第57回
わからないを受け入れる。
2023.07.07更新
49歳にして初海外。さあいよいよ飛行機に搭乗だ。と、そんなところで終わった前回の原稿。実はあの原稿を入れた直後に、連載を担当してくれていたI君がミシマ社を卒業し、あらたな業界に転職することを告げられた。I君には、いつも背中を押してもらっていたし、コロナ前には、僕が主催した秋田でのイベントに自ら本を抱えて出店しにきてくれたり、今年に入ってからも、ちょうど同じタイミングでI君が熊本に居ると知り、一緒にしこたま飲んで、夜中に熊本の愉快なおじさんたちと一緒にパンケーキ食べて帰るという奇妙な夜を過ごすなど、なんだか楽しい思い出がたくさん浮かんで、ずいぶんと寂しい気持ちになった。
そんなI君の門出と、前回の原稿における僕の初渡航の記述が、なんだかやけにリンクしているように感じた。そもそもこの連載は、あらかじめ内容を共有してから書くというよりは、その時々のトピックを「ローカル」や「編集」に絡めて、かなり思いつきで書くというフリースタイルなやり方なので、僕自身、書き始めるまで自分が何を書きだすのかわからない楽しさがある。その余白のようなものが、こういった運命的な共鳴を生むことにつながっているんだと実感した。それもこれも、長年一緒に頑張って来れたからこそだと思うし、あらためてI君には心から感謝の気持ちを伝えたい。ほんとにありがとう。元気で頑張ってね。そしてまたどこかの町でパンケーキ食べよう。
さて、今回僕が初めて海外に行くことになったのは、バリ島にある日本人オーナーのコーヒー農園に行くためだった。そこで、コーヒーチェリーの収穫や、コーヒー豆の精製を体験させてもらえることになっていた。これまで日本のさまざまな地域を旅してきた僕だけれど、生育条件の問題から、99%以上を海外輸入に頼らざるをえないコーヒーの生産現場を見たことは当然ながらない。実は、毎日コーヒーを楽しんでいる僕は、その生産現場が見ることが出来るだけでなく、体験までさせてもらえることにとてもワクワクした気持ちで飛行機に乗り込んでいた。しかし、成田空港発―デンパサール空港行きの機内で僕は、「あ〜、こんなにも英語わかんないもんか」と、自分の英語力のなさに途方に暮れていた。
とにかく、キャビンアテンダントさんの言葉の意味がまるでわからない。飲み物やお菓子、昼食など、さまざまなサービスを提供してくれるたびに生まれるコミュニケーションの不具合と、積み上がる苦笑い。機内なんて、異国の大平原に比べれば、温室どころかLEDライトの下でぬくぬく育つ水耕栽培キットの中みたいなもんなのに、こんな状態で、野に放たれた日には、やっていけるんだろうか? と不安が膨らむ。
しかし、約7時間のフライトをやり過ごすために持参した『ゼルダの伝説』(Nintendo Switch)で、気持ちを誤魔化しているうちに、なんだか謎の開き直りが生まれてきた。これこそまさに冒険じゃないか。裸一貫で棒きれを振り回しながらオープンフィールドをかけまわる主人公リンクも、僕も、なんだったらI君も、きっと同じ境遇だ。
ゼルダの伝説に限らずかもしれないけれど、こういったRPGゲームの主人公は大抵、自らの使命や役割に対して、ほぼなんの情報も持たないところから物語がスタートする。ただただ「お前は勇者の血を引いている」的なことを言われ、そういう運命なのだと有無を言わせず提示されることからすべてがはじまる。そこでとても大切なことは、その突然の告白的な状況に対して「そんなの聞いてない」とか「やだ」とか言ってたら、まったくゲームが進まないということ。そのまま拒否っていたら、定価7,700円をドブに捨てることになる。だからとにかく受け入れるしかない。この時に、受けいれているものの正体は「わからなさ」だ。「わからなさ」を「わからないまま」受け入れること。これが人生にはとても大切なのだ。こんなふうに「わからない」ことからスタートするというのは、なにもゲームだけの話じゃないということに、機内で気づいたことが、僕に開き直りの気持ちを生んだ。
あたらしい土地に向かうということは、わからないということが前提にあるということ。たまたま帰国後すぐに読んだ、養老孟司さんの新著『わかるということ』(祥伝社)において養老さんも、外国語のいいところは通じないという前提からはじまっていることだとおっしゃっていた。通じる。わかる。わかりあえる。なんて前提のコミュニケーションこそ、取り返しのつかない誤解と不具合を生む。それを地域編集のフィールドで僕は何度も味わってきたはずだ。だからこそぼくは「わからない」を感じるために、海外に行ったんだった。
ちなみにこの本で養老さんは「わかる」は「知る」と違って、「身につく」ということだと書かれている。身につくということはその具体性を超えて、もっと大枠の汎用性の高い型みたいなものを手にいれることに違いない。英語云々というより、もっと大きなコミュニケーションの型みたいなものが見えてきたらそれこそ最高じゃん、と開き直ったわけだ。そうだ「わからない」「通じない」を受け入れよう。そうやって勇気を持って一歩踏み出してこそ、身に付くものがある。知識や情報のインプットではなく、体感を伴った「わかる」に近づくために。
バリ島到着後、一人の時間ができたとき、僕は広大なフィールドを前にした勇者の気持ちで、一人街に飛び出した。とか言いつつ、小心者の僕は心の中で「とは言ってもなあ......」と、日本でも馴染みのあるスタバに向かった。アメリカーノとクロワッサンを無事注文できただけで、中ボスを倒したくらいにはへとへとになった。キンタマーニ高原という観光地にあるスターバックスのテラス席に移動して、眺める広大な景色は、まさにゼルダのように、どこまでも果てしなく広がっていた。
インドネシア語はもちろん、英語も苦手な僕だけど、スタバならなんとかなるんじゃないかとマイタンブラー持って一人やってきたキンタマーニ高原のスタバ。しばらくしてテラス席が空いたから移動してみたけど、ここ、世界一絶景のスタバじゃない?#バリ島 pic.twitter.com/mQBq4UbVig
-- 藤本智士 (@Re_Satoshi_F) June 11, 2023