第27回
フィジカルな編集のはなし
2021.01.08更新
SNSをはじめ自分のnoteなど、いろんなところで書きまくっているのだけれど、47歳になろうとしている僕が、今年スケボーを始めた。
ミニクルーザーというジャンルの、全長56cmほどのコンパクトなスケボーで、いまは180cm以上ある身体をボードの上に乗せるだけで必死になっている。
始めてからまだ数日だけど、なんとか今年中には、もう少しスイスイと乗りこなせるよう、毎日練習・・・ではなく、上手な人の動画を観ることだけは欠かしていない。イメージは大切。
そもそも、どうしてスケボーを始めようと思ったのかというと、昨年末の小さな飲み会がきっかけだった。コロナ禍で友人ともなかなかリアルに会えないなか、久しぶりに少人数でご飯でも行こうよと、仙台の街で大人3人、食事をしていたときのこと。
友人の一人が小学生の息子とスケボーをして遊んでいたら、盛大にこけて大怪我をしたという話になった。大事には至らなかったものの、40歳を超えてこんなに血を流すことがあるのかと思ったという彼は、その日の午後から家族で映画を観に行く約束をしていたらしく、慌てて息子と一緒にドラッグストアに駆け込み、奥さんに心配かけまいという気持ちと、気恥ずかしさから息子に「かあちゃんには内緒だよ」と、自ら応急処置をして、何食わぬ顔をして映画を観たと笑いながら話してくれた。しかし大事なのはここからだ。
そんなに大量の血が出るくらいの大きな怪我でも、「人間ってすごいもんで、傷って治るんだよね」と、彼はまあ、とても当たり前のことを言った。しかし類は友を呼ぶもので、僕らはその至極当然な一言に、妙に感動した。
そこでさらに別の友人がこんなことを話しはじめた。ちなみにここで話し出した彼はマジでスポーツ選手になった方がいいんじゃないか? と思うほど身体能力が高い。いつのまにか弓道を始めたと思ったら9ヶ月で初段合格するし(相当すごいことらしい)、毎年ドラフトの季節に「まだ呼ばれてない?」とみんなに冗談を言われるほどのスポーツマン。一方僕は運動がてんでダメだから、いつも彼のことを憧れの目線でみている。そんな彼が、こんなことを言った。
「フィジカルな充実が心の充実を促す」
彼は東北のものづくり企業を応援する仕事をしていて、いろんな事業者さんから相談を受けることが多い。商品のこと、売り場のこと、デザインのこと、ときには個人的な悩みも。特に若い世代の人たちから相談を受けたり、深く悩んで動けないでいるのをみると、彼はいつも「とりあえず20km走ってみぃ」と言うらしい。いかにも体育会系な昭和おじさんの一言に思えるかもしれないけれど、彼はそんな堅物親父ではない。彼はこれを「カロリーの使い切り」と呼んでいるらしいのだが、20km走ったら当然のごとく身体がクタクタになる。つまりは20kmでなくても、とにかくカロリーを使い切るほどに運動をしてクッタクタになったら、当然人間は倒れる。疲れ切った身体を回復するべくそのまま眠りに落ちて、睡眠とともに徐々に身体が回復していったとき、不思議なことにもやもやした気持ちや、悶々とした思いまでもが回復して心まで軽やかになっているというのだ。だからこそ、「フィジカルな充実が心の充実を促す」と。
ここでグッと本連載の趣旨に話を戻していくけれど、地域編集において大切なことは、ロジカルな思考よりも、フィジカルな部分にある。と常々思っている僕は、さまざまがオンライン化するなかで、身体性を伴うプロジェクトが中止になったり、リアルに顔を合わせられないことからくる、もやもやをたくさん溜め込んでいたことに気づいた。ならば、僕自身がもっとフィジカルな体験を積み重ねていくことで、自分自身のバランスをとっていくことがとても大切だと思ったのだ。
そのことを考えるのに、二人の友人の言葉はあまりに示唆に富んでいた。スケボーを華麗に乗り回すことなんて、以前の僕ならやる前から諦めてしまって、始めようなんて思いもしなかったと思う。しかしコロナ禍で僕はフィジカルの大切さを痛感している。うまく乗りこなすまで時間はかかるだろうけれど、怪我をする自信ならある。もちろん好んで怪我をする気は無いし、十分に気をつけるのだけれど、それでもスケボーを練習して怪我をしないなんてことは100%ないらしい。そこに僕は惹かれた。運動神経のよしあしを超えて、身体性を信じること。それが今年の僕のテーマだ。
地域編集とは◯◯である。と大上段に構えるつもりは毛頭ないし、これからもフィジカルな実践を続けてその成果と失敗を明らかにして行けたら良いなと思う。ということで、どうぞ今年もよろしくお願いします。