第35回
「そして、建築が人間になる。」上松佑二さんとの出会い
2025.03.03更新
今月は、のんたん母さんのインタビューの続編をお届けする予定だったが、諸事情でインタビューが延期になった。続編は、来月のお楽しみとさせてもらい、今回は、長野でお会いしたある方とのエピソードを書きたいと思う。その方は、東海大学名誉教授の上松佑二さんだ。建築家として、長く活躍し、特にシュタイナー建築の日本の第一人者といえる方だ。シュタイナー教育などで有名なルドルフ・シュタイナーは、本連載でも、何回か登場した。大地における保護者の勉強会でシュタイナー教育のテキストを勉強しているうちに、僕がシュタイナー教育にハマってしまったのも、書いてきたとおりだ。
そんな時に、僕は『シュタイナー 芸術としての教育』という上松さんとドイツ文学者子安美知子さんの対談本を読んだ。この本がめちゃくちゃ面白かった。思わず、僕はその感動を手紙に書いて上松さんに送ると、ぜひ会いましょうとお返事を頂いたのだった。偶然、僕が住んでいる長野は上松さんの出身の地だった。初めてお会いしたのは、長野駅前のホテルメトロポリタンの喫茶室だった。奥様の惠津子さんと一緒に現れた上松さんは、まさにダンディな紳士といういでたちだった(ちなみに、惠津子さんもドイツでシュタイナー芸術のオイリュトミーを修めた専門家だ)。僕たちはコーヒーを飲みながら、時間を忘れて語り合った。僕は、処女作『前へ!前へ!前へ!』(木楽舎)を献本すると、お二人は「あなたのような人が、新しい時代を切り開く」と激励してくれた。お二人のシュタイナーにまつわる友人にも、「前へ!前へ!」と掲げていた方がいたそうだ。
上松さんとお会いして特に盛り上がったのは、シュタイナーが建築家として遺した仕事の代表作であるスイス、ドルナッハのゲーテアヌムについてだ。このゲーテアヌムとの出会いで、上松さんは、シュタイナー建築に人生を賭けることになる。その話が、とても印象に残っているので、ご紹介したい。
上松さんが、ゲーテアヌムを知ったのは、1963年、当時21歳の建築科学生だった時だ。早稲田大学の今井兼次さんのシュタイナーの講義を聞き、「青天の霹靂」というほど感動する。「以後、シュタイナーとゲーテアヌムは忘れがたいものになった」という。卒業論文のテーマは「ルドルフ・シュタイナーの建築と思想」で執筆。そして、1967年、上松さんはドルナッハに留学する。横浜港からバイカル号でナホトカへ。シベリア鉄道でハバロフスク、飛行機でモスクワへ。そこから48時間の鉄道でウィーンへ。そこからドルナッハへ。なんと8日間の旅だった。僕は、諸先輩たちの欧州への船や鉄道を使った旅を聞くと、憧れの念をいつも抱く。いまは飛行機で、一日もあれば目的地についてしまう。当時の上松さんは8日間のドルナッハに向かう旅の途上で、実物への想いを募りに募らせただろう。その「溜め」は、どれほど、貴重だろうかと思う。現代の旅では、この「溜め」は、最低限で抑えられてしまう。「溜め」が大きい分、感動の爆発力は大きい。上松さんは、ドルナッハで再建された第二ゲーテアヌムに出会う。
「ゲーテアヌム建築との出会いは大きな喜びでした。至福といってもよい。それは確かな深い実感だったのです。やがて、このような建築の背景に何があるのかを知りたいと思うようになった」と上松さんは語ってくれた。上松さんは帰国後に、処女作『世界観としての建築:ルドルフ・シュタイナー論』を出版し、大反響を呼んだ。今から50年前、日本でシュタイナーのことを知っている人は少なかった時代だ。それから上松さんは、「善光寺外苑西之門」を設計したり建築家として活動しながら、シュタイナーの研究を続けていった。
僕が特に好きな上松さんの著作が、『シュタイナー・建築:そして、建築が人間になる』(筑摩書房)だ。これは上松さんが、写真家の方と一緒にヨーロッパ各地のシュタイナー建築を回った写真・建築集だ。シュタイナー学校はもちろん、病院や、オフィス、銀行など、さまざまなタイプのシュタイナー建築が紹介されている。僕はこの本を片手に、写真を見ながら、上松さんに解説してもらったのだが、ぜひ自分も現地を見てみたいという思いが込み上げてきた。
それにしても、上松さんの超人的な活動量には驚く。上松さんは、御年82歳だが、毎年2回は、スイスのドルナッハに出張し、世界中のシュタイナー関係者との会合に出席しているのだ!「会議は、英語とドイツ語のちゃんぽんだから、けっこう大変です」と、こともなげに話す。僕は今、34歳だが、上松さんのお年になるころに、彼のようにエネルギッシュに世界を駆けまわれているのだろうか。上松さんが、今も探求の最前線を行く後姿を見て、僕はあと50年後どんな世界を見ているだろうかと想像した。ぜひ上松さんのような、人生の手ごたえに満ちた表情で、若い友人たちと語り合っている自分でいたいと心から熱望した。