第4回
僕じゃない、鋸が切る
2023.08.08更新
爺捨て山の開拓は、僕をクタクタにした。無限に広がるかのような蔓の海に誘われて、次から次へと切りまくる。我を忘れて作業したせいか、肉体の限界を超え始めていることに気がつかない。
心臓がドクン、ドクンとバタついて口から飛び出す寸前だ。陸に上がった魚のように、酸素を求めて狼狽えた。噴き出す汗。体にまとわりつく濡れたシャツ。あらゆる不快感に打ちのめされて、体は突然に機能停止した。
ああ、この感じ。前にもやらかした気がする。
それは、思い出すだけで恥ずかしくなる出来事だった。
「タカオちゃん、住民運動会の村落対抗リレーに出てやらんな」。走り手がいなくて困っていた役員さんからのお願いだった。高校時代にサッカー部に所属していたこともあって、対抗リレーでは10代代表の常連だった。その時の走りが役員さんの眼に焼き付いていたのだろう。「速かったもんなぁ~、向かうところ敵なしばい」と誉め殺す。
「冗談じゃないですよ。あの時は高校生ですから」。中年に差し掛かっていた僕は、シャツをめくって腹の脂肪を揉んで見せた。サッカーどころか、これといった運動すらしていない。お断りしたかったが、親戚で占められた村の圧を勝手に感じて、渋々、お引き受けする。それが、間違いの始まりだった。
あろうことに「小学校のトラック半周ぐらいは、何とかなるだろう」と、たかを括っていたこともあって、練習すらしないで当日を迎えた。走る直前になって、半周ではなく、1周であると知らされる。
運動会における対抗リレーは、紅白歌合戦でいえばとりにあたる。寄席に例えると真打のようなものである。僕は、そのことをすっかり忘れていた。
放送部の生徒さんだろうか。「次は村落対抗リレーです。最後の種目です! 選手のみなさん、張り切ってお願いします!」。若々しい女性の溌溂とした檄が飛ぶと、会場は大きな拍手と声援に包まれた。
「天国と地獄」のテーマに促されて選手たちは村別に縦隊を組んでトラック内に入る。先頭集団が位置に着く。スタートを告げるピストルが「パ~ン」と鳴った瞬間、待ち構えていたようにスピーカ―が「道化師のギャロップ」を大音量で鳴らす。同時に各村のテントから、鳥たちが一斉に飛び立つように住民が総立ちになった。もう引き返せない夜汽車に乗ってしまった気がした。
僕の体の中で何かが高鳴り始めた。その気になっていく僕がいる。「やってやる感」が体を突き抜け始める。渋々が、もはやノリノリである。スタートラインに立つころには、身も心も高校生になっていたのだと思う。いや、中年だろうが、若者だろうが、もうどうでもよかった気もする。
バトンを受け取った僕は猛烈に走った。ペース配分やチームが何位であるのかなんて関係なく。鬼滅の刃に登場する我妻善逸が全集中した時のように。
ゴールまであとわずかというところまで走りつめたときのこと。突然、体からすべての力が抜けてしまった。まず、顎がカクンと落ちた。つづいて、力強く振れていた肩が抜けて無くなった感じがした。それまで、元気よく大地を蹴り、しっかりと着地していたはずの足から感覚が消え失せた。いきなり全電源を喪失したかのように脱力したのである。僕は派手に転倒した。糸の切れたマリオネットのように。
そのあと、どのように立ち上がり、ゴールしたのか記憶がない。気が付くと木の下に座り込んでいた。心臓は破裂せんばかりの勢いで脈打っている。動悸が収まらず、口から涎がたれ続ける。奥歯がず~んと痛んで身の置き所がない。余力もないのに、立ったり、座ったり、空を仰いだりした。救急車で搬送される僕の姿が瞼に浮かんだ。
それにしても、あんな転び方ってあるだろうか。そうなる前に足がヤバイとか、胸が苦しいとか、体の各位から、なんらかの信号があってもよいものだ。何のお知らせもないなんて、あんまりである。
もしかすると、体のあらゆるところからSOSが出ていたのかもしれない。脳味噌は体よりも先を走っていて、届いていたはずの危険信号を受け取ろうとしなかった可能性もある。
やる気に火をつけたのはおそらく「道化師のギャロップ」だろう。脳味噌を体から切り離し、「私が走る」という自我を高めたに違いない。あの転倒の原因は「道化師のギャロップ」が僕をそそのかし、自我を高揚させたことにある、と考えている。
あの時、転倒していなかったら、死んでいたかもしれない。暴走する自我を体がボイコットしたおかげで、今、生きているといっても言い過ぎではない。
爺捨て山の蔓切り作業では、我(われ)を忘れて没頭したと思ったが、忘れるどころか、我が覚醒したのだと思う。いわゆる、我(が)が強くなったのだ。
倒木を切るときも、僕の自我は全開する。切ってやる感が剝き出しとなって鋸を引く。すると、のっけから刃が木の皮にひっかかってしまう。僕の切ってやる感はさらに膨らんで、全身に力が入る。だれも急かしていないのに、早く切らなければと、自身に気合を入れる。結果、ますます刃が通らなくなる。そして、疲労困憊する。
ちなみに、「我が強い」を辞書で引くと「他のことをあまり考えないで、自分の思いを通そうとする気持が強い。強情だ。意地っぱりである」とあった。
しかしながら、やる気を出せば、出すほど、上手く切れないなんて、皮肉である。親や先生たちは「やる気をだせ」と僕を叱咤激励してきた。やる気が成功の秘訣であるかの如く諭されてきたのだから。やる気を出しても我(われ)を出すな、ということだろうか。我(われ)がやる気を出さなければ、誰が出すのか。
くたびれ果てて、気が付いた。木を切っているのは僕ではない。鋸が切っている。よって、何かを切るときは「僕じゃない、鋸が切る」と唱えることにした。すると、どうだろう。ひっかかり、もっかかりしていた刃が嘘みたいに、す~っと入っていく。
レシプロソー(電動鋸)を使ったときは、もっと驚いた。木をしっかり固定していないと、機械の力に負けて、木がブレブレになる。押したり、引いたりのピストン運動も高速なので、細い枝ほど激しい振動が生じてしまい、手では持っていられなかった。そんなときも「僕じゃない、レシプロソーが切る」と唱えると、振動すら起きずあっさりと切ることができた。
我(われ)が上手く抜けると、自ずと力も抜ける。我(われ)がいかに、体を力ませていたかを実感する。そういえば、鉛筆で字を書けば芯が折れて仕方ない。歯ブラシはすぐに毛先が開いてしまう。わずかな床を拭くだけでくたびれてしまう。ほんのわずかな作業でもすぐに疲れてしまう僕にはゼンマイが強く巻かれていて、ネジを離した途端に走り出し、コースを外れてひっくり返るブリキのオモチャのようなところがある。
木を切る主役は僕ではなく、鋸であることに、やっと気が付いた。面白かったのは、刃が木の繊維を切断する感触が指や手のひらに伝わってくることだった。ここは、硬いな、柔らかいな、といった感じで。硬いときは、さらに力を抜く。柔らかいときはちょっと力を加える。木が伝えてくるものに、応答している感じがあって、楽しい。この感触は木を切ることを、ただの作業に終わらせなかった。焚き木をつくるという目的達成のために木を切っていることを忘れさせ、切ること自体に喜びが生じてくる。
我が抜けるように努めると、楽しくなるのが不思議だった。いったい、誰が楽しんでいるというのか。自分を手放していく感じとは、こういうことかもしれない。老いやぼけの深まった人に漂う「自分を手放す感じ」に僕は憧れを抱いてきた。「ご飯を食べますか?」の問いに対して「ああ、そうですか」と答える、ご長寿の婆様。自分のことなのに、どこか他人ごとな態度に、ほっとしていた。
同時に、怖さも感じていた。この人たちは騙すことができない。営業スマイルや美辞麗句も通用しない。すべて、お見通しといった感がある。
そのおかげで、自分を取り繕う必要がなかった。さらに、ありのままでいる僕を審判しなかった。その存在は、怖がりながら、ほっとする、ほっとさせながら、怖がらせる、といった態度を僕に取らせる。
ご老体たちは、僕の内実に迫ってくるのだと思う。我を不在にして切る手が、木の組成と応答するように、ご老体も、僕の成り立ちそのものに働きかけてくるのだろう。なぜかしら、僕に自身の在り方を問い直させるのである。
自分を手放すと、対象により接近することができる。それは、とても楽しいことなのだ。そして、とても怖いことなのだ。
かくして、「僕じゃない、鎌が切る」「僕じゃない、ホウキが床をはく」「僕じゃない、手が母の尻を拭く」という呪文は、強く巻かれた僕のゼンマイを緩めつつある。