第49回
イベントの編集
2022.11.08更新
実績もなければ考え方も甘い若者ゆえの空っぽさを、意図せず明らかにしたことで、編集の肝である仲間集め(ディレクション)をしていた僕が、フリーペーパーという雑誌編集に手を染めていったのは今思えば必然だったのかもしれない。
本連載はタイトルにあるように「地域編集」がテーマだけれど、それが「雑誌編集」であれ、「地域編集」であれ、そこに編集という行為がある以上、大切なものは変わらないということをあらためて実感する思いだ。そこでこの流れにのって、少し地域編集に寄せた、イベントの編集について書いてみようと思う。
ある意味で僕の雑誌デビューでもある『THE BAG MAGAZINE』。そのタイトルにある『BAG』とは、当時僕が、自ら企画書を書き、慣れない企業まわりをするなどして、まさに仲間集めに奔走していたもう一つのプロジェクト『Big Art Garage』の頭文字から取っていた。その内容は、簡単に言えばクリエイター版フリーマーケット。着古した服や、こどもが成長して不要になったおもちゃなどを売るフリマではなく、今で言えば『minneミンネ』のような、クリエイターが手作りのものを販売するマーケットの企画だった。当時はまだ真新しかった、東京の『デザインフェスタ』や『GEISAI』、名古屋の『クリエイターズマーケット』など、先駆け的なイベントに自身も参加するなどして、なんとか関西でもそんなイベントができないだろうかと、勝手に企画書をまとめ、いろんな大人たちに話を聞いてもらっていた。
そんなまだ現実のものになっていない、いわば架空のイベントの頭文字を雑誌タイトルにつけるなんて、今思えば本当にどうかしているけれど、その「点」と「点」がいつか繋がるビジョンを想像していたんだろう。ちょっとここで、この連載でも何度も書いてきた、僕なりの「編集力」の定義を再掲する。
「編集力」=「メディアを活用してビジョンをカタチにするチカラ」
ここで言うメディア(媒体)は雑誌には限らない。ときにイベントでもあり、商品でもあり、場所やサービスの場合もある。僕はメディア先行型の編集というよりは、まずビジョンがあることが何より大切だと考えている。ビジョンはすべてのアクションの源泉。そのビジョンによって活用するメディアは変化する。今でこそ、こうやって言語化できるけれど、20代の頃の僕は、編集というものを強く意識していないどころか、その概念すらなかった。それでも、なんとなく編集者的歩みを続けていたことに不思議な気持ちになる。
フリーペーパー創刊から3年後、実際にこの『Big Art Garage』は、その名前こそ変わったものの、動員数5万人を誇る大きなイベントとして現実のものになった。そしてその実現の大きな力となったのは、後藤繁雄という大先輩編集者との出会いだった。
表紙に『Big Art Garage』と書いた企画書を持って、FM802という放送局や、かつて『an』というアルバイト情報誌を出していた学生援護会という出版社など、いくつかの在阪企業に伺い、プレゼンするも、現実は厳しく、その予算を出してくれたり、開催にむけて動いてくれたりする企業はまったく見つからなかった。ただ、話を聞いてくださる皆さんはとても優しく、ときには行政を、ときには企業を、ときには街のキーマンをと紹介してくれるので、正直、善意のたらい回し状態になっていた。そんな時、当時お世話になっていた現リトルモア社長の孫さんが紹介してくださったのが、後藤さんだった。
当時の僕は、フリーペーパーの編集にはまってしまって、自身の小説の執筆を進めておらず、常にお尻を叩いてくれていた孫さんが「今は毎日、何してんねん?」と痺れを切らして電話してくれたのがきっかけだった。イベント企画に奔走していることを正直に話すと孫さんは、「俺の大学の先輩になるんやけど、後藤繁雄という編集者がおる。その後藤繁雄が、なんや、大阪オリンピックの招致イベントのプロデューサーをやるとかで、今、大きなイベントやりたい若いやつ探してるから、お前、後藤繁雄のところに、その企画書送ってみろ」と言ってFAX番号を教えてくれた。
正直その時点で僕は後藤繁雄さんのことを知らなかった。けれど、調べるほどにすごい人だということがわかってきた。僕が新人賞の佳作をいただいた雑誌『リトルモア』の立ち上げにも関わられた後藤さんは、坂本龍一さんはじめYMOのお仕事や、その他、中沢新一さん、荒俣宏さんなど、錚々たる文化人たちを編集・出版をもって世の中に可視化した人で、とにかく編集の端っこをかじり始めた僕にとってはスーパースターのような人だった。
僕は早速、一枚の手紙を添えて、企画書を後藤さんのご自宅にファックスした。孫さん経由できちんと届いていることは確認したものの、そこから数週間経っても、一切返事がなかった。ひと月経ち、ふた月経ち、まあ、どこの誰だかわからない若造からいきなり企画書が送られても、そりゃあ困るよなあと、僕はすっかり諦めることにした。
しかし半年くらい経った頃だろうか、突然、知らない携帯番号から着信があり、恐る恐る出てみると「こんにちは。後藤繁雄です。」一気に背筋が伸びた。
そこで後藤さんは、僕の送った企画書が今こんなふうになっていると、その名前が「artbeat」と変化した立派な企画書を見せてくれた。アートの鼓動。そのタイトルから何から、最高だと思った。最初は僕の企画がパクられた? みたいな気持ちが一瞬よぎったけれど、そんなことを飛び越えるくらいの企画書だった。結論、僕は後藤繁雄という編集者にフックアップしてもらった。最終的に5万人を集めることになるこのアートイベントの編集を間近で体験させてもらうことで、僕はさらに編集というもののチカラを知ることとなる。