僕の老い方研究僕の老い方研究

第19回

時間から離脱する

2024.11.27更新

 20代の頃、勤めていた老人ホームには保護室という名の隔離部屋があった。

 そこには3人のお年寄りがいた。目の見えないツイさんは「かみたま村には~」と昔話風の語りをする。ウイチさんは、思い出したように「ほう、なるほどね」と呟く。チヨノさんは「すっととん、すっととん、と、かよわせて~」と歌いながら、ツイさんとウイチさんの周りをグルグルと回っている。

 あの部屋は時間が止まっていた。「かみたま村には~」「ほう、なるほどね」「すっととん、すっととん」のループが時間を滞留させていたのだろう。人間には創り出せない悠久感を醸し出していた。繰り返される「かみたま村には~」「ほう、なるほどね」「すっととん、すっととん」は、常に存在する山河のように、そこにあった。だからだろうか、3人の部屋に行くと、妙にホッとしたのである。

 僕が、満面の笑みで喜んでいても、この世の終わりのような顔で悲しんでいても、彼らは何の関心も寄せなかった。ツイさんは亀のように丸くなりブツブツと呟き、「かみたま村には~」と言う。ウイチさんは仰向けに寝っ転がって、顎髭をさすりながら「ほう、なるほどねぇ」と目を細める。小さな体のどこに、あんな体力があるのだろうかと思わせるほど、部屋の中を歩き続けるチヨノさんは、決まって「すっととん」と歌う。

 共に住まう互いにも関心がないように見えた。一緒にいながらも、すれ違ってばかりいる「関心のない感じ」もまた、形容し難い居心地のよさを与えてくれた。

 ごくたまに、ツイさんが「かみたま村には~」と言うと、ウイチさんが「ほう、なるほどね」とタイミングよく呟くことがある。単なる偶然にすぎないと思いつつも、それだけではない「何か」を感じずにはいられなかった。その間合いに居合わせることができると「今日は、いい日だな」と思えたりもした。

 時間というものが、あの部屋にはあったのだろうか。ツイさん、ウイチさん、チヨノさんは時間を感じていたのだろうか。時間を認知できない障害老人として了解してしまいがちだけれど、彼らは時間というものの存在を無効化していたにちがいない。

 時間なんて、人類が創り出した共通概念であって、「わたしの体」のようには存在していない。無いものを認知できないのは当たり前のことかもしれない。太陽が昇れば目が覚めて、朝昼夕と腹が空き、日が沈めば眠くなる。放心気味におしっこをし、顔をしかめてうんこする。彼らは時間と無関係に、体を営んでいた。その合間を縫うように「かみたま村」「ほう、なるほどねぇ」「すっととん」がこだまする。

 3人が暮らす部屋を出たとたんに僕は時間に追われた。わずかな介護員で大勢のお年寄りたちを短時間で介護することが当たり前だったからだ。定刻までに業務を終了させるために職員は一丸となっていた。一丸になれない人は批判された。

 その忙しさときたらまるで「安い、旨い、早い」をモットーとする食堂の調理場さながらだった。要領が悪く、覚えの遅い僕は、そのスピードについて行けず、あの部屋によく逃げ込んだ。皮肉なことに、彼らは隔離されることで、高速回転で駆動する介護から護られていたのである。

 「爺捨て山」で作業していると「あれ、この空気、どこかで感じたことがある」と不意に思うことがある。時間を感じさせない空間。一緒にいるのに関心が寄せられない、ずれ。そう、そう、これは、ツイさん、ウイチさん、チヨノさんが暮らしていた隔離部屋に漂っていた雰囲気だ。

 「かみたま村」の語りのごとく朝日が昇り、「すっととん、すっととん」と働いて、「ほう、なるほどねぇ」で日が暮れる。時間が流れるのではなく、営みが繰り返されている。太陽は毎日、昇るけれど同じ朝陽はない。いつ見ても変わらぬ野原は、季節の合間を繋ぐように植物の種類が変わる。空を彩る夕陽も、それを見送る鳥の声も、いつものように沈み、いつものように聞こえているが、同じものは何ひとつないのであった。朝昼夕の定型の中で、二度と同じことの起こらない営みが、生き生きとしている。

 「爺捨て山」に棲む生きものたちは時間を感じているのだろうか。

 初めてあの土地に訪れたとき、地を覆っていたのは笹竹の群れだったが、花を咲かせたのち一斉に枯死した。その後は臭木とセイタカアワダチソウが盛隆を極めていた。それらを刈り始めるとハマダイコンと野イチゴが春を占有した。夏はイネ科の草たちがモリモリとし、秋はムラサキツユクサが可憐な花を咲かせるようになった。冬になってようやく植物たちは静かになり、「この土地はこんな形をしていたのか」と全体を知る。

 その様子をみていると、それぞれ植物たちは出番の来る日を待っている感じがある。僕がちょっと手を入れるだけで、新たな植生が展開する。枯死したと思っていた笹竹は十数年後に、ちらほらと姿を見せるようになった。みんな機会をうかがいながら、登場できる日に備えているように思えた。

 朽ちて倒れた木の皮を剥いてみた。這うように張りめぐらされたトンネルが現れる。食べながら住まいを作っているらしい。大きな木は、さまざまな虫の食べ物、兼、家となりながら分解されていく。

 幹に潜む一匹のカミキリムシの幼虫に出会ってしまう。そのままにしておきたいが、この木は小屋の材料にしたいので、そうもいかない。ほじくり出された幼虫は逃げ出すこともできず、もぞもぞとする。おそらく死ぬだろう。なんとなく、うしろめたくなった。こんな場合、こいつを食べて、僕の「いのちの糧」にしてしまえばよいのだと思う。今はまだ無理だけど。

 そのような営みが前提となっているからだろうか。虫たちは、僕と遭遇すると一目散に逃げ出していく。虫よりもっと大きな生きものであるイノシシは土を掘り返し「爺捨て山」の大地を穴ぼこだらけにする。「ここで生きているぞ」と誇示しているようにもとれるが、その姿を簡単には現わさない。僕も、出会い頭に遭遇すると死ぬパターンになりかねないので、腰に鈴をつけて歩く。チリン、チリンと音を立て「俺はここにいるぞ!」と合図する。ここでは、お互いの気配をビンビンに感じ合いながらも、出会わない努力を尽くして、一緒にいる。

 春、夏、秋、冬と巡る季節に合わせて、植物は植生を変化させ、虫たちは自らの食性に合わせて植物と共にいる。「爺捨て山」には、生きものたちの関係と営みがあるだけで、時間など存在していない。

 僕は、過去→現在→未来へと流れるという時間の概念から逃げ出したいのかもしれない。離脱に成功すると、認知症と診断されるだろう。けれども、その時間のベクトルが生み出す観念によって、どれほど多くの人の心を病ませただろうか。

 春夏秋冬と朝昼夕の安定した定型の中で、同じことが2回と無い不安定が、生きものを生きものたらしめる。

「爺捨て山」から渡船場に向かう道の途中で160万人が暮らす都市が見渡せる。夜になると光に包まれた街並みが浮かび上がる。「綺麗だなぁ」と思わず声が漏れ出る。人間の創り出す造形美に心がつかまれる。

 あの煌びやかさは高出力で回転する経済社会によってもたらされている。かつては夜景の美しさを見るたびに、繁栄の象徴として幸せすら感じていた。けれども、その引き換えに僕たちは、急き立てられるように時間に追われてきたのだと思う。

 隔離されていたツイさん、ウイチさん、チヨノさんが時間を無効化したように、「爺捨て山」の生きものたちも、時間から解放する。そして、僕を診断どころか審判すらせず、一緒にいて、最期はきっと食べてくれる。ここなら、誰からも急かされることなく老いを重ね、死ねる気がする。

村瀨 孝生

村瀨 孝生
(むらせ・たかお)

1964年、福岡県飯塚市出身。東北福祉大学を卒業後、特別養護老人ホームに生活指導員として勤務。1996年から「第2宅老所よりあい」所長を務める。現在、「宅老所よりあい」代表。著書に 『ぼけと利他』 (伊藤亜紗との共著、ミシマ社)『ぼけてもいいよ』『看取りケアの作法』『おばあちゃんが、ぼけた。』『シンクロと自由』など多数。

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