第62回
オンパクという型のはなし。
2023.12.25更新
オンパク(ONPAKU)をご存知だろうか。地域に見合った体験型プログラムをいくつも企画し、それを限定期間、集中的に行うことから、「地域資源の発掘」や「人材の育成と連携」を効果的に実現しようというもの。このノウハウを軸とした「オンパク手法」なるものをベースに、これまで全国70を超える地域でさまざまなオンパクが開催されてきたという。
僕自身、岐阜の「長良川おんぱく」のプログラムを体験したことがあるが、僕のようなよそ者はもちろんのこと、「うちの地元は何もないから」と、ついそんな言葉を放ってしまう地域の人たちにとっても、意義の大きいものだと感じた。地元に対する少しネガティブな言葉が出てしまうのは、遠くにばかり目が向いて、つい、ほかの町と比べてしまうからで、その視線を足元にむけてみれば、そこに地域独特の文化や、日々の生活の豊かさがたくさん存在することに気づく。オンパクのプログラムはまさに、そんな視線の変化を促すイベントだと感じた。
そんな全国のオンパクをとりまとめる、一般社団法人オンパクの事務局が主催となり、全国のオンパク開催(もしくは開催希望)メンバーが集う、年に一度の勉強会イベントがある。今年のテーマは「地域編集」になったとのことで、講演依頼を受けた。先日そのおしゃべりを終えて、いまはとにかくホッとしているところだ。
オファーを受けた立場をいいことに、講演前はオンパクの情報について受け身だったけれど、遅ればせながら、あらためて過去のオンパクについて調べていたら、なんだかもう、地域編集の鏡というか、僕なんかが偉そうに講義してすみません、という気持ちになるくらい、素晴らしいものだと再確認した。
講演前の打合せの際、オンパクという名前はいったいなんの略なんですか? と聞いてみた。すると「温故知新博覧会」の略だと言われたのだが、正直その時は、ずいぶんとまわりくどいネーミングだなあと思った。しかし、ある意味そこにこそ、このオンパクの凄さがつまっているのがわかってきた。
そもそもオンパクのスタートは、2001年に開催された「別府八湯温泉泊覧会」にあるという。つまり、最初はやっぱり、温泉泊覧会の略だったのだ。ちなみにこの「温泉泊覧会」自体が、当時の経済企画庁長官、堺屋太一さん発案の『インターネット博覧会』、通称インパクの一貫として行われたそうで、その時点でネーミングの入れ子が渋滞してて面白い。
一回の企画もので終わってしまうことなく、その後も継続した開催を続けたことが認められ、2004年に経済産業省のサービス産業創出モデル事業に採択。そのことから、別府だけでなく、他の地域においても共通する課題の解決にこの「オンパク手法」を使ってもらおうという機運が高まっていく。そして2006年、最初の移転地として北海道の函館市で「函館湯の川オンパク」が開催された。
その成功を受け、さらに2007年、経済産業省地域新事業活性化中間支援機能強化事業に採択。オンパク手法の本格的な全国展開がスタートする。2008(平成20)年には、石川県七尾市、福島県いわき湯本、長野県諏訪地方、宮崎県都城市、岡山県総社市、静岡県熱海市、福岡県久留米市等で開催され、2010年には「オンパク手法」を活用した地域活性化の取組みを拡げる組織として、一般社団法人ジャパン・オンパク(現在の一般社団法人オンパク)が誕生する。
そしていまや、冒頭に書いた通り、過去70を超える地域でオンパクが開催されるまでになった。
地域特有の試みや、成功事例として終わってしまいがちなイベントを、一つの手法としてモデル化し、全国に広めていくなんて、まさに地域編集の理想。あらためて、大先輩の土台の上でずいぶん伸び伸びとお喋りさせてもらったものだと、恥ずかしくなる。
地域編集における最も大きなテーマは、まさに、続けていくこと。続いていくこと。継いでいくこと。託すこと。にある。そもそもオンパクを一イベントから一手法へと昇華させたことの意義もそこにあったに違いない。なにかと形式に対して反発しがちな世の中だけれど、型は先人からのギフト。型があるからこそ流通し、僕たちはその恩恵を受ける。また、型があるからこそ思考し、僕たちはその型を超えられるのだ。
オンパクというネーミングはまさにその象徴だ。「温泉泊覧会」から「温故知新博覧会」へと変容し、そして今後もまた、その変化を許容するのだろう。そんなオンパクは、僕にとっては「恩」を未来へとつなぎ送っていく、「恩送り博覧会」のように思えた。