第51回
ボトムアップな時代の地域編集
2023.01.08更新
「俺はこれから数年、君のことを利用するから、君も俺のことを利用しろ」
あまりに魅惑的なその言葉のとおり、後藤繁雄さんは「こんな若いやつがいるから、彼にやらせてみたい」と、その後も僕をさまざまな会議や打ち合わせに引っ張り出し、若者の情熱を前に何も言えない、もしくは寛容な大人たちを見事に説得してくれた。行政のおじさんたちや、広告代理店など、いままでほとんど触れることのなかった大人たちを前に、正直、どう振る舞えばいいのかすらわからなかった僕だけれど、とにかく任された仕事を全力でやりきるしかないと必死でくらいついていた。
あれから20年が経ち、当時の後藤さんと同じ年齢になったいま、僕にはわかることがある。それは、よそ者の後藤さんにとって僕は、真に、便利だったということだ。当時は、何者でもない僕をフックアップしてくれることに感謝することしかできなかったけれど、あの一言は清々しいほどに対等でフェアな契約だった。
いつしか僕は「地域編集」という言葉を掲げ、さまざまな地域の仕事に関わったりするようになっているけれど、20代で若かった僕は、確かに、地元大阪に住む、情熱を持った若いキーマンだった。いまや、よそ者として各地方で仕事をする大人な僕が、地域の自然や食文化など、その土地の風土を知るとともに、まず最初にやることが、その土地にいるであろう情熱を持った若者と出会うこと。そう考えた時、当時の僕はまさに大人になった僕が最も求めているような若者だった。
地域編集という旗印を胸に秘め、よそ者として地域に介入することは、生半可な気持ちや精神力では無理だと思うほどに、辛く、大変なことも多い。当時の後藤さんに対する態度がきっとそうだったように、そこに既にいる大人たちは、反射的によそ者をきらう性質がある。その土地で頑張っているという自負がある人ほどだ。僕たちよそ者は、そういう人を心底リスペクトしているし、彼らの仕事を邪魔したいわけでもないし、できれば協力し合いながら物事を進めていきたいと思っているので、なんとかせめて対話をしたいと思うのだけれど、その気持ちはそうそう簡単に伝わらない。だから編集の初手とも言える仲間づくりが、大人になるほど政治的になっていく。
そんな時、その土地でひたすら未来を見てアクションを起こしている若者は、とても大切でありがたい存在だ。そういう若者たちは、とてもピュアだし、頭で判断するよりも先に、マインドが素直にフィジカルに連動して行動してくれる。そしてそんな若者を心ある大人たちは大抵応援している。結果、そういう若者たちが、大人のつまらない障壁を乗り越え、よそ者だろうが土地の者だろうが関係なくプロジェクトを推し進めていく原動力になってくれるのだ。
実際当時の僕に対して、「後藤さんには気をつけなよ」と、きっとご本人たちは優しさのつもりなのであろう言葉をかけてくる人が何人かいた。しかし僕は、そんな人のほうをこそ信頼できなかったのを強く強く覚えている。僕にとって後藤さんはとてもフェアな人だった。当時の僕にとってその契約の意味を真に理解できるか、できないかではなく、君と僕はある種対等な関係にあるんだということをきちんと伝えてくれたことの信頼はとても大きい。
だから僕は地域に入る時に、あなたの町を救いたいとか、助けたいとか、みなさんのためにとか、そういうことは一切言わない。あくまでも僕自身の欲望として、こういうことがしたいのだと自分自身の目的を明確に伝える。そのことで逆に冷淡だと思われてしまおうがかまわない。その契約を最初に交わさなければ前に進めないというのが、僕のなかに明確にあるのは、きっと後藤さんとのこの経験が原点だ。以下、「いちじくいち」というイベントについて書いた、本連載での文章を引用する。
遠く関西からやってきたよくわからない編集者が、なぜかいちじくのことや、にかほ市のことを考えて、こんなイベントをやろうとしている。おまけに我々のブースまで用意してくれる。なんか裏があるんじゃ無いか? そう思われても仕方がない。だから僕はこう続けた。「ただ、これだけは言っておきたいんですけど・・・、僕はにかほの未来のためにとか、みなさんの生活のためにとか、そんな思いでいちじくいちをやるほど余裕があるわけではありません。僕はハッキリと自分のために、いちじくいちをやろうと思っています。僕は編集者として、ここ秋田で、これからの日本のスタンダードになるような事例をつくりたい。僕のそのチャレンジの一つがいちじくいちで、それはまったくもって僕の欲望です。なのでこの僕の試みに、乗っかってみるのもおもしろそうだなとか、得しそうだぞとか、みなさんの思惑と合致する部分があるなら、ぜひ来年も参加してください」
(地域編集のこと 第3回「いちじくいちのこと 02」より引用)
フックアップとは、元来、有名な人が無名な者を自分のフィールドに引き上げて紹介することを言うヒップホップ用語だ。つまり、自分の優位性を保ったまま、上から光を当てるとか、見出すとか、発掘するとか、そういう態度ではない。そこに既にある光に対して心からリスペクトするからこそ、対等な関係を結べるように、自身のフィールドに引き寄せさせてもらう。だから僕は、いまだに都会が地方を見出すという前提でつくられるフェアや記事を見たときに強い違和感を抱く。いまの世の中において、もはやそんなトップダウン型の事例は響かない。
それぞれの地域から、それぞれの場所から、それぞれが声を上げて、それらが一つの運動となって、社会を突き動かしていく。そういうボトムアップな時代へと変化している。そういう意味でも僕は、後藤繁雄さんに大切なことを教えてもらった。もはやその意識すらなく自分の一部を形成しているほどに。