第2回
トランプ~手水場
2021.02.04更新
今回も我ながら背筋が凍る「ど忘れ」であった。もう「ど」とか付けておどけているのがみじめになる。せめてこの「ど」に「やまいだれ」くらいつかないものか。スケッチブックに小さく書いておく。新しい漢字に認定して欲しい。
なにしろ俺はトランプ(※1)の名前を忘れた。
この人については今まで何度となく他人と語らってきたにもかかわらず、だ。それがいざジョー・バイデン(※2)が新大統領になることが現実味を帯びてきたら、その「ジョー」がやたらに大きく俺の頭を占拠し、どうしてもジョー・トランプだった気がしてきた。そして一度口に出してみると、もうジョー・トランプ以外の誰が前大統領だったかわからなくなった。
これは新しいタイプのど忘れである。「ジョーの侵食」。
もっと一般化すれば、他人の名前が置き換わって仕方がないというやつだろうか。無意識に俺は、もうトランプがトランプであって欲しくなかったのかもしれない。しかしもちろん、心のどこかでは「ほんとはジョーじゃないけどね」という声がしていた。それでスティーブ・トランプとか、マイケル・トランプとか口ずさんでみるが、困ったことにそのどれもがけっこういいように感じられ、けれども結局やっぱりジョーが一番だと落ち着く始末であった。
正直俺は検索してようやくドナルドを見つけた。そして、目をみはった。ドナルド・トランプって、名前がドナルドだったんだ!
ドナルドと言ったら、まずダック(※3)じゃないか。なぜ今の今まで俺はそのダック性に気づかずにいたのか。ダックであれば基本は水兵さんの格好で、常に黄色いクチバシを突き出しているものだ。ああ、そうか、あの髪の毛はそういう暗示だったのか。俺一人がそのほのめかしに気づかず、彼を見る度に眉根を寄せていたのではあるまいか。
冷静にかんがみれば、三大ドナルドが世界には存在しており、ダック、マクドナルド(※4)のあの赤い唇の道化師、そして陰謀論でもおなじみのトランプ前大統領であることを、俺はすっかり見逃していた。この不手際が四年の長きにわたったことを、俺は読者諸氏の前で深くおわびする。私の宇宙だけが二大ドナルドで進行していた。そして残るトランプが隙を見て大暴れしていたのである。
同じく、真ん中らへんに大きな文字で「シュガーカット」(※5)と書いてある。糖分控えめの生活を心がけるようになり、そうした傾向の中で「オリゴ糖」(※6)となにやら政党名みたいな五文字を発音したり、ついでに「ロカボ」とか言ってみてどうしても「ボカロ」と混同(※7)していたりしているうち、あの商品は今いずこと思ったのである。
それで妻に商品名を伝えようとしたのだが、なにしろこっちはやまいだれの「ど」だから早速言葉を失った。考えれば「糖分控えめ」なんだから「シュガーカット」に決まっているのである。しかしそれが出てこない。
「ほら、あの、事件の再現CGに出てくる銀色の人みたいなのが正面にバーンといる、あれなんだっけ?」
「え、だから、『再現VTR』でしょ?」
「いや、あれそのものじゃなくて商品のさ」
「そんな銀色の人が商品になるわけが・・・」
「あの人を売ってるんじゃないよ。そうじゃなくて、糖分を控えめにした甘いあれで、そのシンボルがあの事件の再現CGに出て」
「そんなわけないでしょう。イメージ悪いじゃない」
「だからイメージを悪くしてるのは俺であって、その、あの、あの世界の趨勢に先駆けた商品じゃないんだよ」
というわけである。
その上、俺はなぜかそれが大塚製薬(※8)の商品ではないかと勝手に決めつけた。そうなるとかなり強い力で脳裏にポカリスエットが浮上してくる。こうなるともう「シュガーカット」が出る幕がない。あとで調べたら「シュガーカット」は浅田飴(※9)から出ていたのだし、「正面にバーンといる」のは、決して事件の再現CGに出てくる銀色の人ではなかった。七〇年代めいたイカした女であった。
話は変わるが、俺は仏像好きでもあり、全国の寺をみうらじゅん(※10)という同志と巡っては仏像をこの目におさめている。たくさん見てきた中でも聖林寺(※11)の十一面観音は奈良時代末期の作の見事な乾漆像で、元は三輪神社の神宮寺にあっただけあり、みうらさんもいつも言う通り「神像の要素が濃い」。実にミステリアスなお顔と体である。
がしかし、その俺の心の仏像ベスト3に入る、いや入るどころか一位であろう十一面観音を他人に伝える際、俺はどうしても「聖林寺」から言わないと「聖林寺の十一面観音」を思い出せないのである。
したがって、時に会話はこうなる。
「いとうさん、どこのどんな仏像がお好きなんですか?」
「そうですね、あの、種類としては、その、聖林寺の十一面観音みたいな十一面観音で」
それはそうだろう。聖林寺の十一面観音が地蔵菩薩であったり、いきなり不動明王だったりするわけがない。だが俺は、聖林寺の十一面を思っている時、その圧倒的な存在から種類だけを取り出して言うことが出来ない。
まったく同じ現象が「ファナ・モリーナ」(※12)にも当てはまって、俺はファナを思い出したい時にどうしても一度「アルゼンチン音響派の」と言わないとうまくいかない。ダイレクトにファナ・モリーナが出なくなっているのである。
しかしこれは枕詞(※13)みたいなことではないのか、と俺は自己弁護したい。
人は母を軽々しく「母」と言えないことがある。無意識の中であまりに大きな存在で、まあ俺的に言えばその一般名詞をど忘れしてしまうからだ。ともかく、いい意味でもそうでなくてもひとことで言える相手ではない。
それでかなり引いた目で「たらちねの」を思い出す、と。これはかなり遠い視界で母のことを言わんとする、グーグルマップでまず町全体を俯瞰してからフラッグに近づくような感じだろうか。
で、いざ「たらちねの」さえ言えれば、すっきりと「母」と言える。言葉を素直に思い出せる。同様に闇にはぬばたまの、山にはあしびきの、光にはひさかたの、十一面には「聖林寺の」、ファナ・モリーナには「アルゼンチン音響派の」というわけだ。古代人もなかなか「やまいだれ」なことをしていたものだ。
と、牽強付会(※14)という言葉の、以上は正確な見本かもしれない。
右端に「何ピケ」とあるのは、ジェラート・ピケ(※15)を言いたかったことを示し(何か菓子の名前がついていたことだけは忘れておらず、ショコラとかエクレアになったりしたあげく、ようやくジェラートが出た)、また「手水場」(※16)とは洗面所という普通の言葉が配水管の詰まりのように喉に詰まって出なくなり、かわりにするっと飛び出したのが歌舞伎や人形浄瑠璃の世界に直結した「手水場」なのであった。
枕詞といい、手水場といい、どうも俺の頭はかなり時間を超越、いやこれもまたフェイク表現であり、三大ドナルドの一角みたいなことになるからやめておく。
他の書道について、もっと説明したい俺がいる。この連載は月二回になるおそれが出てきた(勝手に)。少なくともすでに前回よりよほど長い。ふたつに分けてもらうかもしれない。
※1ドナルド・トランプ:アメリカ合衆国の前大統領。ちなみに、書籍『ど忘れ書道』においても、著者はこの名前をど忘れしており、そのときは「プリンス大統領」という間違いから抜け出すのに苦闘を強いられている。
※2ジョー・バイデン:二〇二一年一月二十日に就任した四六代目のアメリカ合衆国大統領。
※3ドナルド・ダック:ディズニーの人気キャラクター。本名は、ドナルド・フォントルロイ・ダック。1934年6月9日公開の『かしこいメンドリ』でデビューして以来、ディズニー最多の出演作品数を誇る。
※4ドナルド・マクドナルド:ファーストフードチェーン店マクドナルドのマスコット。1963年に生み出され、マクドナルドが展開する世界中で知られる。
※5シュガーカット:株式会社浅田飴が製造販売している低カロリー甘味料。1973年に発売されたロングセラー商品。
※6オリゴ糖:「オリゴ」はギリシャ語で「少ない」という意味で、結合している糖の数が少ないことからそう呼ばれる。
※7ロカボは緩やかな糖質制限で、ボカロは音声合成技術「ボーカロイド」の略。この混同は書籍『ど忘れ書道』p170でも起こっている。
※8大塚製薬:1964年に設立された、医薬品、食料品の製造・販売をしている企業。代表的な商品にポカリスエット、オロナミンC、カロリーメイトなどがある。
※9浅田飴:1887年創業。医薬品、健康食品の製造・販売をしている企業。代表的な商品に、浅田飴、シュガーカットなどがある。
※10みうらじゅん:イラストレーターなどとしてマルチに活動する。一九五八年生まれ。著者の友人。
※11聖林寺:奈良県桜井市にあるお寺。ここで書かれている十一面観音は、今年6月22日(火)~9月12日(日)に、東京国立博物館の特別展で展示される予定。(詳しくはこちら)
※12ファナ・モリーナ:1961年生まれのアルゼンチンのシンガーソングライター・女優。ちなみに、この方も著者のど忘れの常連で、書籍『ど忘れ書道』p60~61にも登場している。
※13枕詞:主として和歌において、特定の語の前に置いて語調を整えたり、情緒を添える言葉のこと。
※14牽強付会(けんきょうふかい):自分の都合のいいように、強引に理屈をこじつけること。
※15ジェラート・ピケ:アパレルのブランド名。もこもこしたルームウェアを中心に展開している。
※16:手水場:手洗いや便所のこと。
編集部からのお知らせ
講談社から新刊『ガザ、西岸地区、アンマン 「国境なき医師団」を見に行く』発売中です!
世界の矛盾が凝縮された場所――パレスチナ。そこで作家は何を見て、何を感じたのか?同時代の「世界のリアル」を伝える傑作ルポルタージュ!ーー講談社ホームページより
光嶋裕介『つくるをひらく』発刊しました!(いとうさんが対談相手として登場)
ドローイングを描く建築家である光嶋裕介さんが、5名の表現者たちと対談し、その創作の根幹をひらいた、『つくるをひらく』が発刊となりました。その対談相手のおひとりとして、いとうせいこうさんも登場します。「対話的に思考する」というテーマで、いとうさんの小説の根幹ともいえるお話をお聞かせくださいました。そのほか、後藤正文さん、内田樹さん、束芋さん、鈴木理策さんといった一流の表現者との対話も必読です。