ダンス・イン・ザ・ファーム2

第24回

住職前夜

2024.01.25更新

 小2の息子と島外から車で帰ってくる最中に、息子がいいだした。

「トイレいきたい......」

 周防大島と本州にかかる1020mの橋を超えて、公衆トイレやお店があるエリアを過ぎ去っていたところだった。家まではまだ30分ほどかかる。

「もうちょっとだけ、がまんできそう」

 と彼はいい、様子を見ながら家までひた走る。お腹の痛さの波が、寄せては返しているようだ。しばらく走るとまたお店があるエリアになるけど、今すぐにはない。いよいよのときはどこかの野山でするしかないね、と伝える。ブーーーン。

 「......とっと、トイレない?」

 僕に小さな声でそう告げる。また波が寄せてきたようだ。「まだここにはないよ、大丈夫?」と聞くと、彼はこうつぶやいた。

 「これが、現実というものか......」

 どこで覚えたんだその言い方。大丈夫かな。

***

 晩秋からもう冬に差しかかり始めていたころ、遅くなった稲刈りを手伝ってくれた近所のおっちゃんと、田んぼでの最後の作業に取りかかろうとしていた。脱穀だ。

 「はざがけ」「なだら」―――木の棒をいくつも立てて、横に長い竹の棒を渡して稲穂の束を干している。それを機械に入れて、もみのついた米粒を分離させていく。キャタピラーのついた「ハーベスター」というマシーンを以前いただいたのだった。田んぼに持って行って始める。

 おっちゃんと僕、田んぼという名のリングに上がろうと、イノシシ除けの電気柵の線を一緒に超える。まるでプロレスのタッグのように。1週間ぶりぐらいの作業にとりかかる直前に、こういわれた。

「はあ、もう、いっそ全部燃やしちゃろうかと思うたよ」

 えっ。刈った稲を。

 

「風が強ぉてから。もぉ、干しても干しても落ちてきょって」

 たしかに、ここ数日、風が強かった。稲わらの束の数々を干したはずなのに、あくる日に落ちている。次の日も落ちている。僕は毎日行けていなかったので、近所のおっちゃんが拾い上げてくれていたそうだ。それは、そこまでの気持ちになるか。

 稲わらが干してある竹の上から、重しとして別の木の棒があてがわれて、さらにもう落ちないように縛られている。このおっちゃんは、タダモノではない。以前、水中ポンプが雨で流されそうになったときも、翌日みてみると、竹を水路にうまくはめ込んで見事に固定してくれていた。いつも、その辺のあるもので工夫している。大工だからなのかな。これらの発想がことごとく僕にないことも浮かび上がる。

 というか、僕が担っている田んぼで、なんでこんなに手伝ってくれるのだろう。

 二人で行った脱穀の作業は、機械の機嫌を感じながら、どんどん上達していき、無事に終わった。

 

 「諦めんでよかったのぉ」

 と言われて、お互い顔を見合わせた。40歳くらい離れたこのタッグに友情が芽生えている。

***

 毎月2回、島から橋を通って本州に渡り、お寺での法要に参列している。1400年以上続いている平生町の般若寺というお寺だ。「護摩」という、火を焚いて祈る儀式。かつて東京にいたときにも、例えば下町の深川不動などで護摩をやっている時間によく足を運んでいた。好きなお祭りだ。

 

 毎年恒例のクリスマス・イブの日、般若寺で年末最後の護摩法要を勤め、終わって着替えて帰ろうとしているときに妻から電話が鳴った。電話口で泣いている。

 「じじの実家が燃えている」

 ええっ。妻のお父さんが生まれ育った家が火事、という電話だった。義理のおじ夫婦をはじめ、いとこの家族などが今も住んでいる、古くからある家だ。島のなかでは住宅が隣接している、街になっている場所。みんなが無事なのかがとても気になったが、この電話の時点では全くわからない。延焼も気がかりだ。

 1時間後、もう一度妻から電話が鳴った。今度は泣いていなかった。

 「全焼だけど、みんな逃げて無事だったって」

 ああ、ああ、よかった。この1時間でいろいろな可能性を考えていた。大丈夫だと心から信じる一方で、まさかのことがあったらと。僕はこの間、意識する間もなく真剣に無事を祈っていた。

 義理のお父さんは、妻と電話しながら泣いていたそうだ。それはそうだ、生まれ育った生家だ。それが数時間で燃えてしまった。僕には生家というものがないのですべてはわかりきらないけれど、あまりに詰まっている思いが莫大だ。

 それでも、「みんなが生きていた」ということは、思った以上にありがたいことに感じられた。生きていることに必要以上に執着しない、というこれまで学んだ知恵がありながら、家が燃えた悲しみと同時に、生きていれば開ける道もあるよな、と。そういうことをこの1時間で痛烈に感じさせられた。僕は当事者ではないから、軽々しく言えないしその重みは図りしれないと思いながら。

***

 お寺にある田んぼをやりながら、別のお寺の方から「住職になりませんか」と、あるお寺を紹介されたことを前回記した。

 

 友人などにこの話をすると、たびたび「檀家はいるの?」という話になる。江戸時代から始まったという檀家制度は、現代のイメージとしては世代をまたいだ「会員」というところだろうか。そして、僕が紹介いただいたお寺は、檀家はゼロなのだった。収入はあるの?という意味のこの質問。「お墓はあるの?」とも聞かれるけれども、こちらもゼロだ。住職のお話だけど、じつは住むには小さかったりして、「住職」なのに「住」できない環境でもある。若干遠くにある、住む家がすでにある僕には、かえっていいことではあるけれども。

 そう話していくと、「引き継ぐ意味あるの?」という質問にぶち当たってしまうのだった。先に始まっている「芝居小屋の引継ぎ」でも、同じことが話題にのぼりがちだった。

 意味、か......。

 なんでこの地域にこのお寺が建てられたのか、収入などの事情の前段階に、理由があったはずなのだ。今はそのことを調べている。場所は周防大島から一番近い駅、大畠のそばだ。僕は島に住んでいるのに、島の外のお寺になぜ縁ができつつあるのだろう。家から40分ほど車で走らなければならない。

 檀家はゼロでも、お寺には「総代」さんという、いわば役員のような世話人の方がいる。その方のことを地域の人づてに聞いたところ、思わぬことがわかった。「周防大島の橋」に関係しているのだという。

 橋といえば、今の僕の生活には欠かせない存在だ。創立47年。当初は通行が有料だったけれども、生活道路として、政治的な動きとともに無料になって今がある。周防大島の観光客の流入数は近年100万人を超えたとか。橋があるからこその動きだ。

 2018年に、橋に大きな船がぶつかって、併設する水道管、光ケーブルとともに破損したという事故があった。橋と水道管が一緒だったばっかりに、交通と水というインフラのダメージの記憶が今も焼きついている。

 お寺の役員である総代さんが、この橋に関係していたとは。これがとても気になってしまって、お寺を継ぐことをまだ決意していない段階で、ご自宅を訪ねてしまった。質問の内容に緊張して、何日か家の前に行ってはためらってしまった。そして、ついに意を決して、自宅兼お店のドアを開けた。

 「すみません、中村と申します。突然すみません。知人から、橋に関係したお仕事をされたことがあると伺ったのですが......いつも利用しているものとして一言お礼を......」

 我ながら変な一言になってしまった。何かヒントがあるのではないかという切実な思いが空回っている。すると、総代さんは快く答えてくださった。

 「私はじつは地質学の研究者なんです。依頼を受けて全国の地質を調査していますよ」

 

 ええっ。

「この大島大橋作ったときも、海底の地質を調べたんです」

 そうなんですか!橋の、土台に関わっていた。そんなことをされていた方だったのですね。

 今後もなにかありましたら、と名刺をいただいて家に帰ってネットで調べてみると、今度はこの海峡についての論文が出てきた。橋を渡って周防大島の入り口に位置する山には、古事記に出てくる神が祭られている。「大畠瀬戸」といわれるこの海峡は、それぐらいの古さの、人の営みを感じさせる場所である。

 この論文には、調査の協力者として、僕が訪ねたこの総代さんのことが綴られている。

 そして読み進めるうちに驚いた。この海峡付近を調査する上で、重要な場所として、先述の「般若寺」が挙げられていたのだ。

 この般若寺は、般若姫という女性に由来している。天皇のもとへと、九州から都に上る姫を乗せた船団が、この海峡で嵐に見舞われた。そこで姫自ら身を海に捧げることによって、嵐を鎮め船団を守ろうとした。その鎮魂のために創建されたという。発願したのは、用明天皇で、聖徳太子の父親である。初代の住職は高句麗から渡来した僧侶、慧慈和尚。聖徳太子の師匠なのだった

 この通称「大畠瀬戸」と呼ばれる海峡は、古来から交通の要所であり、難所であるそうだ。地質学的に見るとそこには地上からは見えない岩があるという。

海峡を通る船が、般若寺のある山の上を結んだ線を通れば、海底の岩を避けて無事に通過できる。そのような場所に、寺が建てられたというのだ。

 僕は戦慄してしまった。僕が引き継ごうとしているお寺は100年あまりほどの歴史しかない場所ではあるけれども、今の島に切実な存在である橋。それが架かっている海峡の歴史が、こんな形で迫ってくるなんて。

 僕はこれらのことを聞きながら、ついに紹介いただいた先輩和尚に「引き継ぎたいと思っています」と告げてしまった。2024年に入る直前だった。

このあとの流れはどうなるのか全くわからない。住しない職。住職になったら前には戻れない。その前夜を記してみている。

 ちなみに、「総代さん」には息子さんがいて、その方はなんとプロのギタリスト。また、僕が継ごうとしているそのお寺の本尊は不動明王で、僕がバンドをやっていたときに最初に転がり込んで助けてもらったお寺も不動明王だった。

 継ごうとしているお寺の奥には、枯れてしまった滝があるという。割と最近の道路造成の後で枯れたとか。地質と歴史の旅も、これから一緒だ。

1.jpg般若寺から大畠瀬戸をのぞむ

中村 明珍

中村 明珍
(なかむら・みょうちん)

1978年東京生まれ。2013年までロックバンド銀杏BOYZの元ギタリスト・チン中村として活動。2013年3月末に山口県・周防大島に移住後、「中村農園」で農業に取り組みながら、僧侶として暮らす。また、農産物の販売とライブイベントなどの企画を行う「寄り道バザール」を夫婦で運営中。2021年3月、『ダンス・イン・ザ・ファーム』をミシマ社より上梓。

「ダンス・イン・ザ・ファーム」の過去の連載は、書籍『ダンス・イン・ザ・ファーム』にてお読みいただけます!

編集部からのお知らせ

【数学の演奏会+偶然と音楽 in 周防大島 2024立春 開催のお知らせ】

【日時】2024年2月4日(日)

OPEN 17:30 START 18:00(途中休憩あり)21:30頃終演予定

第1部「数学の演奏会」森田真生

第2部「偶然と音楽」 森田真生・キセル

【出演】森田真生 / キセル / 進行:中村明珍

【会場】周防大島町和佐・旧公民館

住所 〒742-2518 山口県周防大島町和佐332-5

詳しくはこちらから!

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