ダンス・イン・ザ・ファーム2

第33回

山が動いた ―私有共有新築修繕―

2024.10.29更新

 「お寺って、買ったの?」

 夏、東京から来た友人にこう尋ねられた。僕が今年「寺の住職になった」ことを報告している際に出てきた質問だった。そして即座に、

 「あ、でも、買うとかじゃないか・・・」

 ともいわれた。僕もいわれてハッとした。そう、そうなの。買うとかではないの。住職になるって、どういうことなんだろう。

 僕のお寺は「不動院」という名前だ。というか、そもそも「僕のお寺」という表現がよくないのかもしれない。「僕が住職を務めるようになった寺」というニュアンスである。でも、これだと長いからつい「僕の」といってしまう。

 お寺は、買ったわけではなく、僕が所有するわけでもないのだった。

 今、寺の登記の手続きを行っている。やってみて、僕はこの事務がたいへん苦手なことがわかった。不備が多く、書類やメールが何度も往復してしまう。ハンコを押す手が震える。ハンコはこんなに大切なものだったのか。20代のころ、初めて銀杏BOYZというバンドでもらった印税で僕が買ったのは、「広辞苑」と「実印」だった。誰にいわれたのでもなく、そのときは自分でも「もっと他に必要なものがあるだろう」と思った。ギターとかアンプとかいろいろと。でも、その二つはそのときじゃないと一生買えない予感がしていた。今、どちらも出番が頻発しているので助かった。当時の自分のファインプレーだ。

 お坊さんの先輩に、「登記をしなおさなければならない」のだと教わった。土地や建物、会社などと同じように役所に届け出るのだ。「不動院」の初代は尼僧さんであり、その頃の書類と出会う。あちこち、筆で書いてある。

 会社の代表である「代表取締役」、これはなじみのある響きだ。お寺は「宗教法人」とされ、登記において、住職は「代表役員」という立場になるのだという。僕は、代表役員です。

 文化庁のホームページによると、「宗教法人を代表し、その事務を総理する」者をいうのだそうだ。その事務につまずいている不動院の総理は、私です。

 不動院の建物が建っているのは、お寺が所有している土地の上ということになっている。そして、僕自身がその土地や建物を所有しているわけではない。「所有している」という言い方がちょっとしっくりこない。なんとなく、お寺という存在のよさが消えてしまいそうだ。

「一時的に預かっている」

 というニュアンスが近い気がする。前提として、何らかの形で次につなぐことが想定されている。そんななか、ありがたいことにお参りの方が少しずつ増えてきているのだった。

***

 

 前回も書いたのだけど、集落でまた一人、最高齢の方が亡くなった。大往生だ。その方の「出棺」の見送りの際に、住民の一人にに声をかけられた。集落の住民総出で行うので、こういう場面もコミュニケーションの大事な一コマだ。

 「中村さん、公民館の件、動きがありそうよ」

 この連載でもずっと書いてきた、かつて芝居小屋として建てられた木造の公民館のことだ。僕は島に来てから、ライブの場として年に1、2回は使わせてもらってきた建物。その間に集落の行事でもたびたび使われてきて、数年前に集落の話し合いで「壊す」ことプラス「新しく建てる」ことが決まり、新しいものはすでに別の場所に建った。その場所はさっそく積極的に使われている。

 問題は、もう一つの古い建物の方だ。戦後すぐに建てられた建物が雰囲気も抜群で、使いやすくて、あまりにもったいないと思い、「残したいのですけど、どうにかならないでしょうか」と恐る恐る表明してきた。決まる前の話し合いからそのような態度をとっていたものの、僕はたかだか数年前に住み始めたばかりの「よそ者」だ。300人は入るこのような建物を実際にどのように残すのか、僕の一存だけではどうにもならない。僕のものではなく、みんなのものなのだ。そして、最後の片付け、つまり将来の解体まで背負えるのか。

 なので、話し合いでぶつかり合う方向には行かず、予定通り「壊す」ことと「新しく作る」こととして決まり、新しい建物が稼働しはじめた、という状況だ。

 この古い建物を所有しているのは「自治会」、つまり集落の住民全員。土地を所有しているのは「自治体」、つまり周防大島町ということになっている。所有者が2人いる状況も、この話の難しさの土台になっていた。

 ところがその後、2年、3年、4年、5年と経つうちに、その建物についての風向きが変わっていった。協力してくれた町議員さんの働きかけ、役場との調整もありながら、根本的に集落での「道端での立ち話」や「時間の経過」も作用していく。

 壊すはずだったのに、だんだんと、じわじわと「残せそう」な方向に話が変わってきたのだ。

 僕の考えとしては、「何らかの形で残して、とにかく使えればいい」と思っていた。ところが、「最後の片付けをどうするのか」という大きな課題があるので、僕のとりえる態度は「責任をもって引き受けて、最後の解体もお金を出します」ということしかなく、実際にそう表明したのだった。

 

 引き受けるとは、「所有する」という意味だ。すでに壊すことが決定済みだったため、その表明自体にも慎重さが必要だった。「どういうこと?」となってしまうから、それには年単位で時間がかかった。その表明のあと、本当に状況が変わっていった。

「所有する」とは、「購入する」という意味だ。ところが、建物が古すぎるので「値段はタダみたいなものだろう」といわれていた。むしろ解体に数百万のお金がかかるわけだから、と。

 そういう意味では、実際にいくらで買うということよりも、「所有して、片付けまで責任を取る」という「覚悟」を僕から表明したということになる。

 それを一言に圧縮して「公民館を買います」と、東京で200人近く集まってくださったトークライブのステージ上で発言したところ、翌日、妻から怒りのメールが来たことは以前この連載で記した。

 ―――。

 今月10月15日。毎月、周防大島町の広報紙が各家庭に配布される日だ。

「町有地の売却について」。

―――町有地売却について、一般競争入札を行います。

 ついに、ついに、公民館の情報が出た。売却する。所有者が2人いる難しい物件だったのに、役場の方が上手に調整してくれたんだ。

 うあああ。また入札か。いわゆるオークションだ。町が所有している物件は、公平性を鑑みて広く募集したのち、値段を高くつけた方が競り落として、取得できるのだ。

 今僕たち家族が住んでいる家(元保育園)も、入札で取得したのだった。最低価格以上をつけなければいけない。前回、もう一組入札者がいて、値段が上がってしまった。

 さあさあさあ、最低価格はいくらだ。タダ同然といわれていた物件。情報を見てみる。

 2,118,000円。

 にひゃくじゅういちまんはっせん。がーん。二百万超えているのか。タダ同然。あーん。まじか。

 そして申し込みの概要と、来月に行われるという入札の日程が出ていた。

 さらに、入札資格についての条件が記されていた。この物件について、「どんな使用の仕方をするか」などを指定の様式にしたがって記入し提出することが求められている。その審査を経て、やっと入札に参加できるようになる、という。公民館だった建物なので、地域での性質を配慮してもらっているのだ。それはよかった。

 この広報での告知のあと、妻がこの建物の横を通ったときに「公民館のまわりを歩いて写真を撮ったりして見ている人たちがいた」と話していた。加えて、

「10年前から地域の人と一緒に作り上げてきた大切な場所を、何もしてこなかった人が、お金の多さで手に入れるのは・・・悲しい」

「一度でも和佐に関わったことがあるのか」

 と思いが漏れ出る。妻の育ちは大阪なので、いわばよそ者だ。だけど、祖父母も両親もこの和佐の生まれで、自身も生まれたのもこの島だという自負があるようだ。

「今まで地域のために何かしたことがあるのか」

「葬式に出たり、出棺で見送ったり、祭りに出たり」

 と止まらない。妻の気持ちが、きもちが、変わっている!

 その話を受けて、娘にも「誰かが見に来ていた」という話をしたら「えー! よその人に使われたくない」と。おうおうおう。愛着。そうか、僕と違って君もよそ者ではなくて、地元の人になるのか。

 今の時点で、まだ入札の日を迎えていないので結果がどうなるかわからない。審査を経て、僕も入札資格を得ないといけないし、他の人も資格を得て、入札に参加するかもしれない。もしそうなったら、オークションで値段が吊り上がる。

 ここでこのことを書くと、結果的に僕が自ら周知をしていることになり、自分で追い込んでいることにもなる。けれども、このことを記すことには意味があるような気がしてしまう。

***

 戻って今度はお寺のほう。先日、不動院を大工の黒木淳史さんに見てもらった。建物に、傷みの兆候があったからだ。すると、

 「これは、なかなかですねえ」

 という。修繕の必要があるし、修繕自体もかなり厳しめだという見立てである。住むわけではないし、小さな寺であり、祈る場所なのでまずは使いながら様子をみようか。

 じつは、黒木さんには以前、さきほどの公民館の構造も見てもらっていた。入札云々のはるか前のこと。「本当に、この建物を残してもいいものかどうか」を知りたかったからだ。傷みすぎていたら、さすがに壊した方がいいかもしれない。その際の返答は、

「屋根は、きてますね」

 近い将来、屋根の修繕をした方がいいという。ほかの場所は、思いのほかいい状態だそうだ。そんな話もあって、売却・入札までこぎつけたということになる。

 お寺「不動院」の状態を聞いて、気になってきた。「不動院」と「公民館」、どっちがより急を要する状況なのだろうか。黒木さんに尋ねると、返答はこうだった。

 「いやあ~。お寺、ですね」

 ええっ!  そうなんですか。さらにこう加えてくれた。

 「あちこちがもう限界が来ていて、作り直した方が結果的に安くつくかもしれないです」

 ええええええっ!  まさか、そんなあ。

 

 お寺は、信仰の人数は少なくなっていながらも、地域の方の思いが詰まっていることを日に日に肌で感じている。住む場所がもう一つ増えたような、所属するコミュニティがまた一つ増えたような感覚。地域で寺が復興し、よりよくなってほしいという声を聞いている。そんななかで浮上したまさかの「新築」説。

 

 このことを、お寺の役員である総代さんに率直に報告してみた。床はベコベコして、トイレも使えなくなっていることを知っているので修繕したほうがいいと積極的に提案してくれている、大切な存在だ。建て直すことなどは、ずっとあとでいいと思ってらっしゃることを知っている。僕もそう思っていた。でも、僕は伝えた。

 「大工さんによると、修繕するよりも、建て直した方が結果的に安くつくかもしれない。というぐらいの傷み具合だそうなんです」

 と率直に言葉にした。すると総代さんから、

 「そうなの・・・いくらいかかりそうな感じ?」

 と聞かれて、かくかくしかじか、ざっといわれている全く少なくない金額をお伝えした。どきどきどきどき。

 「ふううむ。それだったら、建て直したほうがよさそうね」

 えっ!

 「・・・いけそうよ。いけますよ」

 と、思ってもみなかった、修繕ではなく建て直すほうの意見を答えてくれた。なにも総代さんが一人でその金額を出すといったのではない。このとき、地域の方々の顔を思い浮かべて、どんな方たちに、どんなふうに関わってもらった実現できるか、想像がついたみたいだ。この一言を聞いただけでも、賭ける価値はあるとこのとき感じた。

 一方の公民館も、住民の数が減ってきているけれども、地域の方たちの思い入れがある建物だ。こちらのほうは、黒木さんによれば「大規模な修繕に今すぐ取り掛からないとまずい、という状況ではないです。お寺のほうが、そっちです」という。なので、お寺とは逆に使いながらできる範囲の補修をしつつ、様子をみてやっていくのがいいのではということだった。

 僕の目論見とはあべこべに変わってしまった。先に始まっていたのは、公民館。あとから住職になった不動院。想定していたのは、

 先攻 公民館 = 壊さない → 共有 → 修繕(先)

 後攻 不動院 = 引き継ぐ → 共有 → 修繕(後)

 という構図だったけど、今描かれているのは、

 先攻 公民館 = 壊さない → 所有 → 修繕(後)

 後攻 不動院 = 引き継ぐ → 共有 → 新築(先)

 という方針となってしまった。そして何より問題なのは、なぜ同時にこの話が起こってしまったのかということだ。恐れていた事態だ。

 「そもそも住職にならなければよかったのではないか」

 という幻聴が聞こえてくる。ただ、僕は僧侶であり、住職になったことで師匠やお坊さんの先輩、仲間が喜んでくれたし、意義は深い。そのことについては次回以降にもう一度触れてみる。

 とにかく一歩ずつ。まずは公民館の審査、そして入札からだ。次回のこの連載の時点では、もう決着がついているだろう。

***

 今同時に起こっているごちゃごちゃ、あべこべ状態のなかから、こんなことを思った。

 

「人生は新築なのか、それとも修繕なのか」どうなんだろう。

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中村 明珍

中村 明珍
(なかむら・みょうちん)

1978年東京生まれ。2013年までロックバンド銀杏BOYZの元ギタリスト・チン中村として活動。2013年3月末に山口県・周防大島に移住後、「中村農園」で農業に取り組みながら、僧侶として暮らす。また、農産物の販売とライブイベントなどの企画を行う「寄り道バザール」を夫婦で運営中。2021年3月、『ダンス・イン・ザ・ファーム』をミシマ社より上梓。

「ダンス・イン・ザ・ファーム」の過去の連載は、書籍『ダンス・イン・ザ・ファーム』にてお読みいただけます!

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