第33回
鯉焼きイノベーション!
2025.01.06更新
この連載では、「親たちの生きる姿勢こそが、子どもたちに一番大きい影響を与えるのだ!」とたびたび語ってきた。それが、大地で、僕たち学んでいくことなのだと。それでは、大地の親たちは、どんな生きる姿勢を子どもたちに見せているのだろう。絶好の後ろ姿を見せてくれる一人が、藤田九衛門商店の藤田治さんだ。二人の娘さんが大地に通っていて、5年になる。来年には、長男も大地の門を叩くという。
藤田九衛門商店といえば、長野市、善光寺が誇る名物、たい焼きならぬ、「鯉(こい)焼き」で有名だ。「鯉(こい)焼き」とは、その名の通り、可愛らしい鯉の形をした生地の中には、ふんわりあんこが詰まったお菓子だ。「海なし県の長野だったら、たい焼きではなく、こい焼きだ!」と藤田さんが発明した。善光寺山門から徒歩1分30秒の所に、古民家を改装した瀟洒なお店を見つけることができる。暖簾をくぐれば、かっこいい作務衣に身を包んだ藤田さんが笑顔で迎えてくれる。
僕は、こい焼きが大好物で、平日休日問わず、よくお店を訪ね、こい焼きを頬張った。藤田さんは茶道の先生でもあるので、素晴らしいお抹茶をたててくれる。お抹茶とこい焼きを堪能し、藤田さんとおしゃべりするのは、僕の大好きな時間だった。もちろん、世界中から友人たちが長野に遊びに来ると、こい焼きを食べてもらうのだ。
藤田さんが魅力的なのは、肩の力の抜けたご本人の明るい人柄のなかに、飽くなき探求心と発明マインドを持っているところだ。藤田さんは大阪出身で、料理人を志す。国内で日本料理の板前修行を積むと、オーストラリア、シドニーで包丁を握る。その後、帰国して、軽井沢で料理人をし、事業を立ち上げるなど、実に挑戦に彩られた人生だ。僕が大地に出会った年、藤田さんは新しいプロジェクトを立ち上げるところだった。
そのプロジェクトとは、「信州産てんさい糖をつくる!」というものだ。「甜菜(てんさい)」とは、北海道で大規模栽培されている砂糖の原料だ。沖縄や鹿児島などで、伝統的に栽培されている「さとうきび」と、北の「てんさい」で、国内産の砂糖は主につくられている。
本州ではほとんど栽培されていない「てんさい」を信州でつくる! というのが、藤田さんの試みだ。藤田さんは、創業以来、安心できる地産食材を使って、お菓子をつくってきた。小麦粉は長野県産だし、鯉焼きのなかに入っている餡は、長野県の特産品である花豆を使っている。しかし、砂糖だけは、県外から持ってきていた。いつか砂糖も県内産を使って、「オール信州産のお菓子がつくりたい」と胸に抱いていた。
そんなある日、お店を訪ねてきた人から「長野飯山で、てんさいを栽培しようという人がいる」という話を聞いた。
「それはいい! もし実現したら、うちでもつかいたい!」と思った藤田さん。
彼は、お店が休みの日に、飯山に、プロジェクト主を探しに赴いた。しかし、飯山のどこに行っても、「そんな話知らない」という。ついには、「てんさい事業に取り組んでいる人」には出会えなかった。
「うーん。たしかにお店で聞いた話なんだけど。」
「なにかのご縁だから、自分でやるか!」と、ご自身でてんさい作りに取り組むことにしたという。
「え~!そこで自分でやるってなります!?」と思わず突っ込みを入れてしまう。
てんさいは、その見た目から、「さとう大根」とも言われ、北海道のような、涼しい気候と昼夜の寒暖差の大きい地域が栽培に適しているそうだ。藤田さんは、特にその条件に近い信濃町を中心に、農家の方々(大地の親御さんたちだ!)と、てんさいづくりのテストを開始した。そして、藤田さんは2年間の試験栽培を経て、てんさい作りにたしかな手ごたえを得た。
近年の不安定な気候に悩まされながらも、藤田さんはいたって楽観的だ。なぜなら彼は「最初から、全部うまくいくと思っていない」からだ。藤田さんの、人生の経験に裏打ちされた「うまいこと、いかないと思って、最初からやる」姿勢が、物事をひとつひとつ前にすすめている。
藤田さんが僕に言ってくれた名言のひとつに「金がないくらい、なんともないよ・・・」というものがある。かつて、会社経営の際に、資金繰りで大変なご苦労をされたときのエピソードなのだが、これを語るには紙幅が足りない。別の機会にしよう。
藤田さんは、最近、信州の美しい山のふもとにてんさい畑が広がり、製糖工場がある将来の様子を絵で描いた。そこには、川が流れ、馬が草を食み、子どもたちが駆けまわっている。名づけてスイーツフォレスト(食べる森)構想だ。この絵を見せながら、自分が取り組んでいることを、娘たちに語ったという。
「親たちが楽しんで、自分の人生を生きているのか。」
これこそが、大地からのメッセージだ。藤田さんは、この問いに全身で応えている。僕は、その様子を惚れ惚れしながら、見つめ、刺激を受けている。
この「てんさい」は、明治時代にクラーク博士が、「北海道では、てんさいの栽培いけるわ!」と薦めたことから、大規模栽培がスタートした。クラーク博士が言った「青年よ、大志を抱け」という言葉はつとに有名だ。べつに、大きい志でも、小さい志でもかまわない。大人が、それぞれの人生の問いを旗に掲げ、それにどう向き合っているか、その人生の態度を、子どもたちは、よ~く見ているのだ。
ちなみに、藤田さんは、てんさい事業への出資者、そしてこの物語の映画化協力者も募っている。青森の木村さんの「奇跡のリンゴ」ならぬ、信州の「奇跡の砂糖」プロジェクトに関心のある方は、ぜひ善光寺のお店に、藤田さんを訪ねてほしい。こい焼き、本当に美味しいですよ。