僕の老い方研究僕の老い方研究

第2回

爺捨て山

2023.06.03更新

 20代のころ働いていた、ある老人ホームでのお話。80歳を超えた爺様のテレビが壊れてしまい、家族は新品のテレビを部屋に置いた。
 その日から、爺様は頻繁にナースコールを押すようになる。これまで愛用していたテレビは、チャンネルをガチャガチャと回すもので、新しいものはリモコンだった。ガチャガチャの時は人の手を借りることもなく、自由に鑑賞していたのに、新機能の便利さが仇となって、爺様はとたんに不自由となった。
 老人にとってリモコンは鬼門である。特にエアコンは危ない。リモコン操作が上手くいかず、いじくり回した挙句、真夏に暖房をONしてしまい、茹蛸さながらの姿で発見される老人は毎年あとを絶たない。真冬の冷房も然り。テレビはまだ安全だ。
 僕はリサイクルショップから、ガチャガチャチャンネル付きテレビを仕入れて、部屋に置き直した。気ままにテレビを観る日常に戻ることができたのだけれど、1年もしないうちに足腰が立たなくなった。こんな時こそ、リモコンなのだが、それは使いこなせそうにない。さて、どうしたものかと考えたが、爺様はすでにテレビそのものに関心を失っていた。心なしか、ほっとした。

 人は身ひとつで生まれ、身ひとつで死んでいくのだと思う。

 これまで身につけた知識やスキル、使いこなしてきた文明の利器、地位や名誉も財産も、すべて手放しながら老いていく。
 「老いは喪失の時代である」。その昔、介護の専門書にそのようなことが書いてあった。けれど、それは、失われていくものばかりを見つめる者の言い分だろう。何かが終われば、何かが始まるように、老人は失うことで、新しい何かを得ているはずだ。それを得ると、どんな新境地を迎えることになるのだろうか。
 僕ときたら、爺様よりも早くテレビに関心を失っている。けれどYouTubeに囚われており、モニターを手放せない。老人性の乾燥が進んでいるせいだろうか。ときおり、スマホの画面が僕の指先タッチを頑なに拒むことがある。急いでいるときほど、その傾向が強く残念に思う。
 スマホでメールを打つときは、ますます精神衛生上よろしくない。画面上での入力操作がままならず、まともな文章にならない。「博多駅で待ち合せ」と入力したつもりが「博多一番ラーメンで待ち合せ」と変換されていることに気が付きもせず送信してしまい、相手を混乱させた。よって、できるだけパソコンを使用するように努めている。
 老いてなお文明の利器を使いこなしながら一生を終える人もいるだろうが、おそらく僕は、リモコンを上手く使いこなせないガチャガチャタイプであるように思う。エアコンであれば茹蛸になる老人である。さらに、先の爺様が示したように、ガチャガチャさえも使いこなせなくなるだろう。
 世間の関心は、どうすれば「失わずにすむか」に寄せられていて、テレビや雑誌をはじめネットでも、そのことばかりが注目されている。よって、失った後に得る力については誰も教えてくれない。新しいその力をどのように身に付けて、どのように実感したらよいのだろうか。

 そこで、計画を立ててみた。実行するにあたって、なくてはならない場所があった。いや、この場所があったからこそ、目論むことができた。
 それは、面積約3.9平方キロメートルの小さな島である。そこのかなり広い土地を、あるご婦人から譲り受けた。経緯について、ちゃんと記しておきたいと思う。
 その女性は突然、職場へとやってきた。足の踏み場もない小さな玄関で、日傘を丁寧にたたむ様子や靴を脱ぐ仕草がとても品よく感じられ、彼女の振る舞いを見るだけで涼やかな気分になった。改めてその佇まいに触れたとき、社交界の香りがした。かれこれ20年前のことである。当時、僕は新聞に随想を連載しており、お年寄りとの日常を綴っていたが、それを読んで訪問したという。
 彼女は身の上に起こった事をとつとつと話し、わんわん泣いた。僕は傍にいることが精いっぱいで、去り際に携帯の番号を書いたメモを渡し、「いつでも電話していいですよ」と伝えるのがやっとだった。
 ある日のこと。彼女は自分が癌であることを告げる。「余命がわずかしかない。生きているうちにすべて財産の処分をしたい。島にある土地をもらって欲しい。荒れ放題だけど、必ず役に立つ日が来るはずだから」と言った。
 彼女がホスピスで息を引き取るとき、僕は運よく立ち会うことができた。「血液中のアンモニア濃度が高いので、普段のような認識はないかもしれません」と医師。うっすらと開ける瞳を覗き込むと、ほんの少し目の焦点があった気がした。

 甥っ子さんは葬式で、こんな挨拶をされた。

「伯母は子どもがおりません。夫を亡くし、自分が末期癌と分かってからは、生き方を変えました。これまで交流のあった人たちと一線を引きました。それからは、ここにお集りの皆さんと残りの時間を過ごすことに決めたようでした。~中略~ 私はある会社のヨーロッパ支店で営業戦略を担う部署にいます。これまで先輩たちから競争に打ち勝つ極意を教えられてきました。それは『強いものと戦わず、弱いものを叩く』です。今、僕は同じことを後輩に教えています。そんな自分にあって、伯母が過ごした最期の在り方に接すると『これからの生き方を見直しなさい』と諭されているように感じています」
 それから、その土地はさまざまな経過をたどった。一時は他人の手に渡る寸前にまで至った。紆余曲折を経て、今、僕の下にある。こんなかたちで老い方研究の実験場になるなんて、まるで彼女に導かれているようだ。

 そこを「爺捨て山」にしたいと思う。「爺捨て島」かもしれない。土地は島の頂き近くの谷に位置する。なので、島にいながら海が全く見えない。ややもすると、深い山の中にいるような錯覚に陥る。島なのか、山なのか、呼び方に迷う。
 先日は深い靄に包まれてしまい、バス通りの真横であるにもかかわらず、遭難したかと思うほど方向感覚を失った。かつては畑だったと聞くが、現在は樹木に覆われており、鬱蒼とした森になっている。少し開けた場所でも僕の背丈を超える草の群生があり、その幹が思いのほか太くて硬いので、分け入る気持ちを萎えさせる。
 この土地を身ひとつで開拓することで自分の体との対話を試みたい。体と手動式の道具を基に生身の限界に応じて開拓してみる。歳を重ねるごとに体の活動能力は縮小していくだろうから、手入れをすることのできる範囲も生身の限界に応じて徐々に縮小していくだろう。
 僕の計画は、マックスに開拓された状態から活動範囲の縮小とともに緑にのまれ、野垂れ死んだ後、最期は多くの生き物に分解されて土に還るというものである。まさに「身ひとつで死ぬ」を目論んでみた。
 この計画は日本社会において、すでに実行不可能な点が見え隠れしているのだが、そこは見なかったことにして取り組もうと思う。研究の中心は生身の限界を通して、体に刻まれた僕の精神や内面化された社会と向き合うことになると思うので、目的の達成よりもプロセスが優先する。そのプロセスにおいて、「失うことで得る新たな力」と出会えるのではないだろうか。

 実行に当たり、いくつかのルールを決めることにした。爺捨て山なので、「掟」とでもしておこうか。

 ひとつ 土地の手入れに関して、モーター・エンジン式の機器は使用しない。
     手動の器具は駆使し、手入れを忘れない。

 ひとつ 時間の流れを先住民である生き物たちと共有する。
     (どうすれば、時間の流れを共有できるか、分かっていない)

 ひとつ 体と先住民の生き物たちと共に場を創る。
     (どうすれば場ができるか、分かっていない)

 実は、この研究と計画は4年前から始まっている。恥ずかしながら、ささやかに掟を破っているが、その経緯については追って記したいと思う。次回は「分解共同体の一員になる?」を書くかもしれないし、書かないかもしれない。

村瀨 孝生

村瀨 孝生
(むらせ・たかお)

1964年、福岡県飯塚市出身。東北福祉大学を卒業後、特別養護老人ホームに生活指導員として勤務。1996年から「第2宅老所よりあい」所長を務める。現在、「宅老所よりあい」代表。著書に 『ぼけと利他』 (伊藤亜紗との共著、ミシマ社)『ぼけてもいいよ』『看取りケアの作法』『おばあちゃんが、ぼけた。』『シンクロと自由』など多数。

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