第10回
編集⇆発酵 を行き来する。
2019.09.08更新
自分の中でなんだか盛り上がってきちゃったので、引き続き編集発酵家のはなしを。前回は、編集につきものの「発行(アウトプット)」を「発酵」にすると良いよ。という話を書いたわけだけれど、今回は、もう一つ思考を深めて、編集と発酵を行き来することの意味について書いてみたいと思う。
今月末(9/29)から、秋田県立美術館で『あこがれの秋田』という名の展覧会を開催することになった。秋田県庁さんのお仕事として2012年から2016年まで編集長を務めた『のんびり』というフリーマガジンの取材中に撮影された写真を展示する展覧会なのだけれど、この展覧会の企画書を書いたのは、4年前、のんびりの終刊を決めた2015年のことだった。
何ワードも費やさなくとも、たった一枚でより豊かに状況を説明できる写真は、テキストメディアの編集において欠かせない存在。もちろんその逆もしかりで、テキストと写真の双方が互いにリスペクトを持ちながらつくられているかどうか? というのが、よい書籍や雑誌を見極める一つの指針だとすら思う。つまりはチームプレイの賜物になっているかどうか。
そんな思いで雑誌づくりをしていると、カメラマンが撮ってくれた最高な写真を、編集上、説明的に使用せざるをえなかったりして、写真そのものが本来持っているチカラをまっすぐ表現できないジレンマが起こる。「この写真は雑誌に掲載するだけではあきらかにもったいないよね」と、そんな話をデザイナーさんとすることも多く、雑誌を続けていくということは、ある意味、そういうフラストレーションを溜めていくことでもある。
『のんびり』は季刊誌ゆえ、年4回と比較的発行ペースは少ないものの、それでも4年も続ければ16冊分の熱量の塊が、心の写真墓場に浮遊しているのを感じることがあって悩ましかった。僕は、一つのことを長くつづけるコツは「忘れることにある」と思っていて、それゆえに、忘れることに関してはかなりプロである自信があるけれど(歳重ねていよいよ師匠クラスになってきた)、それでも、現実問題、情熱を傾けるものが転々としていくのは、上述のフラストレーションをどこかで消化しきらないと前に進めない性質ゆえなのだと自覚しはじめている。だから僕はこれ以上それらが増えていくのに耐えられず、『のんびり』を終えることを決めたと同時に、『のんびり』のクリエイティブを支えてくれた写真たちを、写真そのものとして輝かせるような展覧会をしたい! と企画書をつくった。
写真の価値は多様にあるけれど、僕が一番大切だと思うのは「再び見られる」ことの価値だ。つまりは記録しアーカイブされることの価値。しかしフリーマガジンというのは、アーカイブされることに対して、もっともハードルが高い媒体だと言える。無料のものは衝動的に手に入れやすい分、捨てやすくもあるからだ。けれど「写真」は再び見られることでその使命を果たす。いま目の前で撮った写真はいつだって、未来に見られることを想定されて撮られている。なのにたった一回何かに使用されて役割を終えるのは悲しい。
だからこそ、発行を終えたそのあとに発酵を意識することで、少なくとも僕はとても救われた。発酵とは希望だ。あくまでも美味しくいただくことを前提に寝かしたり、時間をおく。するとどうだろう。時間をおけばおくほどに、当時とは違った風味が付加されて、ネガティブに溜まっていくばかりのフラストレーションが、まるで高級ワインのように長期熟成され、より価値のあるものにチェンジしていくようにすら思えた。
つまり、今回開催する写真展『あこがれの秋田』は、『のんびり』の<発行>を終えて、さらにその写真たちを<発酵>させた展覧会だ。当時、カメラマンたちが丁寧な仕事をしてくれたからこそ、腐敗することなく長期熟成に耐えて、またあらたな価値をもって見ていただけるものになっているはずだ。
こうやって編集と発酵を繰り返していくことで、物量は少なくとも情熱を注いだ仕事たちがより豊かな実りを与えてくれる。編集者のなかには、僕のように発行のあとに発酵期間が必要な編集者というのも一定数いて、そういう人が編集発酵家なんだろうなあと思っている。
編集部からのお知らせ
【展示情報】
のんびり写真展『あこがれの秋田』
会期:9月29日(日)~10月27日(日)
場所:秋田県立美術館
藤本智士さんが編集長を務め、2012~16年に発行された秋田県のフリーマガジン「のんびり」で掲載された写真を紹介する写真展です。県外の写真家が撮影した風景や郷土芸能の写真など、紙面に載り切らなかった作品も含め約150点が展示される予定です!