鬼気迫るど忘れ書道

第3回

なんとか登録~爆誕

2021.03.03更新

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 わりと堂々と「なんとか登録」としたためている。
 年下の友人と自分のYouTubeについて話していたのだが、特にくわしく説明することもないので「ま、チャンネル登録(※1)よろしくお願いします」と強引に会話を締めようと思ったのだった。それ自体は悪い思いつきではない。笑えるはずだった。
 ところが俺は俺の能力を見誤っていた。この俺が、背筋の凍るど忘れをする俺、すでにこの連載のタイトルさえ微妙に言えていない俺が「チャンネル登録よろしくお願いします」などと言えるわけがない。
 ゆえに俺は黙り込んだ。YouTubeの話自体に何かの隠し事があったかのようにいきなり口をつぐんだのである。友人は勘のいいやつではあったので、すぐにclubhouse(※2)に話題を移してくれた。「ここには根深い何かがある」と友人は思っただろう。チャンネルという言葉に関連する俺のトラウマなどが。しかし、あったのはど忘れだけだ。
 ゲッターズ飯田(※3)を忘れたのもひどかった。俺はまったくのプライベートみたいな時に、この人に二度占ってもらったことがある。で、二度とも「酒での大きな失敗に注意してください」と言われた。事実、俺は三十歳を越えてからの二十年ほどの間、よく飲んだ。そして記憶をよくなくした。実は現今のど忘れも、この時代の乱暴な飲酒のせいではないかと思っているほどで、外部にそういうイメージがないはずの俺に、彼はきわめて有効な助言をくれたのである。
 そしてその年だったか翌年だったかに、俺はふと酒をやめてしまった。そのままだと自分は何かしでかす、あるいはうっかり死ぬかもしれないと思ったからだ。ゲッターズ飯田の言葉で俺は自分の抜き難い習慣を絶ったのである。だから彼は命の恩人のようなものだとかねてから思っている。
 が、その大恩人の名前を俺は思い出せなかった。つまり酒を飲もうが飲むまいが俺は結局忘れたわけである。
 言い訳を書いておくと、そもそも「ゲッターズ」とはなんなのか、そのわからなさに俺は引っかかっていたのではないかと思う。百歩譲って彼が「何かを得る人」なのだとしても、それならなぜ「ゲッターズ」と複数形なのか。なにしろ俺は命の恩人が芸人コンビの一人だった時代(※4)を知らないから、こういう混乱をとどめることが出来ない。複数ならせめて「ゲッター飯田ズ」ではないだろうか、などとしきりに考えてしまう。
 どこが単数でどこが複数かはともかく、名前の構造が「カタカナ+漢字」であることだけは途中でぼんやり思い出せた俺は、しかしむしろそうなるといったいどれだけの人名を挙げていけばいいのかと途方に暮れたものだ。ジェームス小野田(※5)あたりから列挙していくのか、下手をしたらディック・ミネ(カタカナ+カタカナ)(※6)から総ざらいなのか。この構造は実に罪作りだ。トリンドル玲奈(※7)、ダレノガレ明美(※8)含め、印象の強い例が多すぎる。
 ラリー・ハード(※9)もつい忘れた。この人の名前は以前も書にしたような気がする。東日本大震災の直後、このシカゴハウス(※10)の伝道師たるDJラリー・ハードは約束通り日本に降り立ち、DOMMUNE(※11)という配信番組に出て二時間ほどひたすら無言の美しいハウスミュージックをかけた。
 東京からすぐさま帰ってもよかったのである。事実多くの外国人はそうした。すでに原発の水素爆発は起きていたから当然のことだ。しかしラリー・ハードは恵比寿のスタジオに来たのであった。
 この夜彼がかけた「ドムドムドムドム」とひたすら四つ打ちの続く音楽はしかし、完全に言葉を失いかけていた俺を下から支えてくれた。現実の映像が繰り返されるマスメディアによって想像力を奪われていた俺は、自分もラリー・ハードのように音楽で何かしら他人を鼓舞したいと思った。
 そこで俺はツイッター上で「DJせいこう」を名乗り(すでに名乗っていたのかもしれない)、ありもしない曲のリクエストを募り、それをかけたと言い張り、想像の中でのラジオごっこを続けた。これがのちにひとつの小説(※12)につながったのかもしれないのだが、自分では正直よくわからない。ただあの夜のハウスミュージックの力強さだけをはっきり覚えている。
 だが、そのラリー・ハードの名前を俺は度々忘れるのである。何年かに一度、人にこの時の話をすることがあるのだが、その肝心な時に俺は「ええとー、その夜のDJが、えーと、あのー」とど忘れにやられるのだ。こうした時に前回に書いた枕詞システムが使える。俺は「ほら、シカゴハウスの」と言ってみるのである。すると素早くフランキー・ナックルズ(※13)が出てくる。デリック・カーター(※14)が出てくる。あとはずるずると記憶の綱を引っ張って、その先にくっついているラリー・ハードを拾い上げるだけだ。シカゴハウス界のオシャレな芋づるである。
 人名では他に「林先生(※15)」も忘れた。「今でしょ」の林先生なのだが、問題は下の名前だ。ファーストネームが完全に俺の記憶から抜け落ちる。
 「林」も「先生」もはっきり脳裏に浮かんでくるのである。「今でしょ」は何より早くすでに飛び出して眼前でピチピチしている。にもかかわらず、というかピチピチに惑わされてなのか、その「林」と「先生」の間のブランクを埋めようとした途端に「望」という字が出てくる。林......望(※16)。「それはリンボウ先生じゃないか!」と俺は自分を叱りつける。「今でしょ双六」はスタートに戻る。この虚しい繰り返しは地獄を想起させる。
 なんとか「望」が出ないよう、俺は両手で林の穴を押さえるのである。しかし手のひらの脇からすでにヒゲがちょろりと出てきている。ヒゲが出たらもうリンボウ先生が出てくるに決まっている。したがって俺は思い出す努力を放棄し、いったんヒゲが出終えるのを待つ他ない。そしてトボトボと「今でしょ双六」のスタート地点に足を運ぶのである。
 正解はちなみに「修」だ。俺以外、誰もが忘れないことなのだろう。
 「何かのプペル」もどうなのか。西野君に怒られるだろうが、ど忘れは仕方がない。家にいて突然、あの映画の宣伝で使われた映像を俺は見事に思い浮かべたのである。同時に「プペル」も出た。しかしそこに「煙突掃除の」という言葉がしきりとあらわれた。
 事実、脳内の映像には煙突があちこちに立ち、煙を噴き出している。俺はそのまま煙突の多い風景を素直に言えばよいのだったが(正解は『えんとつ町のプペル』(※17)だから)、煙を出しているからには掃除をするのだろうと決めてかかってしまう。それで『煙突掃除のプペル』になる。汚れていたら掃除だという、何かしら戦後世代の限界なのだろう。
 左の方に「爆誕(※18)」とも書いてある。実にイメージ喚起力の高い新語であるが、別にど忘れしたわけでもない。逆に俺はこの「爆誕」を見るとほぼ必ず、発禁になっていた大江健三郎(※19)の初期小説『政治少年死す』(※20)の一節を思い出すのである。
「純粋天皇の胎水しぶく暗黒星雲を下降する永久運動体」
 こういうことはちっとも忘れないで、「チャンネル登録」は忘れてしまうというのは、一体いかなる病いなのであろうか。 


※1チャンネル登録:動画を公開しているYouTubeアカウントをお気に入り登録すること。チャンネル登録をすると、そのアカウントにアップされる動画が表示されるようになる。
※2 clubhouse:2020年にアメリカでサービス開始した、招待制の音声SNSアプリケーション。登録している人同士で、ラジオのような会話を楽しむことができる。日本では2021年1月23日よりβ版の運用が開始されている。
※3ゲッターズ飯田:占い師。紹介のあった人のみ、無償で占うというスタイルで、これまで6万人以上を占っている。オリジナルで編み出した 「五星三心占い」という占術を使う。
※4芸人コンビの一人だった時代:1999年に津村英世とお笑いコンビ・トノサマガエルアマガエルを結成し、2005年に解散した。
※5ジェームス小野田:日本のミュージシャンで、米米CLUBの中心メンバーの一人として活動しており、現在は主に舞台で活動している。
※6ディック・ミネ:日本のジャズ・シンガー、俳優。1934年にデビューし、戦前のジャズシーンを牽引した。1991年没。
※7トリンドル玲奈:日本のタレント。現在、ファッション雑誌『with』の専属モデルで、テレビドラマにも多数出演。
※8ダレノガレ明美:日本のタレント。2012年、ファッション雑誌『JJ』でデビューし、バラエティ番組等でも活躍。
※9ラリー・ハード:アメリカのDJ、ミュージシャン。シカゴハウスの大御所で、CDアルバムは「Mr Fingers」という名義でも出ている。
※10シカゴハウス:ハウス音楽の初期のスタイルで、アメリカのシカゴで誕生。黒人音楽をベースとしつつも、機械的なビートを強調したり、シンセサイザーが多用されるのが特徴。
※11 DOMMUNE:アーティストの宇川直宏が2010年に開局した、日本初のライブストリーミング(インターネット上の生配信)チャンネル。
※12ひとつの小説:2013年に著者が発表した『想像ラジオ』。第26回三島由紀夫賞および第149回芥川龍之介賞候補となり、第35回野間文芸新人賞受賞。
※13フランキー・ナックルズ:アメリカのDJ、音楽プロデューサー。ハウスミュージックを確立した功績から「ハウスの父」と呼ばれる。1997年にグラミー賞受賞、2014年没。
※14デリック・カーター:シカゴハウスのシーンを代表するアメリカのDJ。リミキサーとしても、有名アーティストの作品を多く手がける。
※15林先生:予備校・東進ハイスクールの現代文の講師で、タレントとしても活動。コマーシャルでの台詞「いつやるか? 今でしょ!」が、2013年に新語・流行語大賞を受賞。
※16林望:日本の作家。1991年に随筆『イギリスはおいしい』で作家デビュー。タイトルに「リンボウ先生」が入る著書多数。
※17『えんとつ町のプペル』:2020年12月25日公開のアニメ映画。お笑いコンビ・キングコングの西野亮廣が手掛けた絵本を原作としている。
※18爆誕:俗に、世間を騒がせるような衝撃を伴って、生まれること。
※19大江健三郎:日本の小説家。1958年、短編「飼育」により芥川賞を受賞。1994年には、日本文学史上において2人目のノーベル文学賞を受賞した。
※20『政治少年死す』:1961年2月に「文學界」に掲載された小説。前月に掲載された『『セヴンティーン』の続編であったが、その後長年、単行本に収録されることがなく、2018年に『大江健三郎全小説3』に初めて収録された。

いとう せいこう

いとう せいこう
(いとう・せいこう)

1961年生まれ。編集者を経て、作家、クリエイターとして、活字・映像・音楽・テレビ・舞台など、様々な分野で活躍。1988年、小説『ノーライフキング』(河出文庫)で作家デビュー。『ボタニカル・ライフ―植物生活―』(新潮文庫)で第15回講談社エッセイ賞受賞。『想像ラジオ』(河出文庫)で第35回野間文芸新人賞を受賞。近著に『ど忘れ書道』(ミシマ社)、『夢七日 夜を昼の國』(文藝春秋)、『「国境なき医師団」になろう!』(講談社現代新書)など。

編集部からのお知らせ

河出書房新社から新刊『福島モノローグ』発売中です!

0303-2.jpg『福島モノローグ』いとうせいこう(河出書房新社)

忘れたいことがある。忘れられないことがある――福島から語られる「いま」の声は、死者の声を響かせながら、未来へと向かう。『想像ラジオ』の著者による、21世紀の『苦海浄土』。

河出書房新社『福島モノローグ』紹介ページより

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