第9回
シンちゃんモデル
2024.01.10更新
2013年の秋、3匹の子猫が捨てられた。
僕らは、特別養護老人ホームをつくるために奔走しているさなかだった。市から建設認可をまだ得てもいないのに土地を購入するなんて、無茶苦茶にもほどがある。それでも、なんとかお金を集め、目的の土地を取得した5日後のことだった。
「なんか、鳴いてません?」
職員の緒方君が耳を澄ましている。僕にも聞こえていて気になっていた。
「聞こえるよね、なんか」
か弱い泣き声に誘われて古民家の軒下を覗き込んでみると、縦長の小さな箱が目に入った。間違いない。あの箱だ。開けてみると、子猫がミャー、ミャーと体をくねらせている。
「まいったな~、どうする?」
飼い主? の無責任さに憤りながら、3匹を見つめた。
茶トラ、さび、黒。彼らは、3者3様の毛色をしている。とりあえず、誰か引き取ってくださる人が現れるまで、預かることにした。といいながら、早々に名前を付けてしまう。
その土地は3つの小学校区に囲まれている。地名になぞらえて、チャチャ、べべ、デンデンとする。
艶のある黒が美しかったデンデンは、老人ホームづくりの世話人だった木下さんが飼い主になって下さった。引き取られたあとは、たしかユキに名前が変わったと思う。
1年経っても、残る2匹に飼い主はとうとう現れなかった。チャチャとべべはとても仲が良かった。チャチャはなかなかのイケメン。べべは少し潰れたような顔をしており、その不細工さが余計に可愛かった。
ある日のこと、べべが突然いなくなった。チャチャがとても寂しそうにみえた。寂しかったのは僕らの方で、その感情をチャチャに投影したのかもしれない。ひとりになったチャチャへの愛情がより強くなったのだと思う、みんなが「チャチャ」と声をかけた。
チャチャも出勤する職員のひとりひとりを出迎えて挨拶する。その律儀さは人も顔負けである。お年寄りの家族、地域の人たち、多くの人たちから愛される看板猫となった。
我が老人ホームを紹介するためのインスタグラムがあるが、フォロワーの多くはチャチャのファンであると担当者は言う。老人介護ではなく、チャチャに関心があるとのこと。
ひとりになった、チャチャの試練は先住猫であるシンちゃんとの確執だった。シンちゃんはニックネーム。フルネームはシンタロウという。名前にふさわしい貫録に、若猫のチャチャは圧倒されっぱなしである。追い回されてばかりいた。チャチャの敵は、僕らの敵。シンちゃんは悪役となってしまったが、年を重ねるほどにお爺ちゃんになった。そもそも、シンちゃんの年齢は不祥だったが、毛の艶や毛色がどんどん白っぽくなっていく様をみると、やはり高齢だったのだと思う。猫も人間も老いる姿は同じである。
「老いては子に従え」という言葉がある。もともとは仏教・儒教の教えらしいが、シンちゃんの態度はまさにこれに倣ったものだった。チャチャに敬意をあらわし、従順な振る舞いで接するようになる。世代交代のお手本を見せてもらった。僕は若い世代とバトンタッチしながら、職場から身を引く立場にあるが、シンちゃんをモデルにしている。
それでいて、チャチャの寝床を占領するという太々しさを発揮する。けれども、チャチャは追い払こともしない。おかげで、もうひとつ小屋を作る羽目になったが、やせ細るシンちゃんをみると、チャチャの態度は立派だと思う。
驚愕の事実が判明した。シンちゃんは雄ではなく雌だったのだ。前の土地の所有者から「シンタロウ」と聞いて、勝手に雄と決めつけていたのは我々である。何でも慣習から判断してはならない。
シンちゃんにお迎えの近いことは誰の目にも明らかだった。痩せ方が尋常ではなかったし、占領した小屋に入ることも難しそうに見えた。
そして、ある日を境に姿を見せなくなった。誰にもその姿を見せずにあの世にいくなんて。住宅の密集する余白のない都市にあって、いったい、どこを死に場所とするのだろうか。
これまで、多くのお年寄りの死に家族と共に立ちあってきた。その場にある真面目で滑稽な営みが看取りを続けている原動力だった。
けれど、シンちゃんのような死に方もあるのだと思う。誰にも看取られず、独りで死んでいくことにも生き物としての尊厳があると感じた。爺捨て山の開拓は、そのような場所があってもよいのではないかという考えから出発している。これもまた、シンちゃんモデルである。
チャチャの体に異変が生じた。背中に小さな瘤やイボのようなものができた。耳元に引っかき傷があって治りが悪い。ここは地域猫のたまり場でもあるので、喧嘩によるものだと思った。いずれ治るだろうと、たかを括っていたのだが、治りの悪い耳の下にわずか数日で大きな瘤ができてしまった。
悪性のリンパ腫。治療不能とのこと。病院で頂いた薬は、劇的に効いた。けれども、獣医はそれも一時的な効果だという。苦しみや痛みがないような薬は必要だが、延命治療は望んでいない。人も猫も同じ生き物で、死ぬときは自然の摂理に従う方がよいと思う。それは、これまでの看取りにおいてお年寄りたちが教えてくれたことである。
チャチャの年齢を考えると老いによる寿命ではないことは明らかだ。僕らはチャチャを家猫にはしていなかった。外猫は家猫よりも寿命が短いと聞く。
老人ホーム内に入れないようにしていたのだが、チャチャのほうが一枚上手で自由に出入りしていた。人生のほとんどを外で生きたのだから、チャチャはいろんなことを体験しただろう。姫という名前の地域猫は相性がよかったようで、彼女が来たときは「ニャ~」と鳴いてご飯をやるよう僕らに指図していた。いまでも地域猫が3~4匹いて、彼らとの駆け引きに余念がない。チャチャは幸せだっただろうか。まだ死んでもいないのに、いろんなことを考える。
チャチャの病を聞いて、退職した職員がやって来た。チュールを始め、食べやすいものを見繕ってくれている。
事務員の椎原さんは看取りたいから、シンちゃんみたいに、いなくなって欲しくないという。僕もそう願いながらも、シンちゃんのように人知れず死んだとしてもいいと思ったりしている。