ダンス・イン・ザ・ファーム2

第38回

祝再生

2025.03.24更新

 集落の浜沿いの道を通りかかると、工事の関係の方とすれ違った。僕はこのとき、2週連続のイベント準備の真っ最中。1週目は落語会。2週目は音楽ライブ。その落語会の前々日である。次々と用事が頭のなかを駆け巡っていたのだけど、

「あっ!」

と思い、車を停めて駆け寄っていった。

「すみません、和佐に住んでいる中村と申しまして・・・」

 工事の方は怪訝そうな顔をしている。僕が伝えようとしていたのは、ほんの少しだけ複雑なことだった。

 じつはここ数ヶ月の間に、僕からいろいろな方に「いらないピアノがあったら教えてください」とお伝えしていた。今回引き取った「旧公民館」――あらため「和佐星舎」のこけら落とし公演として行う、二階堂和美さんの伴奏のピアノを探していたのだ。家にある電子ピアノでもいいけれども、もし可能ならば生がいい。

 そうこうするうちに、つい最近、近所の方から「出てきたよ」と連絡があった。今、解体中の2つの現場でいらないピアノが出たという。それを申し出てくれたのが、たった今すれ違おうとしていた工事の方だったのだ。

 ところが、僕はその直前に、タッチの差で別の地域の方から「ピアノありますよ」と連絡をいただいていたのだった。そうして、すでに会場に運び込んだところ。ありがたいことだ。なので、連絡をいただいたときには、「もうすでに手に入れてしまったんです」と謝意をお伝えしつつ、お断りしていた。

 そのとき、あることを思い出したのだった。

***

 ピアノを運ぶなんてやったことがなく、引越しの専門業者が行うものだと思っていた。ピアノ工房の方に問い合わせしてみたところ、一応大人4人いれば抱えられて、軽トラにも乗るという。それだったら自前でなんとかなるかもしれない。少しでも経費が浮かせられれば。

 事情で移動ができるのは平日の昼間しかチャンスがなかった。そのタイミングで動けそうな、力のある男性を探すけれども、なかなか難しい。自営業などの心当たりある友人に声をかけて、乗せる現場、降ろす現場に僕を入れて4人ずつの態勢で迎えた。

 ところが、現場で実際に運び出し、軽トラに積もうとすると4人ではとても上がらない。一同びっくり。「こんなに重たいんだ!」 

 じつは声をかけていた1人が現場に来られなかった。その一方で、たまたま他の友人が当日朝に別の友人に声をかけて、現場にいてくれていたのだった。さらに、たまたま通りかかった友人もいて、奇跡的に人数が増えていった。

「せぇーーーっの!」

 再度チャレンジ。6人がかりで上げて、やっと持ち上がった。ふーーーっ。よかった。もし人が足らずに持ち上がらなかったら、無駄骨になって平日昼間の予定を空けてくれた皆さんに申し訳が立たない。間一髪。間に合ってよかった。

 現地につき、転がしながら運び込むと、その建物の床はぐらぐら、みしみししながら恐る恐る進んでいき、ついに鎮座した。

 そうやって、運び込んだピアノは1960年代製と比較的古いことがわかった。先ほどのピアノ工房の方に遠くから出張していただきみてもらうと、「傷んでいるので修理が必要」というのと「直すのに10数万かかる」との見立て。お、お、おおっ。

 

 その直前に、この建物の水道管が破損して、漏水していたことが発覚していた。まだほとんど使っていなかったはずなのに、1ヶ月で2万円越え(!)の水道料金に達していて、わざわざ役場から連絡が来ていた。こちらをまず修理せねばならない。そこに費用がかかることはわかっていた。

 ただ一方、ピアノ工房の方からは「このピアノ、直したらいい感じになると思いますよ」とアドバイスをいただいた。直したらまた長く使えるそうだ。僕もギター弾きなので、古い楽器の良さはなんとなくわかる。きっと替えがたい、いい音が鳴るだろう。修理には本来だったら30万、40万とかかってもおかしくないところ、比較的状態がよかったために、それぐらいで済むようだ。ライブの日のことを想像する。

「皆さんの力がフルに発揮されてほしい」

 どうしてもこう願ってしまう。それで元気になれたらとても幸せなこと。思案してついに、「ピアノの修理、お願いします」とお伝えしたのだった。そして当日の前々日に、修理が入ることになった。

***

 

 冒頭に戻る。落語会の前々日に、通りすがりの工事の方へ「あっ!」と思って声をかけたのは、以下のことがあったからだった。

 もともと、岩国のお店・ヒマールさん夫妻と二階堂和美さんに「ピアノを探しているので、出てきたら教えてね」といわれていた。ずっとお世話になっている二組が、1台のピアノを探している。だけど、いったん「あったよ」と教えていただいた数日前に「見つかりました」と答えてしまったのを思い出して「やっぱりほしいです」と、伝えようと思っていたのだった。工事の方がいたら絶対に声をかけよう、と。

 この通りすがりで見かけた工事現場の方に駆け寄って「まだピアノはありますか?」と訊く。すると、この現場とは関係のない話にもかかわらず即座に連絡してくれて、数珠つなぎに確認がとれていった。結果、

「1台はもう壊してしまったけれど、もう1台は今まさに解体中の家にあります」

ということがわかった。だから、

「今すぐ見に来て、状態が大丈夫かどうか確認して、要るか要らないか、即決してほしい」

とのこと。なんというタイミング。明日午後には建物を解体しおわるので、必要なければそのときに一緒に重機で壊してしまうと。判断は瀬戸際ギリギリ。一つの楽器が無くなるかどうか。現場は意外とかなり近い。すぐに急行だ。

 現場は大型の重機と職人さんたちが作業中で、建物はすでに半分に割れている。半壊状態。その残りの半分のなか、ブルーシートをくぐって案内していただくと、間もなく壊されることになる床の上に、ヤマハのピアノがまだしっかりと立っていた。フタを開けて一通り触ってみると、僕が譲り受けたピアノよりも状態がよい気がする。年代も少し新しめだ。

「これはもったいないな」

と感じた。そこでようやくヒマールさんに「ピアノが出てきました!」と連絡、

「・・・できれば今日中、遅くとも明日朝までに、お返事がほしいとのことです。急にすみません!」

とお伝えした。僕が落語会の準備の最中なのをご存じだったので、まったく別角度の緊急提案に、困惑させてしまった。我ながら、なんて急な申し出だろう。

 実際にこの解体現場から運び出すのが現実的なのかを見極めて、二階堂さんとも連絡を取りながら、最終ジャッジを待つ。その間、この話を持ってきてくれた建築会社の役員の方と初めておしゃべりをした。

「ギターは年に2、30本出てくるが、ピアノは年に1回出るか出ないか、かなぁ」

ということ。そんな貴重なタイミングで出会ったのか。ピアノの横に、ヤマハのアコースティックギターもあった。「これも捨てるんですか?」と訊くと、「そうなんよ」とのこと。じゃーんと弾いてみると、なんだかいい音がする。

「これも・・・もらっていいですか?」

と恐る恐る聞くと、

「そりゃあもったいないけぇ、使うてもらったほうがええのはええよ」

 そうして、なぜか僕もおこぼれでギターをいただいてしまった。

 続けておしゃべりするなかで「お遍路」の話にもなった。「四国まわっちょるんよ」とのこと。しかも初めてではなく何週目かのようで、「いま、逆打ちしとるんよ」と慣れた様子。「そういえばどこかでこの話を聞いたことが・・・」と思ったら、僕が所属しているバイト先の上司が、お遍路に行くようになっていたのを思い出した。この方の影響だったのだ。続けて、

「仕事柄、解体する家に仏壇とかもあろう?  あがなものも皆、処分せにゃならんけえの」

とほんの少し、切なげなトーン。僕から、

「そういうこともあって、お遍路をまわるようになったんですか?」

と尋ねると、

「まあ、それも一つにはあるかな」

ということだった。

 そうこうしているうちヒマールさんから連絡があり、ピアノを正式に引き取ることが決定。まずはなによりも先に、ここからピアノを出さなければならない。「そういえば!」・・・僕は落語会会場後方に空いている場所があるのを思い出した。翌日、そこを中継地点としていったん搬入し、しばしの間保管することに決まった。

 いったん現場から会場へ帰ろうとする際に「解体中にご面倒をおかけします」とあいさつすると、作業中の職人の方から、

「そりゃあ使うてもろうたほうが、わしらもうれしいですよ」

と声をかけてもらった。この言葉がやけに心に残っている。

***

「てごがいろう?」

 先の役員の方が申し出てくれた。「てご」は手伝い、「運ぶのに手がいるでしょう?」ということ。先日のように僕の方でまた声をかけようかと思っていたところ、「うちのもんに運ばせるから、搬入先で待っちょって」と。「大人4人いれば抱えられる」はここでも合言葉。

 解体現場の職人さん4人で、トラックと重機を連ねて、数キロ先の旧公民館にわざわざ持ってきてくれるという。なんということ。

 現場に着くや、「これなら運べそうじゃね」とせーので抱えて運び込む。建築のプロだからか、丁寧に、手際よく、力強く運んでくれる姿に圧倒される。瞬く間に搬入が完了した。

「そりゃあわしらも、壊すよりも使うてもらったほうがええけえね」

ともう一度いわれた。なんという温かみだろう。もとの解体現場にさっそうと帰っていく4名を見送った。これから屋根を壊すという。そしてこちらは、明日の落語会会場にピアノが2台あるという不思議な状況になった。

 和佐星舎の「こけら落とし」ということもあって、その直後にお祝いのお花が届き始めた。最初に届いたのが、山形の米農家・佐藤さんからのお花だった。そのメッセージには、

「祝・再生」

と書いてあった。建物の「再生」。この言葉選びは僕の頭にありそうでなかったので驚いた。そして、うれしかった。その言葉を味わっていたら、突然気づいてしまった。

「そういえばピアノも再生しようとしている」

 しかも2台も。さっきのピアノは壊される寸前で、できれば「使われてほしい」と皆さんから願われていて、その願いがギリギリで成就した。あのタイミングで間に合ってしまうことにちょっとびっくり。僕の方のピアノも、工房の方が修理代をかなり抑えてくれて、さらに建物に寄付までしていただいてしまった。「応援しています」という熱い言葉とともに。

 もしピアノや建物にも意志があるならば、「直して使ってほしい」という願いがあるのかもしれない。その願いが、たまたまなのか必然なのか、ギリギリでここに届いているのかもしれない。

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中村 明珍

中村 明珍
(なかむら・みょうちん)

1978年東京生まれ。2013年までロックバンド銀杏BOYZの元ギタリスト・チン中村として活動。2013年3月末に山口県・周防大島に移住後、「中村農園」で農業に取り組みながら、僧侶として暮らす。また、農産物の販売とライブイベントなどの企画を行う「寄り道バザール」を夫婦で運営中。2021年3月、『ダンス・イン・ザ・ファーム』をミシマ社より上梓。

「ダンス・イン・ザ・ファーム」の過去の連載は、書籍『ダンス・イン・ザ・ファーム』にてお読みいただけます!

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