第24回
編集にとって大切な「待つこと」の意味
2020.10.08更新
共著『アルバムのチカラ』が原案の一つとなった映画『浅田家!』が10月2日に公開された。
『アルバムのチカラ』は、写真集『浅田家』で木村伊兵衛写真賞を受賞した写真家の浅田政志くんと二人で、津波で泥だらけになってしまったアルバムや写真を洗浄し持ち主の元に返す、東日本大震災における写真洗浄ボランティアの現場を取材した記録だ。
まさにアルバムのチカラを信じていた僕と浅田くんが、なんのアウトプットも決めないまま、とにかく被災地で起こっている写真洗浄のことを未来のために記録しておきたいと、2011年から二年間かけて沿岸部を回った。
その後、当時まだ珍しかったクラウドファンディングを活用させていただいて、2014年に書籍として赤々舎から出版された。以下は当時のプロジェクトページ。取材に同行してくれた"柴っち"という映像ディレクターが作成してくれた動画がアップされているので、ぜひみて欲しい。
「写真をプリントすることの大切さ」
「アルバムの価値」
これは編集者として僕が長年、伝え続けてきたテーマの一つだ。2020年のいま、こうして映画作品というカタチでその思いを広く伝えられることをとても嬉しく思っている。映画化を進めてくれたプロデューサーの小川真司さん、最高のエンタメとして昇華してくれた中野量太監督、そして何より、浅田くんに感謝だ。
しかし浅田政志とは、なんという大切な使命をもった写真家なのだろう。
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そこで今回、地域編集がテーマのこの連載で書いておきたいと思ったのが、「待つ」ということについての話。この「待つ」については、この連載においても「編集発酵」というテーマで以前書いたけれど、とても重要なことなので、少し違う視点からさらに書いてみたい。
「待つ」。この、無責任にも思える態度が、編集者の胆力を試されるとても大きなポイントだと僕は思っている。しかしながら「待つ」は放置することではない。かと言ってずっと手をかけ続けろとか、かたときも忘れるなとか、そういうことでもない。しかし「放置するでもなく、こまめに手をかけるでもない」と言われてしまっては、読者のみなさんも戸惑うかもしれない。しかし何も難しいことではない。「待っている」ということは、言い換えれば継続した状態ということ。つまり、「待つ」とは「済印を押してしまわない」ということだ。
僕がアルバムの大切さを知ったのは2006年のこと。編集長をしていた雑誌の特集取材で、写真をプリントすることの大切さを知った僕は、デジカメやスマホの普及でアルバムをつくるどころか、写真をプリントしなくなったお母さんたちが増えていることに不安を感じ、なんとかアルバム文化を残せないものかと、カメラメーカーやアルバムメーカーさんたちと協同して、「アルバムエキスポ」なるイベントを企画したり、富士フイルムさんに協力いただき「アルバムつくってますか?」と、たった一言だけのコピーを添えたポスターを作って、日本全国の写真屋さんに掲示してもらったりなど、あの手この手で、アルバム文化を未来につなぐための編集を施した。その結果、2008年の時点では、アルバムメーカーさん調べで50%まで下がっていた子育て主婦層のアルバム制作率は2010年に再び70%まで増加した。
しかし当時の僕にとってはそれが限界だった。スマホのカメラ機能が年々優秀になり、伴ってシャッター数が増えるほどに、写真データは、またプリントされなくなってきていた。
けれど写真プリントの価値は不変だ。デジタルデータは、スマホにしろパソコンにしろ、なにかしらモニターを備えたハードがなければ見ることができない。一方、写真プリントはそれそのものがあるだけでいい。この当たり前の事実はとても大きく、その価値が露わになったのが東日本大地震だった。
津波で大きな被害を受けた東北沿岸部において、人命救助に奔走する自衛隊のみなさんたちは、ハードディスクやCDは踏んでも、アルバムや写真フレームは踏むことができなかった。そこに、確かに人の存在を感じたからだ。またある意味で津波の被害をうけなかったネットサーバー保管の写真たちは、ご本人が亡くなってしまったことでパスワードがわからなくなり、あるはずのデータがないものとなった。
そんな写真プリントの価値に気づき、それらを救おうとした各地のみなさんの行動と思いの記録が、やがて書籍「アルバムのチカラ」になった。
僕がその記録をどうしても本にしたかったのは、「写真をプリントすることの大切さ」「アルバムの価値」、これらに、いよいよ済み印を押したくなかったからだ。本づくりの制作過程における、原稿の入稿、そして印刷が上がったときの安堵感は、「終わった」ではなく「これで待てる」という気持ちに近い。僕に代わってこの一冊が、世の中にメッセージを伝えてくれる。そしてそこに共感してくれた人がまたあらたなアクションを起こしてくれるはず。そういう希望をもって待つために、本をつくるのだと僕は思う。
しかしそれがもちろん、本でなくてもいい。商品でも、イベントでも、映像でも、思いを込めた未来へのメッセージをカタチにすることで、僕たちはようやく「待つ」というフェーズにいける。カタチにして待つ。これは編集者のとても大切な仕事だ。
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例えば僕がタイガー魔法瓶さんと作った&bottleという水筒がある。
コップ付きのこの水筒は、共同開発プロジェクトがスタートしてから発売に至るまでに、なんと12年もかかった。普通なら頓挫して終わりと、途中で誰かに済印を押されてもおかしくなかっただろう。けれど、僕もタイガーさんも決して済印を押さなかった。なんの動きもない数年間があっても、僕たちは待った。
小型軽量化がすすむ世の中に反するようなコップ付き水筒。大人も持てるシンプルなデザイン。大切に売ってもらうための流通。僕が大切にしたこの3条件は、12年前からずっと変わらない。けれど当時は受け入れてもらえる状況ではなかった。だから待った。
そしてこの商品がカタチになった現在もまだ僕は待っている。コロナ禍を超えて、飲み物をシェアしあえるその日のために。地球環境を考えたペットボトルを使い捨てない世の中のために。僕はまだまだ済印を押さない。そうやってビジョンを信じて待つことが、地域編集にとってとても大切だ。
待つということは、言い換えれば、ポジティブな諦めとも言える。それは「一人ではビジョンをカタチにできない」という諦めだ。そのビジョンが大きく壮大なものであるほどに、他力本願が重要になってくる。いまの世の中には「自分でなんとかしろ」という空気が漂っているけれど、自分でなんとかできることなんてたかが知れている。大きなビジョンはいつだって、偶然やミラクルや出会いやご縁が加わってはじめて現実に近づいていく。
『アルバムのチカラ』で伝えたかったことが、映画『浅田家!』として昇華され、この映画が、また誰かにそのバトンを渡してくれる。待つことは希望だ。編集って最高だなと思わせてくれた映画『浅田家!』をぜひ、みなさんにも観てもらいたい。