分娩室へどうぞ!」と看護師の方が言った。僕は、喫茶店のママと視線を交わし、彼女は大きく頷いた。そして、僕は病院へ走り出した。
分娩室では、ゆかこが医師と助産師の方たちに囲まれている。まだ陣痛は弱く、彼女も平静だ。若い研修中の学生たちも分娩に参加するようで、多くの人に囲まれたなんだか仰々しいお産になりそうである。
前日から長い前駆陣痛に苦しんでいたゆかこの様態を考慮し、医師の判断で、陣痛促進剤が投与されることになった。すると、弱めだった陣痛が一気に強くなった。ゆかこが顔を大きくしかめる。僕は手を握り、一緒に深呼吸をする。この緊張感は、第一子たかちゃんが生まれた水戸の病院以来、もう4年も前のことだ。たかちゃんの時は、陣痛が始まってから、彼が誕生するまで6時間ちかくかかったので、今回も長期戦を覚悟した。しかし、陣痛促進剤の影響で、一気に激しくなった陣痛とともに、ゆかこは1時間ほどで、大勢の人の「ふぅ~!ふぅ~!」の大合唱のなか、三男をこの世に生み出した。
僕たちは、三男に篤史(あつふみ)と命名した。税所家の男子は、慣習として代々、篤を頭文字に置くことになっている。長男は、たからもの、の願いをこめて篤貴(あつたか)。次男は、ひろい海のような心をイメージした篤洋(あつひろ)。三男は、学び続ける人生を願い篤史とした。こうして、令和の税所一家、三兄弟がこの世にそろい踏みしたのである。
三男の妊娠がわかったのは、冬も厳しい2月ごろのことだった。喜びを味わう間もなく、激しいつわりの影響で体調を著しく崩したゆかこに、ドクターストップがかかり、仕事場から休みをもらうことになった。
徐々に体調も落ち着きはじめたころ、すこしずつ大地への送迎をゆかこが担当するようになった。それまでは、大地ではレアキャラのようなゆかこだったが、持ち前のコミュニケーション力を発揮。それまで挨拶を交わすだけだった大地のお母さん仲間たちと一気に仲良くなっていった。
特に、スノーボーダーのはるなさんとは、ちょうどゆかこと同じ時期に第二子を妊娠したことがわかるやいなや、意気投合。世界中の雪山を滑ってきた自由闊達なはるなさんと、同じく薬剤師として世界中を巡ってきたゆかこは気が合った。それからは、一緒にごはんに行ったり、子どもたちを連れて湖に行ったり、ゆかこにとって大切な心置きなくなんでも話せるお母さん友達の一人になった。
同じく、大地のお母さんの、あきこさんも親しい存在になる。あきこさんは3人男子の母親だ。僕たちの第三子も、男子であることが判明すると、ゆかこは同じ運命を生きるあきこさんに即座に連絡。そこからというもの、戦友のような気持ちで、大いに意気投合する。あきこさんは、同じく薬剤師という縁もあり、とても気が合ったようだ。
一緒に料理教室に行ったり、家族で温泉に出かけたり、あきこさんも、かけがえのない大地母の友達となる。
こうやって心置きなく付き合えるお母さん友達の存在もでき、ゆかこはあっというまに大地に溶け込んでいった。
大地一年目は、ベンチャー企業での激務をリモートワークで取り組み、ほとんど大地を味わうことがなかったゆかこにとって、大地での日々は新鮮だった。そして、三男ふみくん誕生を期に育休に入り、さらに長男たかちゃんが年長さんになったタイミングで、彼女は大地で時間を過ごすことがますます増えていったのだ。
それからというもの、ゆかこの才能の開花は僕からみても目まぐるしいものだった。
たとえば、ある日、のの花文庫で定期的に開かれる「お話勉強会」にゆかこが参加した際、ひょんなことから、ある物語を朗読することになった。ゆかこが、朗読を終えると、あたりが静まり返った。耳を傾けていたあおちゃんが、すくっと立ち上がると、「税所さん、あなた、お話の才能あるよ!」とズバリ言った。
高校時代、演劇部に所属していた経験からか、ゆかこの朗読は迫力があり、人々を引き込むものがあった。ノンタン母さんからも、お話デビューを薦められ、ゆかこはおはなしのメンバー(通称ののはなさん)に加わることになったのだ。そこから、彼女がひとつめの話に決めたのは、アイスランドの昔話「牝牛のブーコラ」だ。
ぼくもお父さんのおはなし会に参加していたので、家族みんなで、家でおはなしの練習をした。子どもたちも、お母さんからのおはなしが聞けるのは嬉しいようで、よく聞き入っていた。車の中、お風呂の中、なんどもお話の練習を積んで、ついに迎えた、子どもたちの前でのゆかこのおはなし披露、本番当日。
その日は、僕も偶然保育ボランティアの日で、同席した。
「牝牛のブーコラ」とは、頼りない小さな男の子が、大事な雌牛を連れもどすために長い旅に出かけていくお話だ。道を進むと、ブーコラの鳴き声がだんだん大きくなってくる。やっとブーコラを見つけるが、恐ろしいトロルが追いかけて・・・! そんな冒険物語に、子どもたちははじめはクスクス笑いながら聞いていたが、後半、トロルが登場し始めると、息をのむように話に聞き入った。お話が終わると、子どもたちからはじけるような、拍手。ゆかこは、お話を聞いている子どもたちの食い入るような表情に心動かされる。「お話の快感を知ってしまった」と、それ以来も、ののはな文庫のメンバーとして精力的に活動することになる。
ゆかこがさらに活躍の場を見つけたのは「オペレッタ」だ。大地では、母親たちが年に一度、「オペレッタ」という舞台を子どもたちに披露する。毎年完全オリジナルで、その代の年長さんのお母さんたちを主軸に、舞台を設計する。中学時代は演劇部、高校大学時代はダンス部だったゆかこは、文句なしに舞台監督に就任する。オーケストラの母たちと音楽を練りこみ、舞踊の振り付けを考える。彼女にとって、これらの仕事は大きな喜びだった。練習も、仕事で培ったマネジメント力を発揮し、メリハリをつけながら短い時間で濃い学びが生まれるようにした。お母さんたちも「ゆかこさんの引っ張っていく力はすごい」と舌を巻いた。本番は、ドイツへ出発が目前にせまる9月末に、大地の丘で披露された。今年のテーマは「キリンの見た夢」。どんな話かというと、キリンとウサギが背比べをして遊んでいたら雨が降ってきて、キリンは雷に打たれてしまう。気がつくとキリンは雲の上。
雲の上では、モクモク雲と背比べをしたり、雨の美しい舞を見たり。
キリンは足を滑らせ雲から落っこちてしまう。大けがでもうダメだー!! と思ったら、夢だった。そんなおはなしである。
動物たちが入り乱れるダイナミックな舞台設計は、見事で、オペレッタの感想には手厳しいあおちゃんも、「素晴らしかった! 今度から、税所さんにお金を払わないといけないね」と手放しで褒めるほどだった。
こうして、「大地でのレアキャラ」から、一気に大地を満喫する母親に変化したゆかこ。この2年間の大地での学びを振り返ってこう語ってくれた。
東京にいるときは、17時とか18時まで子供を保育園に預けるのが当たり前だったし、違和感もなかった。子育ても、苦手と言っていたくらいだった。自己実現している、バリバリ仕事して子育て両立しているママになるべき、みたいな自己像にとらわれていたんだと思う。
だけど、あおちゃんに「仕事と子育てが"両立"という表現で、"分断"されていること自体、現代はおかしな暮らしだと思いますけどね」と言われて、ハッとしたんだよね。
大地では、仕事と子育てが、繋がっていた。たとえば、母の活動は、時にはイベントの企画運営、時には保育スタッフと、一見仕事のようなこともある。だけれども、活動はどれも日常の暮らしの一部。いつも子供たちや他の在園家族みんなと一緒にやるから、楽しい。そして、歴代大地母たちの企画力やら創造性やら多様性がすごくて本当におもしろい。学びと愛に溢れている大地の母の活動を通して、こんなにも、子育てって、味わい深いものなのだと、子育て5年目にして気づかされた感じだった。
大地は、"コミュニティ"として、最高に豊かな環境だと思う。共同体として、ともに子を育て、作物を育て、実りを美味しくいただく。そして、歌い、踊り、語り、日が暮れるとともに眠り、朝日と共に起きる。それが一番、幸せと豊かさを感じる暮らし方なんだと、身をもって実感した。
"無駄な時間を愛することが、真の豊かさをもたらす。"これは私の好きな本「モモ」のなかにもあることばなのだけど、大地は、まさにその言葉どおりを体現していた。
大地に入らなかったら、モモの世界の灰色の男たちに、私はずっと自分の時間、そして命を捧げ続けてただろうね。
大地は、私たち家族が本当の意味で豊かに暮らせるように導いてくれたし、大地で過ごした時間は、私の子育てと人生を大きく変えてくれた。
あおちゃんが常々言っていたことば。「この小さな子どもと過ごせる時間は、人生でいったらほんの一部の期間。仕事を休んででも大切にしなさい、さもなければ間違いなく人生最後に後悔しますよ。」このことばを胸に、今、これからも、可愛い3人の息子たちを精一杯愛でたいと思う。