語尾砂漠

第3回

「ませんか」と「ぞなもし」

2022.06.21更新

 プロ野球の広島東洋カープは、ドミニカ共和国にアカデミーを作って現地の選手を育成するなど、中南米との繋がりがとても深い球団です。現地の有望な選手は日本にやってくるのですが、もちろん、全員が全員活躍できるわけではありません。でも、野球選手として大成しなくても、その後球団スタッフとして働くドミニカ人もいます。
 ヘンディ・クレートさんもその1人で、ブルペン捕手兼通訳としてチームに帯同していました。
 そんなクレートさんが急に有名人になったのは、2017年のこと。ある選手の試合後のヒーローインタビューの通訳をしたのですが、それがあまりにカタコトだったからです。
 極め付けは最後のセリフ。「また明日、来てください」と通訳し、それで終わりかと思いきや、少し間を開けて、「ませんか」と付け加えたのです。その絶妙な間と、なぜか「ませんか」というほぼ意味のない語尾に一番力が入っていたこととが相まって球場は大爆笑。その後しばらく、彼が通訳するたびに球場がざわつきました。

 それを聞いて私はつくづく思ったのです。「日本語誕生以来、『ませんか』という語尾がこれほど注目されたことがあったろうか」と。
 考えてみれば「ませんか」というのは不思議な語尾です。先ほどの例からもわかるように、別に「ください」で止めても十二分に意味は通じる。英語の「would you」のように、問いかけにすることでより丁寧に表現するという話だと思いますが、なくても全然困らない。ある意味不遇な語尾で、そんな語尾が急に強調されたからこそ、笑いが生まれたのではないでしょうか。

 同じような語尾があるかな、と考えて、愛媛弁(伊予弁)の「ぞなもし」が思い浮かびました。意味はほぼ「ませんか」と一緒で、「ではないでしょうか?」という意味になるそうです。
 ご存じの通り、この語尾は夏目漱石の『坊ちゃん』で一躍有名になりました。『坊ちゃん』といったら赤シャツでもマドンナでもなく「ぞなもし」。「そりゃ、イナゴぞな、もし」みたいに使います。この語尾があることで、『坊ちゃん』全体に不思議なユーモアが生まれる、貴重なバイプレーヤーです。
 そう考えると、本来強調されない「ぼかし表現の語尾を強調すると、なぜかユーモラスになる」という法則が見えてきます。
 別に『坊ちゃん』に出てくる松山の人々は語尾を強調しているわけではないでしょうが、都会人の坊ちゃん(≒夏目漱石)には、聞きなれない表現だけに強く印象に残ったのでしょう。

 使わなくても意味は通じるけど、そこはかとなく温かい気持ちになるそんな語尾。日本語の特徴として大切にしたいと思います。

 ところで、今年のプロ野球のオールスターゲームは松山で行われるそうです。中南米系の選手が活躍してヒーローインタビューに呼ばれ、クレートさんが(なぜか)通訳をし、最後に「ぞなもし」と強調してくれたら・・・。そんな淡い夢を抱きながら、中南米系の選手に票を入れております。

松樟太郎

松樟太郎
(まつ・くすたろう)

1975年、「ザ・ピーナッツ」解散と同じ年に生まれる。ロシア語科を出たのち、生来の文字好き・活字好きが嵩じ出版社に入社。ロシアとは1ミリも関係のないビジネス書を主に手がける。現在は、ビジネス書の編集をする傍ら、新たな文字情報がないかと非生産的なリサーチを続けている。そろばん3級。TOEIC受験経験なし。著書に『声に出して読みづらいロシア人』(ミシマ社)『究極の文字を求めて』(ミシマ社)がある。

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『声に出して読みづらいロシア人』の著者である松樟太郎さんに、特別寄稿「声に出して読みたいウクライナ語」をご執筆いただきました。ぜひ、本連載と、松さんの著作と、合わせてお読みください。

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