第7回
トップアスリートの取り組みから
2018.10.09更新
ここまで感覚世界に身をおくことの大切さについて、つらつらと書いてきた。改めて読み返してみると、経験則に軸足をおいた、やや力みがちの文章になっていて、独りよがりな印象が拭えなかった。「伝えたい」という想いが強すぎたのだろう、どうにも鼻息が荒い。読者からすればいささか理解しづらかったのではないかと自省している。講義にしてもテクストにしても、話し手及び書き手があまりに前のめりだと聴き手も読み手も一歩引いて、身構えてしまうものだ。
運動をするにも、ものを書くにも、無用な力みはパフォーマンスを低下させる。すまない。どうやら肩に力が入りすぎていたようだ。この間、思い起こせば肩凝りもひどかった。
なので今回はとにかくリラックスしてみたい。自らの考えを開陳する、すなわち経験則に頼るのはほどほどにして、今回はトップアスリートの考えを紹介することで、少し「自分」と距離をおきながら書いてみようと思う。
2012年にW杯のリード種目で日本人男子として史上2人目となる総合優勝に輝いた、フリークライマーの安間佐千(あんまさち)選手は、「腕立て伏せのような単純な筋トレはしないですね。見せる筋肉は必要ないし、食事も食べたいものを我慢せずに食べます」という。
食事制限はしないという点も大いに気になるところだが、ここでは触れないでおこう。本欄のテーマは「脱筋トレ宣言」であるからして、見せる筋肉を不必要とし、「単純な筋トレ」をしない、ここがポイントだ。安間選手はなぜ筋トレをしないのか、その理由は彩り豊かな言い回しで語られた次の言葉に集約されている。
一番酷使するのはやっぱり肘から指先までの筋肉なんです。でも、そこばかりを使っていると、すぐに疲労がたまって登れなくなる。だからなるべく腕以外の部分に力を逃がしてやることが大切で、それこそがうまく登るコツなんですね。
未経験者の僕からすればクライミングは腕で登るものだと思っていた。握力や腕力こそが大切で、だからそこの筋肉を鍛えなければならないと短絡的に考えていたが、その道を極めつつある彼はそうではないとあっさり言いのける。コツは「腕以外の部分に力を逃」すことらしい。腕を使いつつもそれ以外の部分に力を逃すというのは、彼もしくはクライマー固有の感覚だろう。
腕は使うのだけど、酷使はしない。この感覚は僕みたいな素人からは到底想像がおよばない。
さらに、
極端なことを言えば、体幹と足を使って体を持ち上げれば、手の力はいっさい使わずにすみます。
ともいうのだから、ますますわからなくなる。手の力をいっさい使わずにすむ、なんてことがありうるのだろうか。ここまで謎めいてくれば実際にやってみたくなる。
クライミングの魅力は、手と足と体幹が連動することで、足し算ではなくかけ算の力が発揮されること。すべてがうまくはまると、手の力に頼らなくてもすごい動きができます。
やはり出てきた。「連動」という言葉が。クライミングの世界でもやはり全身を強調させることが大切なのだ。
そしてその絶大なる効果を「足し算ではなくかけ算の力」という比喩で表現しているところが秀逸である。
この「かけ算的」に爆発的に発揮される力は、ラグビーに置き換えてみればとてもよくわかる。タックルもキックもパスも、全身を連動させて行えば想像をはるかに超える、ものすごい力が発揮されるのを知っているからだ。あの爆発力は、たしかに足し算というよりはかけ算に近い。PCにたとえると、ソフトをインストールするのではなく、OSそのものがバージョンアップする、そんな感じだ。
全身を連動させれば凄まじい力が発揮できることを、アスリートは身をもって知っている。ただ、それをうまく言葉で説明できる人は極端に少ない。安間選手はその数少ないアスリートの一人だと思う。
さらにもう一人、身体的パフォーマンスを言葉にできる選手がいる。サッカー日本代表の長友佑都選手である。FC東京から2010年にイタリアのチェゼーナに移籍してほどなく、からだを鍛えて固めるだけのトレーニングでは通用しないことに気づいたという。
固いものって、より強い負荷が掛かるとポキンと折れてしまうじゃないですか。(...)固めるだけじゃなくて、緩める要素というものを意識しなければならないと強く思うようになりました。
体幹トレーニングに関する本を出版するほどだから、僕は彼を筋トレ信者であると思い込んでいたが、実はそうではなかった。
のちに移籍したインテルでは、当時ブラジル代表で名を馳せるマイコン選手と、アフリカ最優秀選手賞を何度も獲得したカメルーン代表のエトー選手がいた。彼らが筋トレする姿を見たことがないと長友選手はいう。ロッカールームでは音楽に合わせて踊るそうだが、そんな様子から、彼らはからだを固めることを嫌がり、むしろ緩めるようとしていると考えるようになる。ラテン系の血が騒ぐとか、陽気さという気質がそうさせているなどと表層的に解釈しないところが、さすがだ。観察眼に優れている。
世界のトップの選手たちは相手の厳しい当たりに対してもグニャッと吸収したうえで、しなやかな連動によって次の動きを繰り出すことができる。それを自分のものにしなきゃ、より上にはいけないと思ったんです。
そういえば今年ヴィッセル神戸に移籍したスペインの至宝イニエスタ選手がそうだ。たとえ屈強な選手からぶつかられても、「グニャッと吸収したうえで」難なくボールをキープし、ドリブルでスペースを突破してゆく。「しなやかな連動によって次の動きを繰り出す」という表現は、なるほどサッカー素人の僕にもよくわかる。世界のトッププレイヤーのからだは、耐震構造ではなく免震構造を備えているわけだ。
このしなやかなからだを長友選手は次のように分析する。
プレーするにあたって、いかに体のパーツが連動していくかが大切になってくる。手、足、首、背中、腰、股関節・・・。一部を鍛えるのではなく、すべてのパーツがスムーズに連動していくことがいいパフォーマンスにつながっていく。いくら個々のパーツが強くなったとしても、それを連動させられなかったらまったく意味がない。逆に鍛えた筋肉が重くなるだけ。
ここでもまた「連動」という表現が使われている。卓越したパフォーマンスは、からだの各部位を連動させることによって発揮できる。この考え方は、先に紹介した安間選手と共通するものだ。ただ、長友選手は筋トレをしないとは公言していない。
でも"固める"強い部分があるからこそ、"緩める"柔らかさがプレーの幅になって活きてくるんだと捉えています。
緩めるために、固める。あくまでもからだの各パーツが連動するための「緩さ」を身につけることが目的で、あえて固める。体幹をはじめとする各トレーニングに励む全国の部活動生およびその指導者は、傾聴に値すべき指摘だ。
この両名以外にも筋トレを忌避する選手はいる。
陸上十種競技の右代啓祐選手は、体幹の必要性という文脈ではあるものの、次のように口にしている。
体幹とは、上半身と下半身をつなぐもの。体幹をうまく使うというのは、上半身と下半身をうまく連動させるということです。どの筋肉を鍛えるとか、そういう知識は、僕はそれほど重要じゃないと思います。
「体を動かすために体幹を鍛える」というよりは、日常的に楽に生活するために「体幹をうまく使う」という意識でいるほうが、生活のすべてに生きてくる、ということです。そうやって生活していると、普段のたたずまいも変わってきます。
上半身と下半身の「連動」、「鍛える」ではなく「うまく使う」という意識など、ここでも特筆すべき表現がみつかる。195cm96kgというサイズに、筋骨隆々のあの体格からは、おそらく筋トレは行っていると想像する。だが、その取り組みにおいては長友選手と同様、連動性や意識など「感覚的なもの」を大切にしている。
今年の5月に日本プロゴルフ選手権で大会史上最年長優勝を飾った49歳の谷口徹選手は、試合後のインタビューで筋トレをやめたことを告白し、「筋トレはパワーはつくが、柔軟性が失われる」と述べている。谷口選手のいう「柔軟性」は、全身を連動させることと解釈しても差し支えないだろう。いうまでもなくゴルフのスイングは、からだの各部位を連動させることが大切だ。筋トレはそれを損なう方向に働くと察した彼は、それときっぱり決別し、見事に復活優勝を遂げたのである。
ラグビー元ウェールズ代表のシェーン・ウイリアムス選手もまた、筋トレをやめたあとにその頭角を現した。170cmとラグビー選手にしてはきわめて小柄な彼は、筋トレによる筋力増加をあきらめて敏捷性に磨きをかけた。「小さな人間には大きなスペースがある」と、切れ味鋭いステップで大男がひしめくグラウンドを縦横無尽に駆け回り、2008年にはIRB(国際ラグビーボード、現ワールドラグビー)世界最優秀選手にも選出された。
パフォーマンスの発揮や向上に一家言ある。それがトップアスリートたる所以だ。言葉での表現力にも優れたアスリートたちのこれらの金言が、スポーツにかかわる人のみならず、身体的パフォーマンスを発揮するために努力を続ける人たちの参考になれば、うれしい。
【参考資料】
『Sports Graphic NumberDo vol.19』 2015年
「谷口50歳ジャンボ超え最年長V」『デイリースポーツ』2018年5月14付
「元世界最優秀選手に聞く「日本のラグビー」」『日本経済新聞』2013年3月2日付