第21回
「にかほのほかに」のこと01 〜ロゴの編集〜
2020.07.07更新
いま現在取り組んでいる「にかほのほかに」という施設のことについて書いていこうと思う。
秋田県最南の町、にかほ市にある旧上郷小学校。二年前に閉校してしまったこの建物を、いまいちど未来のために活用しようと、そのプロデュースに手を上げた。
その施設のあたらしい名前を『にかほのほかに』とした。
前から読んでも後ろから読んでも「にかほのほかに」。そんな回文の面白さ以上に、そこにある利他の精神をこそ僕は伝えたかった。
あまりにも突然やってきた、新型コロナウイルス感染の脅威。不安な日々が続くなか、僕たちはいよいよ限られた資源、人材、経済をシェアしながら豊かさを生み出していかなきゃいけない。
また、これまでは「是」とされてきた、密集が敬遠され、イベントであれ、町そのものであれ、たくさんの人が集まることを目標として掲げることが難しい状況のなか、疑惑渦巻くGo Toキャンペーンよろしく、各地が「他所よりも、うちへ!」と主張しあうことには無理がある。
そもそも、全国の地域が人口を取り合う移住定住施策に疑問を持っていた僕は、さまざまな地域が連携しあう具体的事例をここでつくりたい。その足がかりとして、せめて秋田県内の市町村がその枠組みを超えて互いを認め合う姿をここから発信したいと思っている。だからこそ「にかほのほかに」なのだ。にかほもいいけど、他所もいい。控えめながらも確固たるプライドを持つことを大切に、これからの日本に必要な「利他の精神」をにかほから全国へ届けるのだ、という意思を込めた。
その根底にあるのは、ダイバーシティ(Diversity=多様性)の考え方だ。様々なヘイト発言やセカンドレイプで溢れるこの世の中で、いま最も必要じゃないかと感じるのは、自らの常識や正義を疑うことだ。自分にとっての「正しい」は、全員にとっての「正しい」ではないし、その正義は多数決で決めるものではない。
当たり前だけれど、多様性への理解は、多様な世界を知ることからしかはじまらない。同じ組織、同じ地域、同じ文化で居続けることは、居心地がよいかもしれないけれど、一つの地域にいてもSNSを通じて、簡単に違う地域、違う組織、違う文化の人たちに発信ができる世の中は、そのことで簡単に他人を傷つけてしまう世の中でもある。
だからこそ僕たちはいよいよ多様性を真に理解しなきゃいけない。これからの地域編集に、そのことは欠かせない。だから僕は「にかほのほかに」から、自分を含め、地方の人たちが多様性を認めあう訓練をしたいと思っている。
その一つの試みとして、今回伝えたいのが「にかほのほかに」のロゴだ。
にかほが誇る「北限のいちじく」と、鳥海山が蓄えた「豊かな湧水」を一つに融合させることで、鳥海山と日本海に挟まれた、にかほの美しい情景を表現した。
ベースとなるこのロゴを、まちの人たちに木版刷りで刷ってもらった。
これら町のみなさんが刷ってくれたすべてをオフィシャルなロゴとした。なので今後もどんどんと増えていく。僕は「にかほのほかに」のロゴを一つにしたくなかった。
そもそもロゴは一つでなきゃいけないなんてことはない。それでも多くのロゴが一つである理由を一言で表すならば「効率」だ。ビジュアルアイデンティティを明確にするためには、そのロゴ自体が揺らぐことにメリットなんてないのは当然のこと。だけど僕は敢えて、ロゴに「揺れ」や「遊び」や「余地」を与えたいと思った。すなわち明確な一つにロゴを決めてしまうのではなく、微妙な違いや差異を内包するロゴをつくってみたかったのだ。そのためには考え方や思想を共有することが大事だ。だからこそ逸脱できる。これは僕が思う成熟した社会の姿。
人々を管理コントロールしようと思うほどに、組織の中枢はルールを定めたがる。だから大抵のルールは小さき者の声を無視している。マイナンバーのような、つまんないコントみたいな不毛ルールも、一方的な視点で効率を求めた結果でしかない。契約書のハンコのように、いろんなものがテクノロジーの進化や、時代の流れに乗れず、本末転倒したままでいる。
そんな効率重視な世界を終えて、これからは面倒で手のかかる仕組みを愛していく方がいい。それこそが多様性を理解するスタートだ。「ここまでは大丈夫かな?」「いや、やっぱりだめか?」ひとりひとりがそうやって悩む余地を残すことが、これからのクリエイティブには必須。そうしていかなければ、ルールをはみ出したと、他人の揚げ足をとったり、粗探しに生きがいをみつける人が減ることはない。
ちなみに、このロゴはホームページをリロードするたびに変わる仕様になっている。
まちに貼られるポスターも出来るだけ種類を増やして、それぞれ違う人が作るロゴを使っている。
「にかほのほかに」で僕がやりたいこと。町のみなさんとともにつくりたい未来は、既存の何かではないから、いまはわかりにくくて、なかなか理解してもらいにくいかもしれない。だからこそ、こういった体感が伴う行動から、伝え続けていきたいと思っている。