第77回
点より面を。先輩から学ぶ、町の編集術。
2025.03.12更新
何年振りだろうか、一時期は頻繁に訪れていたこともある鳥取県の境港に久々にやってきた。長年、オレンジページでムック本の編集長を務め、『厳選日本酒手帖』『厳選紅茶手帖』などの著者としても有名な、編集の大先輩、山本洋子さんが故郷の境港に戻って『BORDER』というお店を始めたと聞いたからだ。ゲゲゲの鬼太郎でお馴染みの「ぬりかべ」のように見える白壁の外観は、水木しげるロードで有名な境港らしくて素敵。こういうところが、編集者だなあと思う。
洋子さんがお店をオープンさせると聞いて、その著書や、つい最近連載を終えられた『新日本酒紀行』(週刊ダイヤモンド)のイメージから、多くの人が、美味しい日本酒が飲めるお店を想像したに違いないが、実際はナチュラルワインとおつまみ、そして厳選された紅茶がメインのお店で(もちろん日本酒もあるけれど)、そのズラし方がまたしても編集者だなあと思う。
鳥取県西端の弓ヶ浜半島の北端に位置し、三方を海に囲まれる境港は、ベニズワイガニの水揚げ量が全国シェア約60%を誇るなど、古くから天然の良港として魚介ゆたかな町。そんな境港で、日本酒が飲める居酒屋は数あれど、美味しいワインとつまみがいただける店は少ない。それも、日本中の名店に通い詰めた洋子さんのお店なのだから、期待せずにはいられない。
そんな洋子さんのお店を堪能しに行ったつもりが、洋子さんは自らのお店のことよりも、ひたすら境港の名店を紹介してくれた。蟹が有名で、リーズナブルに食べられるのは「味処 美佐」。茹でた蟹をその場で食べられる「水産物直売センター」も。阪神大震災でお店が壊れ、境港に移住、海の家みたいなカジュアルな店で、海鮮料理を提供する「殿」さんは、天然ふぐのコースが6000円以内で食べられる。著名な料理家さんも利用する「板倉博商店」はまるで煮干しのワンダーランド。お昼に困ったら、地魚しか使わない「いろは寿司」か、地蕎麦の「伯蕎庵 しばた」で山陰名物の釜揚げそば、または割子蕎麦を。などと、次から次へと出てくる魅力的な情報の数々。そのセレクトの確かさは、またしても編集者ゆえ。
旅人に、自らの店という「点」を伝えることよりも、多様な店の集積である「面」を感じてもらうことで、街全体としての価値を届ける。その利他的な振る舞いに、なんだか僕はとても感動してしまった。編集者の仕事は、自分が得た宝物のような体験経験を、よきタイミング、よきかたちでシェアすることがベース。雑誌や書籍というメディアで長年編集を続けてこられた先輩が、いよいよ自分の住む街をメディアに、編集をはじめられたんだなあと感じて、とても感激した。
洋子さんのお店『BORDER』を出たあと、薦められるままに向かってみた海産物屋さん「板倉博商店」では、まんまと煮干しの魅力にやられ、片口イワシだけでなく、山陰らしい飛魚や、小鯛の煮干しなど、スーツケースがパンパンになりそうなほど煮干しを買ってしまった。さらに、ランチに伺った「いろは寿司」では、地魚の熟成寿司に舌鼓を打ちつつ、江戸の「鮨」と関西の「鮓」の違いや、白身と赤身の熟成期間の差異まで、色々と学ばせてもらったりもした。随分久しぶりとはいえ、これまで幾度も訪れていた境港が、洋子さんの編集のおかげで、まったく違った景色に映った。
日々、さまざまな街を旅する僕だが、誰にアテンドしてもらうかによって、街の印象は大きく変化する。あらためて、街にとって重要な編集のチカラについて考えさせられた境港旅だった。洋子さん、ありがとうございます。
編集部からのお知らせ
【3/22(土)開催 藤本智士さん出演トークイベント】Hello New Economy! Talk 「本づくりとお金」@デザイン・クリエイティブセンター神戸
日時:3月22日(土) 17:00~18:30
場所:デザイン・クリエイティブセンター神戸 3F 303
インタビュアー:藤本 智士(Re:S)
ゲスト:平田 提(DIY BOOKS/株式会社TOGL)、藤原 隆充(藤原印刷株式会社)
定員:60名(事前申し込み、先着順)
参加費:無料
主催:デザイン・クリエイティブセンター神戸
これまでの常識にとらわれず、いまの世の中に適したつくりかたや届けかたを考え、モノと消費の関係を日々アップデートするゲストのみなさんのお話から、あたらしい時代のお金の使い方について考えを深めていく、参加型のストア&トークイベントシリーズ「Hello New Economy!」。
2019年にスタートしたこの企画は、コロナ禍を経つつもゆるやかに回を重ねています。第4回となる今回のテーマは「本づくりとお金」。インタビュアーに「Re:Standard =あたらしいふつうを提案する」編集プロダクション有限会社りすの藤本智士さんを迎え、ゲストとの対話から「あたらしいふつう」を探ります。
ゲストには、兵庫県尼崎市で書店を経営しながら、ウェブの編集やライティング、本を通した場づくりやイベントの企画を行う「DIY BOOKS」の平田提さん。そして、長野県松本市を拠点に、自社工場のオープンイベント「心刷祭」や、個人や小規模な団体での出版の可能性を探る「クラフトプレス」カルチャーの提案など、丁寧な仕事だけに留まらない強いメッセージに、多くの編集者や作家、デザイナーからリスペクトされる藤原印刷の藤原隆充さんをお迎えしてお話を伺います。
藤本さんが2024年に出版した『取り戻す旅』で提案した、古本や図書館で借りた本であっても、著者を直接支援できる「Culti Pay(カルチペイ)」の事例などを踏まえながら、本をとりまく世界でいま何が起こり、これからどう変化していくべきなのか、参加者のみなさんと共に考えを深めていきます。