第36 回
僧侶の侶
2025.01.23更新
娘の高校への送迎で、朝6時半を過ぎたころに車で集落の目抜き通りを走らせていくと、Sさんを見かけた。目抜き通りは、古い民家がひしめく海岸沿いの、細い道路だ。すれ違いざまに車のパワーウィンドウを開ける。
「おはようございます!」
と声をかけると、
「おう、お前か」
と大きな声でSさん。イノシシが罠にかかるとすぐに原付で駆けつける、小柄でパワフルなおっちゃん。80歳代だ。
「おう、お前、あれらしいな! これやろ、大畠でこれになったんやろ!?」
とジェスチャーで伝えてくれる。
「なったんか、これに。よかったなあ。お前。」
どんなジェスチャーかというと、合掌のポーズをして、腕を少し上下に振っている。
「よかったなあ。おめでとうな」
お寺の住職になったことを噂で知った、という意味のようだ。そのお祝いの気持ちをこの瞬間に伝えてくれたのだった。僕が継いだお寺はここから車で40分走らせた、島の対岸にある。なのでこの集落の人には、遠くてあまりピンとこない場所ではある。地域がこれだけ離れていると、よその話になってしまうのを以前から感じている。
それにしても、Sさんはすごい人だ。島に来て下の息子が生まれた際にも、
「おめでとうな!」
といってご祝儀を包んで手渡してくれたのだった。親族でもなんでもなく、普段しょっちゅう会う間柄でもないのに。このときは驚いた。
「子どもは宝じゃけえの!」
ここぞというときに、大きな声でお祝いをしてくれるおっちゃん。もしかしたら耳が遠いのかもしれないけれど、こんな風になりたいと思った。
***
島に来てから、「農産物」をきっかけにして仲良くなったガッツムネマソという友人がいる。本州とは逆向きの対岸、四国は愛媛から何度となく来島してくれるバンドマンであり、技術を要するTシャツのシルクスクリーンプリントを、確かな腕で丁寧に、大量に手掛ける棟梁である。
その3人の娘さんたちとも何度か会って遊んだことがあるのだけど、いつの間にか僕は、
「相棒」
と呼ばれるようになった。どうしてそうなったのかは覚えていない。ローティーンの3人たちと、かわるがわる手をつないだり肩を組んだりキャッキャと遊んだりしているうちそういう間柄になった。僕からも相棒たちと呼んでいる。
うちの子どもたちと彼女たちも会うごとによく遊んでいる。そして、それぞれの家に帰ったあとに、そのうちの1人から息子宛てに、手紙が届いた。
その手紙の出だしは、こう始まっていた。
「お前へ」
小学生の女の子から男の子への手紙。いつの間に、どういう間柄になっていたんだ。
***
わが家の娘は、あっという間に高校生になった。先日、その娘と、島で小さいころから一緒に遊んでいる友だちとで広島へ買い物に行くというので、僕はJR大畠駅までの送り迎えを担当した。久しぶりに会う娘の同級生だ。元気かな。
迎えの場所で彼女を拾い、車のアクセルを踏んだ。すると、
「明珍!」
といきなり後部座席から声をかけられた。のっけから女子高生がフルスロットルだ。ところで、前までそんな風に僕のこと呼んでたっけ?
「明珍!これ知ってる!?」
お、おう。おじさんその食べ物は知らないな。ふたりは車の後部座席でひたすらお昼ご飯のメニューを見ながら盛り上がっている。イタリアンを食べる予定のようで、カタカナの小さい「ッ」が入っている名前をたくさん言い合っている。「これおいしそうじゃない?」「うわ、迷うなあ」と想像力をフル回転しながら、最後までメニューの話だけで駅へ着く。
おいしそうな食べ物、食べたことのない食べ物の話をしているだけの時間。なんていいいんだろうと思った。まだ食べていないのに。まだ食べていないからこそか。不平不満をいうでもなく、将来の不安をいうでもなく、ただただ「おいしそう」な話。
その数時間後の夕方、再び駅へ。広島への旅はこの島に住んでいると、ちょっとしたごほうびだ。迎えに行って彼女たちが乗り込むや否や、叫び始めた。
「お昼めっちゃおいしかった!」
「はあ~幸せ!」
「めっちゃかっこいい人がおったんよ」
どうしたどうした。
「最高」
「めっちゃかっこいい人、坊主頭だった!」
と連発。とにかく楽しそうだ。そして、
「明珍の坊主とは・・・な~んか違うんよ」
といわれた。どういうことなんだ。なんでも、そのかっこいい人の坊主頭は「天然坊主」なんだそうで、僕の頭は違うのだと。そこに娘が追撃してきた。
「そうそう、人工坊主」
人工坊主? 初めて聞いたぞそんな言葉。彼女たちの説明によると「天然坊主」はかっこいい坊主で、僕のは「やむを得ず」「仕方なく」「やらざるを得ない」坊主なのだと。
「牛みたいな鼻ピアスしてた」
「かっこいい~」
「また会いたい」
となんだか基準がよくわからないが、はち切れそうなぐらい楽しそうだった。
***
何者なんですか? という意味で、
「普段なにをされているんですか?」
と聞かれることがしょっちゅうあるのは、前著でも触れた。こういうとき僕は、「一体なにをしているんだっけ」と考え込んでしまう。
何屋、とかいえたらスムーズなのだろうか。肩書き一発で乗り切れる人生か。
僕も46歳になって、世間では中堅どころの役回りのような気がする。「班長」「課長」「社長」「館長」、「農家」「料理家」「建築家」。いろいろ立場もありそうだ。「庭師」「税理士」「鍼灸師」、職人仕事や国家資格。「編集者」「ディレクター」や「コンサルタント」、カタカナ名義もいっぱいある。
そんななかであらためて考える「僧侶」という存在。そういえば、「なになに? 侶ってなに?」。最後に「侶」がつく職業はほかにあったっけ。僕は「伴侶」という言葉しか知らなかった。侶、かあ。調べてみようか。
侶 とも・ともがら
小学館デジタル大辞泉には、
一緒に連れ立つ仲間。連れ。
とあった。友。仲間。なんともいえない肩書きでびっくりしてしまった。な、な、なんかいいな。「普段はなにをされているんですか?」といわれたら、「ともがらです」。
いろいろ合点がいってきて、子ども達のともがらでいられるならそれでいいかと思えた。もしも「どうやって食っているの?」といわれても、ともがらには収入は関係ないのだ。だから説明に困っていたのかな。収入のために、食うために友だちになるのではない。そんな考え、青いかな。この時代にはそぐわないかな。でもしょうがない、「私は侶です」。
慈悲 慈悲の〈悲〉(maitri)は、mitra(友)から派生した「友愛」の意味を持つ語で、他者に利益や安楽を与えること(与楽)と説明される。一方、〈悲〉(karuna)は、他者の苦に同情し、これを抜済しようとする(抜苦)思いやりを表す。(岩波仏教辞典 第二版)
この説明を以前も読んでいたけど、より理解が深まってきた。慈悲の心は、友と関係があったのだ。子どもたちの呼びかけが、図らずも教えてくれていた。
そんななかで、年末にある事件がおこったのだった。(つづく)
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