ダンス・イン・ザ・ファーム2

第30回

田畑は待ってくれない

2024.07.24更新

 田植えは半夏生までに終わること。

 そういう習わしをいろいろな人から聞いている。半夏生(はんげしょう)とは暦で「夏至から数えて11日目」の日のことを表すのだそうだ。

田植えは半夏までには植えてしまわねばならないとされていた。

 民俗学者の宮本常一がほとんど一人で書いたという、分厚い郷土史「東和町誌」にも、こうした記載がある。

 ちなみに、周防大島町は、通称「平成の大合併」といわれる市町村の統合の際にできた町。それまで4つあった町が1つになったのは、ちょうど20年前の平成16年、つまり2004年。その年といえば、僕は銀杏BOYZというバンドに入った次の年。その翌年出ることになる2枚のアルバムにむけてのスタジオ録音と、大量のライブに明け暮れていた時期。そのことに最近気づいた。

 今、僕が住んでいる地域は、その頃まで4町だったうちの一つ、「東和町」である。

 話を戻すと、「半夏生」とは、大体7月2日あたりを差すのだそうだが、2024年は7月1日がその日にあたる。どうしてその日までに田植えを終わらなければならないのか、僕ははっきりとした理由を聞いたことがない。なんとなく、生育に関係していそうだと思っている。

***

 今年春、小学校の先生から初めてのオファーがあった。

 「小学5年生のクラスの授業で、田植えと稲刈り体験をさせてください」

 この小学校は、2年前に2校が合併してできた、その名も「東和小」。5年生のクラスは合併で10数名に増えた。

 じつはこの地域の小学校、20年以上前から昨年まで、周辺ではもはや貴重な存在になった田んぼを持つ農園の方のもとで、毎年「田植えと稲刈り体験」を全校で行ってきた伝統がある。うちの2人の子たちもそこで経験させてもらってきたため、僕が教えるまでもなく、田植えも稲刈りも自分の手でできるようになった。むしろ、僕に教えるぐらいの勢いだ。

 「この田んぼでの体験、すごくいいと思うので続けてください!」

 と、この体験を担う農園の方に、以前伝えたことがある。それは、運動会のあとの、先生と保護者を交えた「飲み会」の席でのこと。コロナの時期の前までは、毎年この飲み会があって、僕は面食らったと同時におもしろいなと思っていた。保護者の人たちは、たとえば役場、郵便局、車屋、造園、水道、漁業、福祉、お寺などなど、地域の職場で普段出会う人たちでもある。かつての東京での生活の印象と違って、こちらでは常に「保護者の顔」と「地域での顔」の二面を感じている。それがここでの人間関係の近さの一つ。さっきの農園の方もそうだった。飲み会ではさらに、学校の先生も加わる。

 「あのマンガ、おもしろいですよね」

 飲み会でこうこぼしてくれたある先生。「先生も地域の人間なんだ」とわかった瞬間だ。こんな他愛のない会話が、けっこう大事なのではと思った。でも、飲みの場が好きではない方も多いだろうし、良い悪いはわからない。今はもうこの場もなくなってしまった。

 さきほどの農園の方は、事情で今年から小学校の田んぼ体験の受け入れは辞めることになったと聞いた。僕は飲み会のときから「できたら続いたほうがいい」と思っていたので、このたびのオファーを受けることにした。子どもたちにとって、こんな機会は島のなかでも、もう一部にしか残っていないから。

 ところが、だ。先に「受ける」と決めたものの、いろいろ詳細を詰めていくとなかなか一筋縄ではいかないことがわかってきて、焦った。

 とくに、スケジュールについて。「半夏生」までに植える、というところから逆算していくと、その前に「代掻き(しろかき)」や「畔塗り(あぜぬり)」が終わっていなければならず、その前に、田に水を入れていなければならず、その前に草刈り、田起こしが終わっていなければならず、その間に稲の苗を育てておかなければならず......などなど芋づる式に作業日程が確定されていく。

 ポイントは、それぞれ作業の間隔が、遅すぎても早すぎてもダメなことだ。なぜダメかというと、大きな理由のひとつは、作業したそばから「せーの」で草が生え始めて、時間とともにどんどんたくさんの草に覆われていってしまうから。そうなると、どこかの過程で、「やり直した方がいい」場合も出てくる。

 6月は日を追うごとに気温が上がっていく時期で、稲もそうだけど、草の伸びもどんどん早まっていく。加えて、最近では大雨が降ったりとても暑い日が来たり、少し前よりも極端な天気が増えていることも挙げられる。作業の日程は、頭で描いた通りには進まない。

 さらに加えて、僕は梅の栽培をしているので、6月は収穫と重なっているのだった。近年は気温の上昇もあってか、少しずつ収穫の時期が前倒しになっている傾向を感じていて、それを加味したうえで、予定を立てていく。

 一方その頃、田植え授業の日程を、学校側と相談していた。声をかけてもらったのが1学期開始後、春が始まってしばらく経ってからだったので、どこに体験授業を設定するか、予定を入れ込める日で悩む。学校のカリキュラムに基づいたスケジュールの都合もある。

 僕は島内で稲作をしている他の人たちよりも、もともとかなり遅めの進行にしている。先述の梅の事情があるからだ。そこで、先生たちと相談して、体験の日は夏至よりもあとの6月27日の午後とした。

 本当は午前か夕方など、気温が上がりすぎない時間帯が安心なのだけど、先生と相談したところ、時間割と帰りの児童のバスの都合もあって、お昼の短い時間で行うことに。「雨天時は、延期にしましょうね」とも決めた。

 農家の先輩には、以前「代掻きをして3日以内に田植えをした方がいい」とアドバイスをもらっていた。そうしないと草が生えてしまうから。稲が負けて全然収穫できないという失敗は、これまで何度か経験している。

 子どもたちが今回田植えをして、秋には収穫をするので、自分だけで栽培しているところよりも慎重に準備していきたくなる。草刈りも入念に、代掻きも畔塗りも丁寧に。

「耕耘機よ、この一枚の田んぼだけでも持ってくれ」

 調子悪げな耕耘機に祈りながら作業を進めて、なんとか代掻きを終え、水を張った田んぼから出る寸前に、田んぼ内で故障した。あわわ、どうしよう。作業は終わってよかったけど、農機具屋さんに相談して部品を購入し、大した修理ではないけれどもなれない自分、見よう見まねで直して、ようやく田んぼから出すことに成功した。これで2日くらい経った。

 田んぼの貸主であるお寺の奥様も「小学生が来るんですよね」と、草刈り機を駆使して手伝ってくださる。大変な作業なのに、ありがたすぎる。そして当日へ。なんとか間に合った。

*** 

 6月27日、田植え当日。雨。

 朝の時点で、電話で「延期にしましょう」となり、予備日としていた7月2日に変更した。半夏生からはみ出してしまうけど、しょうがない。1日くらいは大丈夫だろう。その間に、ずれ込んでいた他の田んぼの準備をすればいいんだから。

 翌6月28日。いかん、もう草が生えてきている。

 じつは、さらに少し心配なことが発生していた。並行して自宅の庭で育てている稲の苗が、ちょっとずつ枯れこんできていたのだ。最初のうちは発芽もうまくいき、緑の絨毯のごとくきれいな苗が順調に育っていた。通りかかった近所のおばちゃんにも、

「まあ、苗育てるの上手ねえ」

 と声をかけられるくらいで、安心していた。褒められることに慣れていない僕。ちょっと調子に乗ってしまったのかもしれない。この稲はおそらく病気ではなさそうで、雨が降りすぎて部分的に水没したか、苗の老化を疑っている。植えるまでに時間が経ちすぎてしまったように感じた。

 苗は、予備も含めて多めには用意していたけど、日に日に悪くなっていく。焦る。足りなくなったらどうしよう。

 一方、田んぼの準備では、6月29日に決断して、結局代掻きをやり直した。このまま田植えをしてしまったら絶対に「草に飲まれる」のが想像できてしまったのだ。その間、ほかの田の作業ができないのが悲しいけれど、子どもたちの体験のためだ。直した耕耘機よ、もってくれ。燃料よ、足りてくれ。

 じつは前回の代掻きでは、突然、耕耘機が大量の白い煙をもうもうと吹きだした。すごい匂いとともに。横にいたお寺の奥さんも、

「あらら? 大丈夫??」

  とかなり心配されていた。農機具屋さんに行って聞いたら、「オイルの入れすぎよ」といわれた。「入れすぎたらエンジン壊れるよ」と。「もってくれ」という祈りが過剰すぎた。機械に対して無知すぎた。そのあと壊れたのは、全く違う部品だった。何事も経験だ。

 さらにその頃、僕の腰がピキーンといった。ドキッとした。「ギックリ腰か!?」と。きっと、乗るタイプではなく押すタイプの機械を使っているからだ。足にからみつく泥の粘りと、ガソリン由来の機械のパワーの歪みを、僕の腰が一手に引き受けたのだと思った。今後のスケジュールを想像して愕然としたけど、「ああ、生きているなあ」とも思った。

 結果、やり直した代掻きは、前回よりもきれいにできた。

 7月1日の半夏生の日、学校側と費用面の話をして、7月2日、曇り。

 ついに田植え体験、決行だ。天気も雲が熱い日差しを遮ってくれて、かえって過ごしやすい午後。10数名の男女がやってきて、靴を脱いで田んぼに入っていく。とその前に、

 「あ、カエルだ!」

 と追いかけていく子ども。「はい、稲植えるよ!」と担任の先生。たまたま田を作っている農家の娘さんだったのである。頼もしい。

 半数の子はこれまで田植えを体験したことがあるので、初めての子も友達同士、見よう見まねで教え合う。いつの間にかきれいな泥団子を作って左手に忍ばせる子。ジャンプしたら泥水がどうなるかを試す子。それを嫌がる隣の子。泥をコンクリートの法面に投げたらくっつくのに感心して、「みて、泥が壁につくよ!」と教えてくれる子。

 稲を植えることに気が向いてしまうばかりの僕には、とても新鮮に映る反応がたくさんだった。あとで聞いたら、泥を嫌がっている子も、帰ったらとても楽しかったといってくれていたそうだ。

 用意していた苗がどんどん植えられていく。手で植えるため、1枚の田んぼを最後まで植えきることは時間的に難しい。結局、その田の半分ほどまで植えて時間切れ。その間に晴れ間も覗いてきた。横の小川に入って、みんなで泥を落とす。「きもちいい~」と声がこだました。そして彼らはバスで帰っていった。

 ふう。無事終わった。

 残りは機械で植えるわけにはいかず、どうしようかと考えながら隣の田の準備をしていると、夕方近くになって担任の先生たちが帰ってきた。2人は裸足だ。

 「できるとこまで、続きを植えますね」

 なんということだ。暑いのに。僕はすぐには手が回らなそうだったので大変ありがたい。途中まで進めてくれて、そのあとお寺の奥様も植えてくれた。こんなことってある? と感動しっぱなし。

***

 その後、半夏生をだいぶ過ぎて、別の田植えを一つずつ終えていった。その間、苗がどんどん傷んでいったり、大雨がきて植えた苗が流されたり、感情がかなり揺さぶられる7月。結局多めに作っていた苗も、足りないくらいだった。それでもひとまず今シーズンのゴールができた。途中で、「初代・田植え体験」の農家さんが、「これ使う?」と連絡をくれて、中古の田植え機をプレゼントしてくれたのだ。しかも、僕が持っていなかった、初めての「乗るタイプ」の機械を!

 そんななか、小3の息子が小学校から封書を持って帰ってきた。開けてみると、田植え体験の感想文が編まれたものだった。

田うえはめちゃくちゃたいへんで、全体てきにべちょべちょになって、からだはヘトヘトにつかれました。それでも、みんなでワイワイきょう力していると、どんどんパワーがわいてきて、めちゃくちゃがんばることができました。いいけいけんになりました。

 子どもたちの言葉に打ち震える。僕もいい経験になったよ。

 さあ、今度は秋の稲刈りまで草取りだ。あちぃ。

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中村 明珍

中村 明珍
(なかむら・みょうちん)

1978年東京生まれ。2013年までロックバンド銀杏BOYZの元ギタリスト・チン中村として活動。2013年3月末に山口県・周防大島に移住後、「中村農園」で農業に取り組みながら、僧侶として暮らす。また、農産物の販売とライブイベントなどの企画を行う「寄り道バザール」を夫婦で運営中。2021年3月、『ダンス・イン・ザ・ファーム』をミシマ社より上梓。

「ダンス・イン・ザ・ファーム」の過去の連載は、書籍『ダンス・イン・ザ・ファーム』にてお読みいただけます!

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