成田空港にいる。人生で初めて、僕はいま成田空港にいる。人生初出国。49歳にして初めての海外旅。
僕はこれまで、海外に行くくらいなら、そのぶん日本の地方をまわりたいと、幾度かの誘いを断ってでも、一切日本を出ないようにしてきた。実際僕は、日本の編集者のなかでは、もっともいろんな地方を旅してきた一人だという自負がある。そんな僕でも、日本は広く大きく果てしないと感じる。まだまだ行けてない土地や、触れてみたい文化がたくさんあるし、一度や二度足を運んだからといって、何かがわかるようなものでもない。スタンプラリーじゃあるまいし、47都道府県をまわって済印を押していくことが目的ではないゆえ、これからも僕はさらに日本全国を旅しながら生きていきたいと強く思っている。
そんな僕がどうして海外に出てみようと思ったのか。そもそも取材のオファーをいただいたからではあるのだけれど、これまでだったら、食い気味でお断りしていたものを、若干は悩みつつも引き受けることにしたのは、僕がこの先さらに編集者として仕事をしていくにあたって、どうしても経験しておきたい感情を味わいたかったからだ。感情というよりは、そういう状況に身を置くことの必要性を感じていたとでも言おうか。それは自分がマイノリティである状態。
出入国管理法改正案や、一向に進まない同性婚や夫婦別姓などに対する違和感が増幅していく日々、この国はどうしてこんなにも切実な声に不寛容なのかと悲しくなるばかりだ。小さきものの声に耳を傾けることこそが、編集のはじまりだと思い続けてきた僕は、シンパシーというよりはエンパシーでその痛みを感じるしかないけれど、その想像力の後ろ盾になるような、自分なりの実感が足りないような気がしていた。
きっかけは、僕が主宰しているオンラインコミュニティ『Re:School』のメンバーで、デンマーク在住のSさんの存在だった。京都出身のSさんはデンマークでパートナーと出会い、結婚、二人のお子さんと4人家族で暮らしている。そんなSさんはライターや翻訳の仕事もされていることから、デンマークと日本との違いについてメンバーにシェアしてくれる。なかでもジェンダー意識の差については、メンバーの関心も高く、何度も話題になった。
Sさんは日本人なので、Zoomで会話していると、フィジカルな距離を飛び超えて、そこがデンマークであることを忘れてしまいそうになる。しかしあるとき、僕はふと、地域の差異や、男女差といったこと以前に、Sさんはデンマークにおいて外国人というマイノリティな存在なんだということに気づいてハッとした。
Sさんの紡ぐ言葉に感じていた、細やかな配慮と、根底にある強さは、自身がマイノリティであることを起点に生まれているのかもしれない。だとしたら、この文章は僕には書けないなあと、もともとあったリスペクトがより大きくなった。しかし断っておくと、Sさんはことさらにデンマークで生きる日本人女性の苦悩を伝えているわけではない。言葉にこそしていないけれど、それでも声にならない小さなショックや悲しみの蓄積がある。それがSさんの文章の優しさの土台となっているに違いない。と、そう思った。
日本で生まれ育った日本人男性の僕は、決して裕福ではないけれど、それでも五体満足で安穏と暮らしてきた。小さな悲しみや寂しさを感じることがあっても、支えてくれる家族や仲間がいて幸福な日々だ。そんな僕は、マイノリティな状態である自分を感じる機会がほとんどないままに生きてきた。しかしそれはただの偶然でしかない。僕にとって、海外に行くことは、いっときでもそういったマイノリティな状態に身を置く経験として重要なものになるんじゃないかと考えた。
若者じゃあるまいし、そんなことをいまさらと思われるかもしれないけれど、僕にとってのタイミングは50手前のいまだったのだ。だから今回突然訪れた海外取材のオファーに、僕は初めて揺れた。そして最終的には行くしかないと感じて、いま僕は成田空港にいる。日本から一歩も出たことがなく、英語ひとつ話せない僕が49歳にして不自由を得るのだ。
緊張して飛行機の出発時間の4時間も前に空港に着き、チェックインカウンターが開くのを待ち受け、ピカピカのパスポートを開いて見せる。この国で幅を利かせている日本人男性のためにはつくられていない場所で、僕はここから数日間、何度も困ったり、戸惑ったり、不自由を感じることだろう。
実は今回僕の心持ちとは別に、強く背中を押してくれたのは、クライアントの方が打ち合わせ時に話してくれた、こんな言葉だった。
「"Think Global, Act Local"と言われてきましたけど、今後は"Act Global, Think Local"なんじゃないかと思うんです」
日本各地を駆けずりまわっていたこれまでの僕は、まさにローカルこそ世界の縮図であり、深く入り込むほどに普遍的でグローバルな問いと答えが見えてくるのだという思いを軸に生きてきた。しかし、良くも悪くもローカル間の差異が薄くなってきたいま、大切なのは地球規模のアクションで、それがローカルの営みに還元されていくという流れが必要なんじゃないかと思い始めている。
編集者がこれから果たすべきことはなんだろう。そんなことを考えながら、さあ、いよいよ搭乗の時間。