第46回
弱さを起点とするコミュニティ
2022.08.07更新
弱みの吐露から始まるチームのほうが圧倒的に協働が生まれやすいことを僕はリアルな体験をもってRe:School(りスクール)から教えてもらったように思う。就活的な「できるアピール」の仲間集めではなく、「あなたの弱みを教えてください」から始まるチームビルディングがあってもいい。
Re:Schoolをそうやってスタートさせることが出来たのは「学び合い」を大切にしたかったから。僕は、編集教室的に自分が教壇に立ち一方的に課題を与えたり、何かを教えるといったことには興味がなく、それよりも僕自身がさまざまな考え方や視点に触れたいという思いが強く、そういう意味でサロンの枠組みを活用しようと考えた。
オンラインサロンと聞くと、自分とは遠い印象を持つ人もまだ多いかも知れない。それは、いまのオンラインサロンのほとんどが、「ファンクラブ」か「カルチャースクール」のどちらかしかないように見えるからだと思う。少なくとも僕が目指すサロンはそうじゃない。世代を超えて、それぞれの価値観や考え方を認め合い、そこで得た新たな視点をもとに、日々の仕事や暮らしを変化させてみたり、互いに議論することから何かが生まれたりするような場所。そんな場所のオンライン化というのが、僕の目指すサロンだ。
歳を重ねるほど、学びというのは自分との差異を認識、比較することからしか得られないのだと実感する。例えば僕がよそ者として地域に入り込んでいくときの役割をシンプルに言えば、差異を明らかにすることだ。よそ者として感じる、その地域のスペシャルが、地元の人にとっては当たり前であること。つまり、地域のふつうが、域外においてふつうでないという、その差異を可視化することと、さらにそこから起こるアクションを後押しすることが、僕にとっての地域編集と言えるかもしれない。
そのうち、地域という言葉が指す概念も変化していくかもしれない。生徒を管理することが前提の学校教育が、自由な選択で溢れる世の中と相反し、ほころびだらけになっていることを見ても、いずれ、どのオンラインコミュニティに参加しているかということが、自分の故郷や、出身校のように、ある種の重要な出自として認識される世の中になるんじゃないかと考える。
そんな思いのもと、互いの学び合いを強く意識していた僕は、Re:Schoolのメンバーをやたらに増やすことよりも、それぞれが、それぞれのことを見通せる範囲での運営にチャレンジしたいと思っていた。なので、せいぜい学校の1クラス(35名くらい)を定員の目処にしよう(というよりそれくらい申し込みがあるといいな)と考えていたのだが、タイミングが良かったのか、気づいたときには既にその倍の申し込みをいただいてしまって慌てて募集を締め切った。
予想外の70名もの参加者を前に、その一人ひとりをしっかり把握するためにはどうすればいいか? 運営開始を前に僕はずいぶん頭を悩ませた。僕が参加者全員のことを把握するだけなら、自分で努力すればいいだけだが、肝心なのは、参加メンバーにも、他の参加者のことをしっかり認識してもらうことだ。教える→教わるの一方通行から脱して、それぞれに学び合う関係性をつくっていくためには、そのことは絶対に欠かせなかった。だからと言って、zoom上で一人ずつ自己紹介の時間を取れば、たった5分でも×70人で6時間かかる。たった5分でもだ。
そこで思いついたのが「ラジオ」だった。結果、これが最高にハマった。
ラジオは究極の「ながらメディア」だ。家事をしながら、仕事しながら、お風呂に入りながら、通勤通学中、いろんなタイミングで何かをしながら聴くことが出来る。オンライン上とはいえ、70名が同じ時間に顔を合わせることは難しい。だけどラジオなら、それぞれのタイミングで聴くことが出来るし、何よりラジオは、映像以上にその人となりが見えてくる。そこで参加者全員に自己紹介ラジオを録音してもらうことにしたのだけれど、その際にちょっとしたルールを設けた。「尺」、つまり収録時間を年代によって決めたのだ。
◉20代→ 20分~30分
◉30代→ 10分~20分
◉40代→ 5分~10分
◉50代以上→ ~5分
僕はいま48歳だけれど、歳を重ねるにつれさまざまな経験値が増え、その結果饒舌になり過ぎたと反省することが多い。前回書いたRe:Schoolの応募条件に、「聴くこと」が得意な人、もしくはそうなりたいと願う人。というのがあったのだけれど、それはそんな僕の反省からきている。なので、会社組織など、社会の多くの場面において、どうしても発言のウェイトが少なくなりがちな若い年代の人ほど、長く喋ってもらうようにした。
また、基本は自己紹介ながら、初めての体験ゆえ、話すことに迷うこともあるだろうと、以下のテーマを参考にお喋りしてもらった。
1)住んでいる町のこと
2)いまの仕事のこと
3)どうしてりスクールに参加してみようと思ったのか
4)いま困っていること(苦手なこと)
5)みんなに伝えたいこと(知ってほしいこと)
予想を超えて大所帯になってしまったメンバーの自己紹介をなんとかよい形でやれないだろうか? が起点だったこの試みだが、毎日のように送られてくるメンバーからの音声データにジングルをつけてはアップするという作業は実に楽しいものだった。そして意図せずこのラジオが、当初から僕が描いていた「学び合い」を実現させてくれた。
ラジオ。しかもまったくの一人語り。それはまさに自分と向き合う時間。特定のメンバーとはいえ、見知らぬ誰かに話すという行為はみんな初めてだろうし戸惑いもたくさんだったと想像する。それでもとにかくやってみたラジオの内容がそれぞれ本当に素晴らしかった。その一つひとつに対して、メンバーそれぞれが早速コメント上で感想を伝え合い、そこから得た学びや共感をシェアし合っていた。しかも面白かったのは、話すことや、発信することが苦手だと言っているメンバーのラジオほど「学び」が多いことだ。
漠然と何かを学びたいと欲求するとき、僕たちはいつも、得意な人から何かの気づきを得ようとするけれど、それは間違いだったかもしれない。と、そんなふうにさえ思った。自分のことを話すことが不得意だという人の言葉や行動にこそ、学びや気づきの種が溢れていて、そこから僕自身、とても多くの学びを得た。
自分を発信することが苦手だという人たちは、ラジオでこんなふうに言う。
「こんなこと誰が知りたいの? そう思って尻込みしてしまうんです」
「こんなこと言ったらみんなどう思うだろう? と思うと話せなくなる」
「発信することの責任みたいなものを感じてしまって、学生の頃のように自由にSNSで発信できなくなってしまった」
これを単純な苦手意識として片付けていいものだろうか? 僕は彼らの言葉に、苦手というよりも、むしろ誠実さや、想像力の豊かさと確かさを感じた。そしてこういう人こそが、プロになるほうがよいとさえ思った。
以前、テレビを見ていたら、漫画家の東村アキコさんが「才能は苦もなく出来ること」だと話していて、その通りだなあと思ったと同時に、それが落とし穴でもあるなあと感じたことを思い出す。凡人な僕たちが、才能から学べることは少ない。けれど、苦手や困難から学ぶことはとても大きい。
編集者はすぐ、才能溢れる人たちにインタビューをして、それをアウトプットしようとするけれど、弱さや苦手意識など、つまりはそんな小さな声にこそ耳を傾けていくことが、編集者の重要な仕事だと、僕はいま確信を得たような気持ちでいる。「強み」は知らず知らずのうちに、教えを請う態度や関係を生んでしまう。弱さから始めるコミュニティの編集は、僕のなかの一つの正解となりつつある。