第35回
山が動いた ―私有共有新築修繕― その3
2024.12.26更新
晴れ渡る2024年11月21日、入札当日。
毎月21日は弘法大師・空海の縁日で、僕のお寺でも毎月お参りの方々がいて、お勤めをする日となっていた。本来は午前中に行っているのだけど、公民館入札が全く同じ時間帯となっていたので、お勤めの方を午後に変更させてもらった。娘の高校の送りのついでで、朝イチで島の外にある寺の準備をして、いったん帰って入札の準備も済ませて、役場に行こう。片道40分行って帰って行って、移動で計2時間。まあ仕方ない、よくあることだ。
行きの道中、役場の方から電話がかかり、
「必要書類をお持ちください。あと、『実印』も必ず持ってきてくださいね。お忘れなく」
と念押しの助言があった。前回も書いた、初めての印税で買った「実印」の登場だ。
「いつも持ち歩いているから大丈夫ですよ~」
と軽い返事で明るい国道を走っていく。先日の書類提出の時にも使ったばかりだ。寺の準備を終えて、書類を整えにいったん帰宅。さて、実印が入っているバッグはどこだ。
・・・ない。
バッグがない。財布も免許証も、そして実印が入ったバッグがない。このバッグは20歳ぐらいからずっと使っていて、よく紛失しては毎回どこかで発見される25年来の友だちだ。お前、どこ行ったんだ。
わが家の中を大捜索してみても見つからない。いつから無いかを思い出してみると、2日前に使ったのが最後の記憶だ。東京の友人が遊びに来ていて、支払いをした。そのときから足を運んだ場所はいくつかに限られている。これは、行った店にあるはずだ。思い当たるお店に電話してみると、
「お電話ありがとうございます。本日は定休日となって・・・」
クソ、自動音声か。
そんなら自分の寺に置いてきたか。前にもあった。寺にバッグを置いてきたことが。前日、その友だちを寺に案内して、最後の帰り際にせっかくだからお経でバーンと叩いてあげようと思ったら、近くにあった大きな香炉に僕がつまずいて、畳に灰を思いっきりぶちまけてしまった。どうしてそんなことになったのか、僕もシュンとして、友だちも「なんかゴメン」みたいな感じになり、電車の時間もあるしと、そそくさと出たのだった。あの時は正常な心持ちではなかった。きっと寺にある。車で40分かけて、もう一度島の外へ。迎えにいくぞ、バッグ。
印鑑印鑑印鑑。いんかんウィンクヮーーーーーン、インカン!
車の中で、頭の中はぐるぐるしていた。
そんなにハンコが大事なのか。ハンコごとき、なくても入札は大丈夫だろう。あとからなんとでもなろう。ハンズフリーで役場に電話してみる。
「すみません、じつは実印があると申したのですが、持ち歩いているはずのバッグを紛失していて・・・どうなるでしょうか?」
とお伝えすると、電話の向こうで「えっ!」と絶句している様子が完全に伝わってきた。
「・・・それは・・・無効になりますね」
入札が無効! 今度はこっちが「えっ!」となった。無効とはどういうことですか?
「無効とは、最初からやり直しになりますね。残念ながら」
最初からとは・・・どの時点からの話になりますか・・・?
「いつになるかわかりませんが、もう一度広報をし直してからになりますね。現地説明会をして、書類審査をして・・・」
果てしないシミュレーションが頭を駆け巡る。いつまで遡ればいいんだろう。脂汗が出てきた。
じつは、この前日まで「あえて入札をとりやめる」という選択肢も検討していたのだった。本当に一般競争入札という方法をとらなければならなかったのか。どうしてこの値段になったのか。ここに至るプロセスと理由などを、役場に文書で問い合わせをしてみて、説明を受けた。こっちも必死だ。個人にとって決して安くない金額なのだから。
対して、担当の方々も真摯に答えてくれた。「建物と土地の持ち主が違う」という今回の公民館の置かれた状況。こういった物件の処理の例について、調べてみても全国で珍しいことから、このたびの形を取らざるを得なかった。その背景について丁寧に説明してもらった。
その背景を確認しながら、心中では僕も含めて「誰も入札をしない」となった場合にはどうなるかも考えていたのだった。納得がいかなかったら、その選択も当然ありえるだろうと思った。役場の方にも、説明の最後の最後に「入札しないということはあり得ますか?」と尋ねられたので、双方にとって、そのカードは気になるものだったのだ。
ただ、行政側の事情を詳しく聞くにしたがって、もやもやが、次第に納得に変化していった。そして、入札をしないという選択をしたときに、僕には不利益も大きいことが想像できた。「入札しない」という表現をしたところで、一切の条件は変わらないどころか、地域の方たちからは「いったいあいつは何を考えているんだ?」と混乱がマックスになってしまう。建物を保存したいといっていた本人が、要らないと宣言することなのだから。
その不利益、混乱マックスが、なぜかハンコ一つで現実化しようとしている。今の状況は一体。電話でそのまま、役場の方に、
「寺にあるかもしれないので、い、今、さ、探しにいっています」
と答えたら、そこでまた「えっ!?寺??」となってしまった。そうだ、まだいっていなかった。
「じつは僕は僧侶で、大畠の寺の住職をしていまして」
「お寺の住職を・・・」
この混乱をさらに追い込むように別の情報が加わってしまった。寺に探しに行って、そこから10分で役場に行きます。10分ほど遅れそうです、と伝えると、
「10分くらいでしたら待ちましょう」
と応えてくれた。ありがたすぎる。
百姓や町人は、印鑑を名主、あるいは町役人に届け出ることが義務づけられ、必要に応じ照合できるように印鑑帳が作成された。届けられたハンコは実印と呼ばれ、重要な文書のために用いられたが、日常の用事には裏印が使われた。これが、後世における認印のはじまりである。
(中略)いずれにせよ、江戸時代において、ハンコは社会生活上必要なものとなり、「印形は首のつりかえ」という諺が示すように、命から二番目の大切なものとなった。(「ハンコの文化史」新開欽哉)
江戸時代に実印が登場。命から二番目!
これを濫用したり、偽造したりすることに対し、次第に重い刑罰が科せられるようになった。主人の名をかたって「諜判」した者は、市中引きまわしのうえ獄門晒し首という極刑に処せられたのである。(同上)
市中引きまわし!
ハンコにそんな重みがあったとは。この本によれば、ハンコの起源は遠くメソポタミア文明、紀元前3000年はさかのぼれるそうだ。
まだ鍵というものがなかった時代に、ハンコがいわばその代用品として財産を保護する目的に使用されたのである。
(中略)当時においては封印そのものが一種の魔力をもつものとされており、封印を破ることはタブーであり、禁を犯す者は神罰をこうむると信じられていた。(同上)
「ハンコごとき」とバカにしていたけれど、そんな意味合いが古代からあったなんて。今にも通じそうだ。ヨーロッパにもハンコ文化はあったけれども、やがて自署になっていったそうだ。日本でも平安後期から自署の「花押」が登場し、重要性はハンコよりも上になった。サインだったら、ぼ、僕だって。だ、ダメ? やっぱりダメ? 実印失くした。無効か。再びハンコが流行しだしたのは鎌倉時代、なんと中国から持ち帰ったお坊さんたちの影響だったそうだ。ギャフン。
寺に戻ったのは10時50分。探して探して探しまくる。無い。一人、お寺の前でお参りの人が立っていた。
「今日はどうかな、と思っていたの」
毎月必ずこの日にお参りに来られる妙齢の女性だ。そうだった! いつも11時からお勤めだから、いつも通りに来られていたんだ。ネットでは告知していたけど、張り紙をしたのが遅かったから、今日は特別に午後からとは知らなかったんだ。僕のバカ!
「今日はほんとすみません。ちょっとのっぴきならない予定があって、午後からにさせてもらっていたんですよ」
「あら、そうだったの。ごめんなさいね。これお供え」
といっていつも通りお布施が入った封筒を預けてくれる。
「恐れ入ります。お預かりしますね」
「今日はどうされてかなと思っていたの。誰もおられんし、窓も閉まっているでしょう」
これは僕の不案内でした。
「昔の住職さんにもいろいろ言われてね・・・〇〇さん、どうですか」
と二代目の尼僧さんの写真に手を合わせて、話しかけはじめた。いつも寡黙なこの方は、今日に限ってとてもお話されるではないか! まわりに人がいないからきっと話しやすいんだ。お役に立ててうれしい。ところがどっこい、僕は今10時55分。無効まであと5分!
「お忙しかったわね。ごめんなさいね。よろしくね」
察してくれて、女性がいつものようにお参りから帰られていった。汗びっしょり。役場に電話だ!
「もしもし、すみません・・・寺に、ないんです。ありませんでした。心当たりは、定休日の店と、あとほかにも考えているんですが・・・」
としどろもどろでお話すると、
「ないですか・・・。それでは、残念ですが、規定により無効になりますね」
寺の台所で、時が止まった。
「無効、ですか」
「無効ですね」
台所の床は、傷みでベコベコだ。スマホを頭につけながらぐるぐる歩き回る。すると、
「・・・本当は無効なのですが、もう少し探してみて、あるかないかだけ今日教えてもらえますか?」
と、役場の方からまさかの一言が添えられた。ほんとですか!? そんなことって。
このとき、最後の心当たりが思い起こされていた。東京の友だちが泊まった、妻の親戚の家だ。久しぶりに深夜まで語らっていたのだった。そこにある可能性がある。すでに妻に「探しに行ってほしい」とお願いしていたのだけど、連絡が取れない。どうしたことか。
しばらくして、やっと通じた。
「あ、ごめん。MIKKEでお茶してて」
MIKKEとは、ミシマ社でもおなじみの養蜂家の内田健太郎さん夫妻の新しいお店だ。お茶いいね。それよりバッグあった?
「あ、なかってん」
なかったのか。テレビの部屋だけどなかった?
「あ、外に落としたのかと思って、外だけ探してた」
中よ、中! もう一回探しにいってくるといってMIKKEから飛び出してくれた。僕もまた40分かけて家の方に帰る。しばらくして電話が入る。
「あった」
あった! 実印、あった! よかったなあ。ありがとう。親戚の家か。すぐさま役場に電話した。
「ありました! 恥ずかしながら、ありました!」
役場の方も喜んでくれた。往復の時間を踏まえて、入札を午後にずらしてくれた。入札にいったらすぐ、お寺のお勤めだ。もう役場の人も前後の予定と、僕の動線をわかってくれている。入札の儀式は、お勤めまでには充分間に合う、と。お墨付きだ。
家まで戻っている時間はないので、妻とMIKKEで落ち合うことにした。妻は、そのとき友だちと優雅なランチのひとときを過ごしていた。フレッシュなお魚がのっているガレットを召し上がっている途中だ。探しにいってくれたおかげで、盛大な無効にならずに済んだ。助かった。ありがとう。
こんなにも印鑑が愛おしく感じられるとは。会いたかったよ、実印。はうっ、朱肉がない。家まで戻っている時間がない。
「だ、誰か、この中に朱肉を持っている人はいませんか!?」
「朱肉と言えば、MIKKEです」
と、あの丸い朱肉を差し出してくれたのは、奥さんの内田三記子さんだった。
このMIKKEも、周防大島町から売却情報が出て、一般競争入札にて相手に競り勝ち、取得して今こうして建っているのだった。入札の聖地かい、ここは。
おいしそうな「海辺のソーダ」を注文して、聖なる朱肉で円筒の先を浸し、魔力を封印した。若かりし頃に買った実印、たしか僕は象牙を選ばなかったはずだ。そんな趣味は持っていない。若かりしお前、褒めてつかわそう。あまりにのどが乾いていて、ソーダは一瞬で空になった。ガレットも食べたかったのに、僕のこのときの精神状態は異常すぎた。
さあ、入札だ。
2時間前とは打って変わって、安心の心持ちで役場の窓口に降り立つと、役場の方2人が微笑みで迎えてくれた。あとの動きも理解してくれていて、なんだか同志みたいになっている。
この儀式に立ち会うのは、保育園に続いて2回目だ。そのときは妻が主導のプロジェクトだったこともあり、印鑑のことも何もかもわかっていなかった。
開封を経て、
「中村さんが落札しました」
と3人が向き合う広い部屋に、宣言が反響した。
「お寺は充分間に合いそうですね」
といって送り出してくれた職員さん。晴れやかな気持ちで汗べとべと、建物の外へ出た。
***
その数日後の週末。隣の集落で地引網体験が行われた。100人が参加する大きな集まり、そこには、あのご夫婦がいた。公民館の現地説明会に来ていた方だ。近くにいた奥さんに話かける。
「先日は、人づてにいきなり変な相談をしてしまって、すみませんでした」
と伝えた。すると、丁寧にごあいさつしてくれて、
「応援していますよ」
と力強くいっていただいた。直接お話できて本当によかったし、間に入ってくれたFさんにも本当にありがたい思いだ。
そのあと帰宅すると、住んでいる地域の近所のSさんからも、
「中村くん、あの入札どうなった?」
と聞かれて、いろいろあって落札出来ましたと伝えると、
「そうか、よかったなあ。うんうん」
ととても喜んでくれた。僕もこれらの喜びに恩返ししたいと強く思った。さらに後日、役場の方から連絡があり、もう一度念を押された。
「契約のときにも実印がいりますので、必ず持ってきてくださいね」
今はもう、笑顔のやりとりに変わっている。落札の翌日に誕生日を迎えた僕は46歳になった。契約、登記、実印、割り印。まだまだ旅は続く。