ダンス・イン・ザ・ファーム2

第10回

お米の配達を忘れていた

2022.12.08更新

 久しぶりの雨、強い雨が降った。その中で周防大島の海沿いを車で走っていたら、水鳥たちがあちこち浮かんでいた。寒いのに、雨強いのに。久しぶりだからうれしいのかな。不思議だった。

 別の日、そう深くない夜。車でドンッ。イノシシを轢いてしまった。
 初めてのことで、向こうもこちらも気づくことなくぶつかった。あわてて車から飛び出すと、何もいない。血が出ている形跡もない。でも確かにぶつかった感触があって、車の前面をみると少し茶色の粉のようなものが付いていた。
 顔を上げると、かなり大きめのイノシシが不自由な歩き方をしながら山の方、ではなく住宅の方に消えていった。気の毒なことをした。

 そのあと用事を済ませて帰るときに、もう一度同じところを通って車を降りて現場を確認した。

 「あれは、本当にイノシシだったのだろうか?」

 という思いに駆られたからだった。もしかして人に当たったのに、脳で勝手に変換したのではないだろうか。そんな感触だったのだ。
 この話を後日ほかの方たちとしていたら、「じつは私も同じ経験が」という声がいくつも上がった。やっぱり同じように、「人だったかも」と思って現場に戻るという行動を取っていたそうなのだ。これも不思議っちゃあ、不思議だ。

 別の日。ヤギのこむぎと散歩していると、「ブォーン」と重低音の羽音が耳の周りで聞こえた。11月末だというのに、まだいるのか。1匹のオオスズメバチが開花中のサザンカらしき花の周りを飛んで、花に潜っていって蜜を吸っている様子を初めて見た。

 女王バチが12月ごろまで活動し、越冬したあとまた初夏になって活動を一匹で始める、と何かで読んだことがある。初夏に、僕の梅畑で巣づくりを始めた女王バチと腰が引けながら対峙したことがあったので、ついに冬の前の状況も観察できたことになる。寒い時期を超すためのエネルギーを、せっせと集めていたのだね。

***

 はあっ。しまった。

 この連載をもとにした前著『ダンス・イン・ザ・ファーム』の発売記念のライブを行った昨年2021年夏。渋谷で、落語家の立川談笑さん達をお招きして開催した。その続きで、先日の晩秋、同じ会場で落語、浪曲、音楽に加えて「周防大島」も紹介するというライブを行った。

 おかげさまで盛況で終えた翌日の東京滞在中、電話が入っていた。たまたま出られずメッセージも届いていたので見てみると、こうあった。

 「お米の注文をしていた〇〇ですが」

 周防大島にお住まいの、お米の配達先のお客さまからだった。はあっ。しまった。

 忘れていた。僕はこの方から注文を電話で受けていたのだけれど、そのときのメモをどこかに紛失して、僕の頭では「注文すべて完了、よし」とすっかり忘却の彼方へ。電話の際に、いつもと違ううす茶色の紙にメモしていたのを思い出した。

 島内の友人が生産するお米の配達だ。「今シーズンはすでに完売」と報告を受けていた。

 家の在庫、ど、どうだったっけ。

 果たしてお届けするお米が家にあるのかどうか、大変不安になってしばし呆然。昨年夏のライブのあとは妻の怒りのメールでしばし呆然の夜だったけど、今回もまた若干、やってしまったらしい。

 家にいる妻に電話してみるとたまたま在庫があり、あとで1袋だけ友人に融通してもらうことで何とかなることがわかった。ギリギリ。ふぅ。

***

 数日の東京滞在から帰り、段取りをしてお米の配達に向かう。

 目的地のAさん宅は、周防大島の中央あたり、海沿いの国道から山の方へ上がっていく地域だ。僕が住んでいる辺りは山が高くないのだけれど、Aさんの地域はだいぶ山深く、川の流れも豊かで、様子が違うのが面白い。ぐいぐいと米を積んだ車で進んでいく。

 Aさんのおうちに到着。すでに玄関が開いていたので待っておられたのだろうと推察しながら、ごめんくださいといって声をかける。

 すると中から、かっぽう着姿の女性が出てきてくれた。

 「遅れてすみません」

 とまずはお詫びを申し上げる。メモを失くしてしまって忘れていました。
 すると、優しい寛大な言葉をいただいた。お許しを得て、それなりの重量の1袋30kgの玄米を運び込む。終わってお金のやりとりを完了すると、こんな質問をいただいた。

 「えっと、このお米は中村さんが育てた・・・」

 「いえ、このお米は村上さんという屋代の方が作っていて、それを配達するのがわたくし中村で」

 「東和の・・・?」

 「はい、東和の中村です」

 「東和の中村さん・・・」

 突然あ! っとおっしゃって僕もびくっとなった。何かに合点がいったようだ。

 「東和の・・・中村明珍さんってあなただったの?」

 ギクッ。何かさらにお詫びしなければならないことがあったのだろうか。

 「まあ、あなただったの。本、読みましたよ」

 ギクギクッ。会えてうれしいわ~と満面の笑みでお声がけいただく。お米の配達にいって読者に会った。怒られるかと思っていたのでその高低差でどぎまぎした。よかったあ~。このパターンは初めて。

 「おもしろかったですよ。読みやすくて」

 う、うれしい。なんでも、地元にずっと住んでいると、こうしてよそから来た僕のような人が島で見えにくいところ、普段意識にのぼらないことを書いているのがよかったのだとか。聞けばAさん、80歳を超えているという。肌があまりにつるつるしていて全くそうは見えなかった。

 「白鳥さんとのお話会でね、あなたの本のことがオススメされていたので下の図書館で借りて読んだんですよ」

 白鳥さんとは前著でも記した、近年「町議員」として当選して活躍中の女性だ。
 このAさんは近隣の女性たちとサロンを運営していて、定期的に島の議員さんを呼んで意見交換をしているのだという。町議会の放送もよく聴いているそうだ。

 島にずっと住んでいる方に、こうして読んでいただけて、感想ももらえるのは本当にありがたいこと。書き記すことができてよかった、と思った。

 今、僕はこうして続きを書いている。となると。

 「次はどんなことを書いたらいいか、なにかアドバイスありますか?」

 と聞いてみた。島に住んでいる人が、この本の続きをどう思うか知りたかったのだ。またとないチャンスだ。すると、

 「えーっとね・・・」

 とかなり速い間合いで、続きを話してくれた。思うところがあったんですね。
 聞くと、「今度はもう少し深堀りしてほしい」というリクエストだった。「たとえばどんなことですか?」と返してみると、

 「たとえばそうね。周防大島の風景とかですかね。島の外から来た人の目線で、もっと書いていってほしい」

 なるほど。

 「あとは・・・議会の傍聴行かれてたじゃないですか。あれにどう思ったのかとか、もうちょっと書いてほしかったですね」

 思いのほか、けっこう意見をいただいた。

 たしかにそうかもしれない。僕は島の生活に慣れていくにしたがっていろいろなことが「当たり前」になっていってしまったのだろうか。
 そして、このやりとりを今ここに書いてしまっているけど、また本になったとしたら、Aさんはそのときどう思うだろうか。

 ここにきて、日本国内であっても僕みたいな移住者というものには「入植者」というニュアンスがあるのではと思うようになってきた。
 本を読みながら、また娘の歴史の勉強に付き合いながら、レコードを聴きながら音楽の歴史を考えていたときに、いろいろ結びついてハッとした。

 これは「移住」についてだけにとどまらず、いろいろなことに言えるのではないだろうか。

 もともとあるもの、ある場所に、介入して変えて行ってしまうこと。それと同じように、誰かの心の内面に介入して変えようとすること。これも立派な「入植」的なふるまいなのかもしれない。自発的に変わることとは違う、心の「内面」への介入も、人間社会でとても厄介なものではないかと思う。上司と部下。友人、夫婦、親子関係。DV。健康と、自分や誰かの身体。子どもの内面への介入は、よく考えれば日常的に起こっている。
 このことで、僕たちは多くの場合困っているのではないのかな。

 畑で作物を育てていくことも、その字の通りの「入植」なのかもしれない。僕が考えたいのは、そうした地域も内面も含めた介入の自覚と、「入植」した場合の溶け合い方だ。

 島に移住して数年したとき、ある地元の方から「移住者は声をすぐ上げる。これを読むべきだ」と南米移民として渡った日本人の記録の本を手渡された。静かな口調ながら、怒りも感じられた。
 このニュアンスが今はより実感を伴って伝わってくる。「地域を変えていこう」としてしまうときには、たとえ地域をよくする方向だったとしても、ある意味で入植的作法で暴力的で、おこがましさがある。人間の内面についても、同じではーーーー。

 仏教の僧侶のことでいうと、日本列島のなかで試行錯誤のなかから出てきた神仏習合の形や鎮魂の方法など―――それらはある意味でその入植が溶け合ったり、なんとか場のバランスを取っていこうとしてきた営み、ともいえそうだ。それは途上でもあって、これからも続けていくことなのだろう。

 田畑を通して。また、生きているなかでその自覚をすることと、そこで見たり感じたりしたものを記していくこと。これを僕はやっていくべきなのかもしれない。
 そういう意味では音楽のレコードも、内面への介入や摩擦からくる、普段見えにくい心の叫びを "記録"しているものの一つに思えてきた。

 入植や内面のことは続きで書きたいと思うけれど、Aさんのリクエストから離れてまたがっかりさせてしまうかな。

***

 こんなことを考えていたらまた国道で1頭のイノシシを轢きそうになった。車が来ても、逃げないんだみんな。車にぶつかった経験があると、逃げるようになるのだとか。

 そのあとゆっくり家に帰っていくと、今度は3頭のイノシシがまた山から下りてきていた。よくわが家にやってくる3頭で、ちょっと前より成長して大きくなっている。成長を見れてうれしいのか厄介なのか、複雑な気持ち。彼らのおかげで家の周りは荒らされ畑への考え方がまるっきり変わった。でもこのときはちょっと「うれしい」の気持ちが勝ってしまった。
 あーあ、と思って静かに空を見上げたら、流れ星が流れた。

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中村 明珍

中村 明珍
(なかむら・みょうちん)

1978年東京生まれ。2013年までロックバンド銀杏BOYZの元ギタリスト・チン中村として活動。2013年3月末に山口県・周防大島に移住後、「中村農園」で農業に取り組みながら、僧侶として暮らす。また、農産物の販売とライブイベントなどの企画を行う「寄り道バザール」を夫婦で運営中。2021年3月、『ダンス・イン・ザ・ファーム』をミシマ社より上梓。

「ダンス・イン・ザ・ファーム」の過去の連載は、書籍『ダンス・イン・ザ・ファーム』にてお読みいただけます!

編集部からのお知らせ

『ちゃぶ台10』に中村明珍さんの寄稿
「ボゴ・ダンス ーー日本語の話者としての」掲載!

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12/10(土)発刊『ちゃぶ台10 特集:母語ボゴボゴ、土っ!』に中村明珍さんによるエッセー「ボゴ・ダンス――日本語の話者としての」が掲載されています! ぜひお近くの書店でお手に取ってみてください。

『ちゃぶ台10』詳細

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