脱筋トレ宣言脱筋トレ宣言

第1回

筋トレはどこまで必要か?

2018.04.10更新

 今や筋力トレーニング(以下、筋トレ)全盛の時代である。競技力の向上や健康の維持には筋トレが効果的であるとの考え方が人口に膾炙して久しい。卓越したパフォーマンスを生み出す源として、あるいは健康的に日常生活を送るために筋トレは必要で、それなりの筋肉を身にまとえばほとんどの不具合は解決できる。そう私たちは考えている。体幹トレーニングを始め、本屋には各メソッドについて書かれた本が山積みされ、街のあちこちに次々とスポーツジムが開業している現状もそれを物語っている。

 部活動をはじめとするスポーツの現場に目をやると、指導の一環として筋力の足りなさを指摘する指導者は多い。たとえば僕が19年間にわたって取り組んだラグビーでは、見た目に華奢な選手には必ず筋トレが推奨され、ベンチプレスにスクワット、デッドリフトといった大筋群を鍛えるメニューが提示される。タックルで押し負けたり、キックの飛距離が伸びないのはそもそも筋力が足りないからで、だからまずはそこを鍛えるようにと指導される。

 あるいは加齢などによる心身の不調を訴える人たちにも筋トレは勧められる。あとで詳しく述べるが、からだをそれほど使わなくても生活できるのが現代社会だ。こうした社会で生きる私たちはどうしても運動不足になりがちで、日本整形外科学会は、運動器の障害によって移動機能の低下をきたした状態である「ロコモティブシンドローム(運動器症候群)」という概念を2007年に提唱した。

 「ロコモ」と診断された人にはだから筋トレをはじめとする運動が対処法として提示される。筋肉や関節、靭帯や神経などのからだを動かすために関わる組織や器官の不調が原因なのだから、当然といえば当然だ。

 さらにいうとダイエットを試みる人も筋トレに励む。直接的に脂肪を落とすには、ウォーキングやランニングなどの長い時間をかけて心肺を働かせる有酸素運動が効果的なのだが、太りにくく痩せやすいからだをつくるためには筋肉をつけて代謝量を上げる必要がある。有酸素運動で脂肪を落としながら、それと並行して筋トレを行い体質改善を図るというのが、ダイエットの基本的な考え方である。

 テレビCMなどで見かけるダイエットに成功した有名人も、おそらくこの考え方のもとに組み立てられたメニューをこなして理想的なからだを作り上げたのだろう。オイルを塗り、化粧を施し、光の当て方に工夫を凝らして、成功後の肉体を過剰にきらびやかに見せるそのやり方はどうかとは思うが、明らかに変化したからだを目の当たりにした視聴者には驚きとともに羨望のまなざしを向けている人もいるだろう(と同時に、自分とは隔たった世界での出来事として冷ややかな視線を浴びせる人も、おそらくいるはずだ)。

 筋力は大切だ。競技力を向上させるためにも、健康を維持するためにもそれなりの筋力が必要であることには今さら疑う余地がない。だからこそ多くの人たちがそれぞれの目的に向けて、せっせとバーベルやダンベルを持ち上げて汗を流す。

 もう少し詳しくみていこう。

 今日の社会ではそれほどからだを使わなくとも生きていけると先に述べた。

 車や電車などの交通手段が発達し、街の至るところにエレベーターやエスカレーター、ムービングウォークが整備されて、ほとんど歩かずとも街中を移動できる。「ほとんどバイク」の電動機付き自転車もそうだ。年配の方が急坂を涼しい表情でペダルをこぎながら上がっていく風景にも、もう驚かなくなった。また、重い荷物もキャリーバッグを転がせば担がなくてすむから、目的地まで楽に移動できる。

 西洋式の生活スタイルもまた、からだの衰えを加速させるといわれている。椅子と洋式トイレは「しゃがむ」という行為を必要としない。床にしゃがみこむ動作は股関節を深く折りたたむ必要があるが、椅子に腰掛けるときの角度は90度ほどでよい。椅子に座るときとしゃがむときを比較して、その煩わしさを思い出せば、それぞれの動作に伴う筋力に差があることが体感的にわかるはずだ。

 つまり現代社会に生きる私たちは慢性的な運動不足に陥ってしまう。筋肉は使わなければ衰えるから、便利さにただただ身を委ねていると知らず知らずのうちに私たちのからだからは筋肉が削ぎ落とされてゆく。

 だからこそあえて運動を行う必要がある。文明化が進む現代社会を生きる私たちは、運動習慣を身につけなければ健全なからだを保つことが難しい。その方法のひとつに筋トレがあり、現代人に必要な営みとして「まことしやか」に巷間に広がっているわけだ。

 スポーツにおける競技力向上においても筋トレはその効力を発揮すると考えられている。最大筋力が上がればパフォーマンスの向上につながることはいわずもがなで、その効果は選手時代に長らく筋トレに励んできた身としては痛いほどよくわかっている。体幹が安定すれば走る速度が上がるし、相手とぶつかる場面ではとくに実感できる。ラグビーという競技性を鑑みた場合、筋トレを行うことはいまや必須であるといっていい。

 ただ、ここでふと立ち止まる。せっせと筋トレに励んでいた現役時代を具に振り返ってみれば、いささか疑問が生じるのは否めない。筋肉増量の積極的効果は確かに実感しているものの、当時の体感を手繰り寄せたり、グラウンド上での様々なプレーを観察すれば、一概に筋力だけで割り切れないと思えるシーンが脳裏に浮かぶからだ。

 一例を挙げる。

 ぶつかり合いを主とするラグビーという競技では、一般的に筋力差(体重差)がパフォーマンスに直結すると考えられている。80kgと100kgの選手が同じスピードでぶつかれば100kgの選手が当たり勝つのは自明だと思いがちだが、実はそんな単純にはことが運ばない。筋肉量が多く、体重が重ければ有利に働くことに違いはないが、体格に優れた選手がいつも当たり勝つかといえば必ずしもそうではなく、小柄な選手が当たり勝つ場面は往々にして出来する。たとえばラグビー日本代表である松島幸太朗選手は、176cm86kgと小柄ながらも当たり負けするシーンはほとんど見られない。

 こうした現象が起こるのはなぜか。

 複雑な現象の一つ一つを机上の論理で一刀両断するのは困難なのだが、たとえばニュートンの運動の法則である「F=ma」(力=質量×加速度)を当てはめても、相手と接触するまでのスピードで勝っているからと解析できるし、当たる瞬間に軸をずらして相手の力を逃すという「しなやかな身のこなし」でカバーしているとも説明できる。

 大柄な選手に向かって加速するためには恐怖心を克服しなければならないし、「しなやかさ」というからだの使い方にはそれなりの経験知(コツの感得)が必要だから、そう容易にできることではない。メンタル面の充実と経験の蓄積は時間の堆積から生まれるもので、一様には身につかないスキルだからだ。

 当たり前だが、一つのプレーを完成させるために必要なのは筋力だけではない。経験的にはむしろこのスキルを高めることの方に意味があると思っていて、体重差を克服するための工夫にこそ選手それぞれの個性が宿る。少なくとも僕はここに重きをおいて現役生活を続けてきた。

 そんな僕が導き出した結論は、筋力はあくまでもパフォーマンスをかたち作る一つの要素に過ぎないということである。筋肉を増量するだけで上手くなるほどラグビーは甘くはない。そしてここが大切な点だが、筋トレへの傾倒は、「しなやかな身のこなし」をむしろ阻害する方向に働く。からだの使い方そのものを大きく変容させてしまう恐れがあるのが、とても厄介なのだ。

 「しなやかさ」とは、いってみれば全身が滑らかに協調することで生まれる身のこなしである。個別に鍛え上げた筋肉を合算しただけで身につくほど単純ではない。意図的に「つけた筋肉」が実用的に「使える筋肉」に変わるまでにある程度の時間がかかることは、おそらく筋トレに励んだことのあるスポーツ選手なら誰しも実感しているはずで、短期間でウエイトアップを達成した直後は、まるで鉛を引きずっているかのようにからだが重い。あの身体実感は「しなやかさ」には縁遠く、まさに対極にあるものだ。要素還元的に作られたからだはまるでロボットのような動きになってしまうものなのだ。

 かくしてこの新連載では「筋トレの功罪」について書いていきたい。「功績」についてはすでに広く巷間に流布されているので、ここでは必然的に「罪過」に焦点を当てることになるだろう。ひとつひとつの筋肉を個別に鍛える「筋トレ」は、からだのバランスを損なうという致命的な落とし穴があることだけを先にお伝えしておいて、連載を始める。その根拠については、どうぞ今後を楽しみにしておいていただきたい。

平尾 剛

平尾 剛
(ひらお・つよし)

1975年大阪府出身。神戸親和女子大学発達教育学部ジュニアスポーツ教育学科教授。同志社大学、三菱自動車工業京都、神戸製鋼コベルコスティーラーズに所属し、1999年第4回ラグビーW杯日本代表に選出。2007年に現役を引退。度重なる怪我がきっかけとなって研究を始める。専門はスポーツ教育学、身体論。著書に『近くて遠いこの身体』(ミシマ社)、『ぼくらの身体修行論』(内田樹氏との共著、朝日文庫)がある。

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