第9回
石の旅
2022.11.06更新
先日、音楽ユニット・キセルの辻村豪文さんの紹介で酒場や街、生活について綴っているライターのスズキナオさんに大阪で出会った。東京から大阪に移り住んで何年も経ち、大阪に徐々に馴染んでいったそう。その生活中に出会ったという30代のお友だち二人も一緒に酒場でわいわい食事をした。スズキナオさんはお話聞き上手だ。
その若い2人のうちの1人は、シュッとした体つきに革ジャンを来て眼鏡をかけ、あまり島では出会わないタイプの男性だった。昔僕がいたSnottyというバンドのドラム・タイゾウ君によく似ていた。
その方がのっけから「うわ~」とか「いや~」とか何かそわそわしていた。よく聞くと、僕がいた別のバンド・銀杏BOYZを好いてくれていて熱心にチェックしてくれていた人だった。そういえば店に入っても、
「ささ、上座へ」
とか、あとで電車へ乗っても、
「どうぞどうぞ、上座へ」
とか、やけに上座に促したがっていた。席のことなんて全く気にしたことがなかったのでかなり戸惑った。電車の上座ってどこ? 進行方向、向かってどっち!?
とにかく、
「あのときは救われましたよ~」
と当時の思いを伝えてくれて、ありがたいやら照れくさいやら。
なかでも、毎年元旦0:00に必ず更新していた僕たちの「プロフィール」のリニューアルが楽しみでならなかったという。あれはプロフィールといっても「あいうえお作文」だったり「ABCからZまで」だったり、ネタ作文に近い。じつは当時リアルタイムで作業をしていて、元旦明けてからもダメ出しやら修正やらに必死で、とても正月を迎えている気分ではなかった。ほろ苦い思い出の逸品だ。だから、そういってもらえて心が軽くなった。
話題はそのうち、僕の家に「移住」した仏像3体のことに移った。前著でも書いた、祖母が祀っていた福山から移住したお地蔵さん、観音さん、お大師さんの3体。祖母の前は、全く見ず知らずのおばあちゃんが祀っていたという。すると先ほどの革ジャンさん、
「福山ですか!? 僕、笠岡なんですよ!」
と強めに告げた。また君か。
笠岡は福山から「広島-岡山」の県境を挟んですぐ隣の市だ。なんということ。そのお地蔵さんたち、見知らぬおばあちゃんが祀っていた当時の場所は、なんと笠岡だった。そして畳みかけて、
「笠岡って、石で有名なんすよ」
石!
「そう、笠岡は、石の産地なんすよ」
産地!
実はわが家にやってきたお地蔵さん達は、見事なまでに石像であった。
以前、先輩僧侶に「石でできたお地蔵さんとかって、ふつう建物の中で祀らないんよね」と言われたことがあり、心に引っかかっていた。石像は外にお祀りするとのこと。屋内は木造とか、塑像ということになるだろうか。
石の仏像、フロム笠岡。知らなかった。革ジャン君、ありがとう。
福山に何十年か住んで、周防大島に移住してきた仏様。岡山、広島、山口と旅して、石が来島した。
そしてさらに話は展開。
「石といえば、ファズだよね」
主にギター用に発展してきたFUZZという機材は、例えばジミ・ヘンドリクスの革命的ギターサウンドの要ともいっていいシロモノだ。ギターとアンプの間に差し込まれるその小箱、そこを通って出てくる音は制御不能で破壊的。しかしとろけるような、時にどこまでも続いていくような唯一無二の音で、誰でも知らぬ間に耳にしたことがあるくらい、今となってはポピュラーな存在でもある。個体差が激しく、それぞれの小箱の中身次第で好きなように音が暴れていく。
ブリブリブブブバビャービャー、バビャーッ。トゥーーーーン。
そのサウンドに演奏者も聴衆も酔いしれて、宇宙につながってしまうかのよう。僕も多用していた。
サウンドの秘密は、この小箱の中にある回路、基盤に埋め込まれた小さな「石」に隠されているという。
小さな石が、音を通して僕たちを宇宙とつなげてくれるのだ。
***
それと前後して、父からの電話が続いていた。
「中村家の墓石をお前のところに移動したい」
つまり、中村家の墓を今後のためになんとかしたい、ついては「周防大島に動かそう」ということだった。その墓は、僕が生まれたころから福山市内の墓地にあるのだった。
墓問題は多くの人たちのあいだでも話題にのぼる昨今である。ついにわが家でも自分ごとになった。墓じまいする? とか永代供養する? とかいろいろ案があるけど、僕は現在の実家がある埼玉に戻る予定がないし、子どもたちのことを考えるとどうなのかな、とかいろいろある。そこで僕からも「墓石を周防大島に移動するのはどうか」と提案をしていた。
じつは笠岡に父のお姉さん家族が住んでいて、その方たちがずっと守ってくれていた。また笠岡だ。
今までお世話してくれていたのに周防大島に移すのはどうなのか、あるいは、祖父母たちの思いはどうかということも、気になっていた。
周防大島に墓石が移ることについてあらためて父に尋ねてみると、さらっと、
「だいじょうぶだよ。もともとうちは流れモンだから」
と僕にいった。父は、中国山地の中ほど。現在は統合して三次町のなかに含まれる、山あいの村の出であった。墓ももとはそこにあり、父もその地で育って肥溜めに落ちたという話だけが、僕の印象に残っていた。
そもそも遠方からの「墓石の移住」はいろいろな意味でアリなのだろうか。重たいよ? 乗用車じゃ運べないよ? そこで石材屋さんに、周防大島の墓地へ下見に来てもらうことになった。
***
2日後。ご年配の方と僕よりすこし上くらいの方だろうか、石材屋さんのお二人がはるばる到着した。車で3時間、福山からだった。
海辺にある墓地に到着するなり、こんな会話が繰り広げられた。
「社長、ここのはみな徳山の石ですね?」
「おお、徳山の石よ」
山口県の石。パッと見で分かるのがすごい。
「目が細かいの」
「おお、ここらはみな五輪塔がないの。広島が近いけえか。」
「お、これらは岡山式じゃ」
「中国産じゃ」
石の表情と、地域。石がどこで生まれたのか瞬時にわかるようだった。
また、僕に「お客さん、見てごらんなさい」という。指差されたその石には、切れ目が入っていて「こうして組み合わせて作るか、一枚の石にするかでも違うんよ」と教えてくれた。また墓を触りながら、「ここは傾斜がついとろう? 雨が降りぁあこうして流れるようになっとる」。国産の石では、よく見ないとわからないぐらいの加工がされているのだとか。
奥深い。そしてすかさず聞いたばかりのこの質問を投げてみた。
「社長さん、福山と近いから・・・やっぱり『笠岡』の石を使っているんですか?」
すると社長、
「笠岡の石は、わしゃ好かん」
かなりの速さで即答だった。なぜなんだろう。いろいろあるんだな。
***
死んだらどうするか。今でも多くの人が墓参りをされるけれども、これから墓石を持つことも一般的ではなくなりつつある。樹木葬や海洋散骨、宇宙葬なんていうのもある。火葬だって昔からやっているようでいて、つい最近までは周防大島でも土葬だったと聞く。義理の父は、
「火の玉を見たよ」
と言っていた。土葬とリンの発火の関係だろうということだった。墓にまつわることでも伝統的なようでいて、さかのぼれば意外と歴史の深浅はさまざま。
僕は東京郊外で育ち、島での今と比べると「死」と「墓」の存在はかなり遠かった。墓参りにもあまりなじみがない。お坊さんなのにこういうことを言ってはいけないのかもしれない。墓の必要や生活との関わりは、僕のなかでは正直よくわからないのだ。僕の師匠は「あったほうがいい」と教えてくれたし、別の僧侶の方は違う意見だった。
島が地元である妻の家族は、僕に比べたら「墓」が生活にかなり溶け込んでいる。
何がしっくりくるのか、いろいろなものを頼りに、自分で考えるしかない。
でも、ちょうど10年前にこんなことがあった。バンドを辞めて次の生活を一から始めようとしていたころ。将来に不安はなかったけれども、
「自分はどこから、何のために生まれてきたのか」
をそのときの僕はかなり考えていた。それを知って次の生活ができたらと思っていたのだ。誰も教えてはくれないので、手探りでヒントを求めてまわったのだけど、その一つとなったのが墓だった。
どこからどう辿って、ここまで来たか。墓標というけれど本当に「しるし」みたいで、僕の場合には助かった。
これらを踏まえて、将来の子どもたちにとってはどうなのかと、自分の体験をもとに考えていった。
墓についてはもう一つ高田宏臣さんが著した「土中環境」を読んでいた時、こんな記述にへえと思った。
塚や墓標、灯籠、石塔などの屋外の石造物は、かつてはあえて表面を磨くことなく、鑿跡を残すなど、コケの載りやすい状態に加工してすえてきたことからも、先人の深い智慧を感じます。
これらが苔むして、そして菌糸が覆い、根が絡み、その土地の環境が育まれます。(「土中環境」P.53)
岩石と菌糸と根が絡むことで、水の流れや土の生成を促しているようなのだ。このパターンの墓への視点は、初めてだ。
かつての土葬地における立石の墓標も同じ理由で、遺体が腐敗せずに大地に還りやすい状況をつくろうとしてきた経験的な智慧の集積が、そこに必ずあると考えられます。(同上)
巨石や磐座も、理由なく大事にされてきたわけでは、どうもないようだ。これまで知らなかった働きがあるというのか。驚いた。
***
小1の息子がやけに「石」に興味を示すので図鑑を読むと、「石」と「岩」の区別ははっきりとはない、ということも僕自身が学んだ。
そういえばロックという音楽、訳せば「岩」。ローリングストーンズ、「石」。まさか・・・。
これは本当のところ、船と海に由来する言葉で「縦揺れ横揺れ」"Rocking and Rolling"から来ている、と島に住んで5年のフロムアメリカ、エイブ君に教えてもらった。岩は直接には関係なかったみたい。
ん? 船と海? わが家にいたという演歌の作詞家・星野哲郎さんは元・船乗りであり、船と海がモチーフの詞、多くの人に知られた歌がたくさんある。まさか、ロックと演歌が・・・!?
いや、これはまた今度にしよう。
追記
この文章が書けた直後、高野山の奥の院に初めてお参りしてお墓に対する考え方がまた新たに。これからも考えていきます。
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