第18回
「三浦編集長」が編集の教科書だと思う理由
2020.04.06更新
三浦編集長こと、三浦類くんに会いに島根県大田市にやってきたお話は今回が最後。僕は本気で「三浦編集長」は編集を学ぶ最良の教科書だと思っているので、その理由を三浦くんとの対話の続きで伝えたいと思う。
藤本 あらためて1号目から読み直していて面白かったのは、1号目、2号目とか初期の頃は、三浦くんが本当に真っ白やから、知らぬが仏的なワンパクさがあるんだよね。それが2年目、3年目になって、だんだん三浦くんが不安になってくる。つまり、「そもそも誰が読んでるんだろう?」とか、余計なことを考え出しちゃう。
三浦 そうですね。わけもわからないまま始めて、何号か発行してきたけど、進んでる方向は合ってるのかな? っていう思いがどんどん芽生えてきました。でもその答えは、正直、会社の人ですらわからないんですよね。
藤本 そんな風にみんながわからないままやるって、本当にすごい。だけどそれって僕はめちゃめちゃ健全なことだと思う。フリーペーパー作ろうとか、ひょっとしたら起業しようとか、とにかくなんでもいいんだけど、何かを始めようとするとき、普通はやる前にいろいろ迷ったり不安を抱えたりするでしょ。で、結局やらないままになっちゃう人がほとんど。だけど三浦くんの場合は状況はどうあれ、とにかくまずスタートさせてる。そしてその後に不安が膨れ上がってくる。この流れほんと重要。繰り返すようだけど、この不安をだいたいの人はやる前に過剰に抱えちゃう。で、やらない。だからこそ三浦くんの、まずはやってみたけど、だんだん不安になってきたっていうのは、とても貴重なアウトプット。さらにそれを4年、5年と続けているわけだから、「三浦編集長」って、ものすごく貴重なドキュメントだよね。
三浦 誌面のなかで結婚して子どもも生まれてますしね。
藤本 そう、三浦くんの生活がそのままそこにあるんだよね。それはもちろん、ボスに与えられた大きなミッションとしての、大森町の暮らしを伝えるということではあるんだけど。
三浦 そうですね。先ほど会社の理念の広報と言いましたけど、会長自身が大森町で生まれ育って、この町の暮らしをすごく大切に思っていて、それを持続可能な形にしていきたいという思いがある。それが企業としての理念でもあるので、そんなにも大切にしようとしている町がいったいどんな町なのか、そこの暮らしというものはどういうものなのかっていうのを、具体的なひとりの人間の暮らしを描くなかで伝えられるといいなと思っています。
藤本 いつのまにか表紙に奥さんが写っていて、次は子どもと一緒に写っているとか、これ、三浦くんに会ったことないのに孫みたいに思ってる人とか沢山いそうだね? 群言堂のお客さんとか。
三浦 ほんとにそうなんですよ。お手紙いただくんです、すごい達筆な。結婚祝いをいただいたり。うれしいですね。
藤本 やっぱりなあ、そうだよね。ちなみに「三浦編集長」が「三浦編集室」に変わったのはいつだっけ?
三浦 昨年(2019年)の初夏、5月くらいですね。
藤本 それはどういう経緯だったの?
三浦 「三浦編集長」を5年間、vol.19まで作ったところで、一度現在地を見直して、これからやるべきことを考えてみようと思ったんです。それまでは写真も中身も自分で考えて作ってたんですけど、町で一緒に暮らす仲間たちもたくさんいることだし、そういった人たちにもっと発信をしてもらって、僕が伝えらえる以上のことを発信していけたらいいなと。それに、暮らしてると外から来られるいろんな方と出会うんですね。400人の小さな町にいながらそういった外との交流がちゃんとたくさんあるって、すごい価値あることだなと常々思っていて、そういった方にゲストライターとして文章を書いてもらえないかなと思ったり。そういうことをもっとやっていけたら、大森で暮らす人たちの生き方と外の人たちの生き方がリンクする部分まで描けるんじゃないかと。ボリュームも倍に増やして。その分、大変さは増えるんですけど。
藤本 まさかのページ数が倍っていう。
三浦 思い切ってボリュームアップをはかりました。
藤本 で、ここで僕が押さえておきたいのは、三浦くんはそれまでの5年間、ずっと一人でやってきたっていうこと。「三浦編集長」が「三浦編集室」になったことのシンプルな違いはチームプレイになるっていうことだもんね。ちなみに、このステップの踏み方も僕はとてもとても素晴らしいと思ってるんだけど、どういうことかと言うと、ふつう編集者になりたいとか、雑誌作りたいって思う人は、出版社に入ったり編集プロダクションに入ったりするじゃないですか。そうするとまず、雑務みたいなものは置いておいて、編集者のやる仕事ってやっぱりディレクションなんですよ。誰に書いてもらうか、どういうカメラマンにするかとかをやっていく。だけど三浦くんの奇跡は、5年それやらないできたってことだと思うんだよ。いわゆる編集者がみんなやってることを5年間一切やらないで、自分でやる5年を経て、初めてディレクションする。でもね、この歩み方は、三浦くんのとても大きな武器だと思う。三浦くんはもはや、個人の書き手や作り手の苦悩がわかりすぎるほどわかるはずだから。めちゃめちゃいい編集者になるよ。いや、なってる。
三浦 まさか、ありがとうございます。
藤本 だけどね、これまでは一人でやることの苦悩だったのが、チームゆえの苦悩に変わって、それが実はこれまで以上に大変だと思う。いますでに大変じゃない?
三浦 はい。3号まで出しましだけど、毎号、人に原稿をお願いして「先生、原稿まだですか?」みたいなことをまさか自分がやる日がくるなんて思ってなかったです。それに、ゲストの方とお金のやりとりが発生したりもするわけで。中には物でいいとか、遊びに行ったときにご馳走してみたいな人もいらっしゃるんですけど、それでも大人の貸し借りみたいなものが発生していくので、これはこれで全然違う大変さがあるなという実感です。
藤本 だよね。ストレスたまるよねー。でも、お金の話はうやむやにして発注しちゃうと思い違いが出てきちゃうから、最初に言わないといけないし。だけどなんだか最初からお金の話するのも嫌だしねえ。
三浦 そうですね。お金の話から入らないようには気をつけて。ちょうどいいタイミングでっていうのをすごい気をつかって。
藤本 わかる。ああ〜、経てるなあ。あらためてボスの胆力はすごい。今日お話きいてみて、「三浦編集長」は素人だからこそ突破できることがあるんだってことを象徴する究極のアウトプットだと思う。それこそいま三浦くんって、ちゃんと編集長っぽいもんね。今回、編集室に伺わせてもらって、そこの席に座る三浦くんは編集長やなって思った。だから、あ〜やっぱりそうなるんやって感慨深い気持ち。
三浦 初めて言われてます。
藤本 いやあ、よそ者目線で見る限りはしっかり編集長だよ。
三浦 自分自身これを作り始めたときに、自分が編集者っていう自覚って全くないわけですよね。誌面を作るにおいても何かを編集しているっていう視点がないまま作っていた5年間だったと思うんです。それもまた一つのコンプレックスというか悩みになっていて。編集長って勝手に名乗っちゃってるけど編集できてるのかどうかもわからないし。そういう気持ちで長くやってきたので、そろそろちゃんとしたいなっていうのもリニューアルで密かに思っていたことなんです。なので、それを言ってもらえて、すごいうれしいです。
藤本 唐突だけど、僕、ジャニーズの「SNOW MAN」ってグループのファンクラブ入ってるんですよ。まあそれは本当にどうでもいいんだけど、このあいだテレビ見てて、フジテレビの青木さんっていう男性アナウンサーが大のジャニーズ好きで、彼が「ジャニーズは一大叙事詩だ」って言ってたのね。これファンじゃないと意味わかんないと思うんだけど、つまりはジャニーズを追いかけるって、大河ドラマをみるようなもんで、あの小さくて可愛いかった子がこんなかっこいい大人になってとか、あの子とこの子はジュニア時代に一緒のグループで頑張ってたけど、片方の子だけがデビューしちゃって、でももう一人の子も遅れてデビューできて、そんな二人が共演して肩組んで歌ってるの超泣けるとか、とにかくそこにいたる歴史込みで大好きってことなの。
三浦 なるほど。
藤本 なので、僕が何を言いたいかっていうと、「三浦編集長」はまさにそれで、何も知らなかった子がこんな立派な編集長になっていくんや・・・っていうのをジュニアの子を見るような目で見てる(笑)。だからこれ絶対一号目から続けて読んでもらったほうがいいんで、いつか一冊にまとめてね。
三浦 はい、それはずっと胸の内には秘めてることですね。それこそ5年経ったときに、そろそろまとめて本にしたいなって思いました。
藤本 ぜひ実現してほしいし、なんだったら、ぜひその編集を僕にやらせてくれへんかなって思う。
三浦 ほんとですか?
藤本 もちろん本気です。『三浦編集長』は三浦くんの生活を通した大森の暮らしの記録であるし、さらに僕の視点で言えば、三浦くんという若者が真に編集長になっていく記録を通して、編集するってこういうことなんだ! という学びを得られる、すばらしい「編集の教科書」だから。
三浦 編集の教科書・・・!
これで三浦くんとの対話はおしまい。気になった方は、ぜひ『三浦編集長(現在は三浦編集室)』を手に入れてみてほしい。そして僕は、いつの日か三浦くんのボスである松場大吉さんにもお話を聞いてみたいという気持ちでいっぱい。