第70回
あたらしい価値の提案は、
古いものの否定ではない。
2024.08.12更新
以前ここでも書いた、読者から著者へ直接応援のメッセージと送金ができる新しい仕組み「Culti Pay(カルチペイ)」について、丁寧に取材いただいた記事が上がったりして、徐々にその反響をいただくようになってきた。
そんななかで、今一度伝えておきたいのは、カルチペイのような出版に関するあたらしい提案は、決して既存の書籍流通や著者印税の仕組みの否定ではないということ。それは純粋に進化や変化のための一手であって、それもこれも、これまでの出版を支えてきた既存の仕組みがあってこそ。
例えば、僕がかつて「マイボトル」という言葉をもって、大人もオフィスに水筒を持参する世の中を提案した際、朝日、読売、産経、毎日などの4大新聞や、各種テレビ・ラジオなど、さまざまなメディアに取材を受けたけれど、その多くが、僕の意図とは違う、「マイボトルの提案=ペットボトルの否定」という、メディア側の編集意図が漂っていたことがとても気になった。
僕の主張は、缶がペットボトルに変わったおかげで、カバンのなかに飲料を入れるという、当時にすればあり得ない変化が起こった。そんなインフラを飲料メーカーがつくってくれたのだから、その次のステップとして、ペットボトルをステンレスボトルに替えればいいというもので、つまりペットボトルがダメなのではなく、ペットボトルがつくってくれた仕組みを活かして、マイボトルへの変化を促そうということ。
フィルムカメラの良さに気づけたのはデジタルカメラのおかげだし、紙の本の良さを感じられるのは、Kindleのような電子書籍の存在があるからだとも言える。新しいものと古いものにはそれぞれに良さと至らなさが同居している。先人たちがつくってくれた仕組みが、変化する世の中とフィットしなくなっていくのは、フィルムカメラしかり、牛乳瓶しかり、馬車しかり、あらゆるものに訪れる宿命だ。
そんななかで、ふと思ったことが、僕の人生の基盤となっている「旅」について。僕は最近Voicyという音声メディアで『リスカバー ニッポン』という一人語りラジオを始めて、「旅」についてのさまざまな知見をほぼ毎日シェアしているのだが、そこで僕が語ることのベースは、いわば「観光ツアーではない自由な旅の提案」だ。
しかし前述の思いに倣うなら、そんな自由な旅ができるのも、ある意味で昭和感あふれる、団体旅行的観光ツアーがあってこそ。それらがつくってきた基盤の上に立った変化の話に違いない。僕自身、そのことをさらに自覚して語らなきゃいけないんじゃないかと思うようになった。
そこで手に取ってみたのが、2021年に発行された『団体旅行の文化史/山本志乃』(創元社)。それによると、元来、旅は=楽しいものではなかったという。数百年も前にアフリカで誕生した人類の祖先が、食べ物を求めて旅を繰り返し、やがて大陸各地に散らばっていったように、旅は、人間が生存のために身につけた行動様式の一つ。民俗学者の柳田國男も、旅(タビ)の語源はトウベ(「給え」の口語形)、つまり、食べ物を給え(ください)と、移動することが原点だと言ったという。
そんなやむにやまれぬ旅が、楽しいものに変化していったのは、旅人に寝食を提供する宿場などの仕組みが出来上がり、食べ物を得ることの不安が解消されていったからこそ。日本におけるその仕組みは、江戸時代初期に完成されていくのだが、それは参勤交代に起因する部分が大きかったという。
薩摩藩など、大きな藩による大名行列はなんと2400人あまりの人々が列をなし、400里もの長距離を50日もかけて進んだという。旅するほうも、それを受け入れる側も、その準備たるや相当なもの。そうやって旅のシステムが整理確立されていったが、その仕組みを大名たちだけでなく、庶民も享受した。
つまり、旅慣れた人間がついつい敬遠する「団体旅行」や「観光ツアー」というのは、元を辿れば、参勤交代の仕組みを基盤とした「旅の大衆化」の未来のかたちの一つであり、そこで完成されていった交通網の整備や、宿、飲食店、観光スポットなどの拡充は、江戸時代の街道整備以来、培われてきた日本の旅の基盤だ。
いまや、さまざまに多様化し、自由気ままに出向くことが可能になった現代の旅も、ある意味、観光ツアー的なノウハウの応用であり、それらを基盤にしてあるのだということが、『団体旅行の文化史/山本志乃』のおかげで、よーく理解できた。
僕のような編集者は、ときにあたらしい価値観を提示するけれど、それらはすべて、そこに既にあるものの上に立った提案でしかないのだよなと、何かを否定しそうになる自分を顧みて、反省した。