第1回
「地獄の木」とメガネの妖怪爺
2024.09.10更新
「本物の植物好きはベランダのプランターから生えた名も知らない植物を育てるんです」。そのような奇矯な人間を目視で確認したことはないが、友人の藤原辰史さんがそう言うのだから、植物好きも果てまで辿りつくと名も知らない雑草をも激愛するのは事実なのだろう。
普段からラブ&ピース的なメッセージを掲げているくせに、唐辛子の種を蒔いたはずのプランターから、思っていた唐辛子感とは違う形状の植物が芽を出したことに戸惑い、あるいは嫌悪感を抱き、早急に引っこ抜いて処分したいなどと俺は考えている。こうした心理に、自分の暮らす街区や地域から異民族の排斥を望むような人々との共通点を発見して、暗い気持ちになった。
隣のプランターではオクラがワラワラと芽を出している。花屋の店主の「あなたの持っているサイズのプランターだと2株ですね」という教えに従って、最も元気そうな株以外を引っこ抜いて、隣の植木鉢の上に無造作に打ち捨てた。これもラブ&ピースの精神からは程遠く、優生思想みたいな行為というか、優生思想そのもので、人間に適用してはいけない思想なわけだけれど、オクラにはあっさりと適用し、むしろ自然界の掟、それを利用した農業の作法くらいに考えている自分が恐ろしい。
そうした罪悪感というかネガティブな思考の
そうこうしているうちに、よくわからない気持ちが湧き上がっていることに気がついた。思えば可処分所得が皆無だった学生時代に、白米と納豆の毎日を受け入れる代わりにジャケ買いしたレコードから流れる楽曲の良さがまったくわからず、しかしこれを失敗と受け止めると精神が内側に減り込んで立てなくなってしまうので、いいところが見つかるまで聴き込んで、無理矢理に好きになるということが間々あった。そこで生まれた好意や愛が偽物かというとそういうわけではなく、小脇に抱えているうちになんだか心身に馴染んで、自分らしい音楽的な愛着を見つける場合に頼りにする要素のひとつになっていたりするのだから不思議だ。目の前のわけのわからぬ植物にも、自分の新しい愛着や感情や経験への扉を開く可能性を感じて、積極的に愛でたい気持ちが生じていた。
俺はこの植物をしばらく育てることにした。
それから、オクラ、朝顔、近所のガーデニングの催しでもらって来たファンシーな花の苗、それらと一緒によくわからない植物に水をやり、朝晩に話しかけ、オクラと同じタイミングで支柱を立てるなどの世話をした。よくわからない植物はグングンと伸びた。ラブ&ピース。今のところ花が咲くような雰囲気はまったく感じないが、だからこそ、花が咲いたら歌にしてもいいかもしれない。種を採って野に撒き、花咲く頃にフェスというよりはジャンボリーみたいな催しを行なって、友人や知人、観客だけでなく地方自治体なども巻き込んで人生を祝おう、などと妄想していたところ、大変な事実が判明したのだった。鉢から生えているのは、ニワウルシという植物だった。
ニワウルシは国立研究所の侵入生物データベースにも記載されている侵入種で、長野県上田市のホームページによれば特定外来種ではないが総合対策外来種とあり、放っておくとえらいことになりますよと書かれていた。あっという間に1メートルを超え、最終的に高さ10メートルを超える樹木に成長するとのことだった。
また、ナショナルジオグラフィック日本版によると、ヨーロッパでは「天国の木」と呼ばれているが、アメリカ大陸では「地獄の木」というニックネームがつけられており、繁殖力の強さから侵略的外来種として在来種を駆逐しているとのことだった。花は悪臭を放つという。
欧米で相反する評価が謎なところだが、アメリカの影響のほうが強い日本では、「地獄の木」としての性質を発揮するのではないかと不安になった。俺が開催しようとしているフェスというかジャンボリーは一面に花が咲き乱れるようなラブ&ピースの祭典になるはずだが、ニワウルシの花からの悪臭によってチケットは売れ残り、地域住民からは臭くて鼻がもげるなどと苦情が殺到し、週刊誌などに取り上げられてネットで血祭りに上げられてしまうかもしれない。町からは生物の気配も失われて、荒廃したニワウルシの単相の森が不気味に広がるのだろう。
恐ろしいことだと思った。
調べてみるとニワウルシは化学物質によるアレロパシーという作用で他の植物の成長を阻害するとのことだった。日本語では他感作用と訳されている。
人間で例えるならば、嫌味ばかりを言っているようなヤツだろう。真っ直ぐに、かつての自分を思い起こした。
若い頃の俺はイギリスのロックミュージシャンに憧れて、仲間との会話のなかに少しの皮肉を混ぜ、それがウィットというものだろうと勘違いしていた。しかし、皆が笑えるような知的な皮肉というのはコントロールが難しく、俺の放つ言葉はバンド仲間たちのストライクゾーンには少しも入らずに、彼らの心身を少しずつ、いや、結構派手目に内角から削っていたのだった。それでどうなったか。誰も俺の話を聞かなくなってしまった。聞かないというよりむしろ、話し出したら聴覚のスイッチを切るようなやり方だった。俺のウィットに富んだトークは、コミュニケーションを阻害するアレロパシーの原因そのものだった。
こんなことをしているとバンドというか、人生が崩壊してしまう。10年くらい前にそうした事実に気がつき、話し方を変えた。できる限り皮肉を削り、どういう言葉遣いだと仲間たちが伸び伸びと活躍するのかを考えて話すように努力をした。一朝一夕で関係は改善しなかったが、コミュニケーションは年を追うごとに円滑になった。まだ時折、一部のメンバーが心を閉ざしているというよりはスイッチを切っていると感じる瞬間もあるが、それは俺がニワウルシだった時代に与えたダメージによるものかもしれない。パブロフの犬的な条件反射で、スイッチを切ることを習慣化させてしまったのだろう。
とにかく早めに気がついてよかった。
ニワウルシ的な振る舞いは、続けているとお互いが妖怪化してしまう。例えば、大事な町の文化遺産と呼ぶべき施設を守りたい爺さんが居たとする。爺さんは施設の重要性を理解しない人々に、その重要性を説くがまったく相手にされない。相手にされないので徐々に説教のようなトーンになってしまう。爺さんは善良だからこそ、自分の話への無理解に対して悲しみ、憤る。しかし、怒りというのは恐ろしいもので、爺さんの善良性や正当性を覆い隠してしまう。多くのひとは怒りにビビットに反応するのだ。そうしている間に爺さんは孤立していく。誰も相手にしないというよりむしろ、積極的に爺さんの邪魔をしたい、みたいな人間も現れ、そうなると水と油、両者の溝を埋める手段はない。爺さんは善良さが拗れて妖怪になり、爺さんを疎ましく思う者たちもまた邪魔ばかりする妖怪と化し、妖怪戦争が勃発、文化遺産は妖怪屋敷を経て更地になるのである。
悲しいことだと思う。
俺は申し訳ない気持ちでニワウルシを伐採し、根を抜いてポリ袋に詰めた。おそらく原生地では、ニワウルシはニワウルシとして誰にも憎まれず、全力で生きられたのだろう。しかし、我が家の植木鉢で巨木にまで成長した場合、お互いに妖怪としてこの町で生きていくことになってしまう。「天国の木」として育てる知識と度量を俺は持っていない。この先にあるのは「地獄の木」とメガネの妖怪爺、だ。
しかし暑い。なんという暑さだ。
温暖化も人間の仕業だと言うのならば、ニワウルシのほうがいくらか地球に優しいような気もする。
炎天下のベランダで、俺の脳はズルズルに溶けていくのであった。
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インディーで活躍する音楽家たちの活動の手伝いをしてきた後藤さんが、誰もが経済的制約を受けずに、自由に音楽を制作できるスタジオをつくりたいという思いから始めたプロジェクトです。
明治時代に建てられた土蔵をレコーディングスタジオに改修し、隣接するビルに宿泊施設とコミュニティスペースを整備する予定。文化を次世代につなぐための「共有地」づくりの試みを、応援いただけたら嬉しいです!