第7回
「私たちはできます、はい」
2022.10.11更新
時効警察の論理
2006年に放映された伝説のドラマ「時効警察」。
このドラマは警察の時効課(そんなのあるのか?)で働いている主人公が、時効になった事件を趣味で捜査するというトリッキーな内容なのですが、とにかく本筋以外にさまざまな伏線や小ネタが張り巡らされており、一秒たりとも気が抜けない、とてつもなく密度の高い作品です(超お勧めですので、見ていない方はぜひ)。
その中に、十数年前に謎の死を遂げた水泳選手の事件を調べ直すという回があります。
カギを握るのは、その水泳選手の妹で、現在は水泳のコーチになっている人物。
彼女には何か隠し事があるようにも見えるのですが、アスリートらしいきっぱりとした口調で、疑いをはねのけていきます。
「そんなことはないと思います」
「私はその件には無関係です。はい」
そして捜査が進み、最後に主人公はこう指摘します。
「あなたは嘘をつくとき、必ず最後に『はい』って言いますよね」
確かに、何か発言した後に「はい」とつける人、います。
それも、このドラマの人物のように、アスリート系の人に多い印象があります。
たとえば試合や競技後のインタビューで、
「みなさんの声援で勝つことができました、はい」
みたいに。
なぜ人は語尾に「はい」をつけるのか
この時効警察の論理によれば、「みなさんの声援は特に勝利と関係ないです」ということになるのですが・・・まぁそんなひねくれた見方はともかく、なぜ人は語尾に「はい」をつけるのか、ということを考えてみたいと思います。
普通に考えれば、「正しいことを強調したい」という心理ではないかと思います。
「みなさんの声援で勝つことができました、はい(本当に声援はありがたいです)」
ただ、うがった見方をすれば、「自分に言い聞かせたい」という側面もあるかもしれません。
「みなさんの声援で勝つことができました、はい(うん、きっとそうだ。そうに違いない)」
そして、本心と言い聞かせたいことの乖離が激しい時、時効警察の例のように「嘘としてのはい」が出現するのかもしれません。
「yes」と「はい」
それにしても面白いのは、肯定を示す「はい」が、否定を意味するというアンビバレントさです。
ちなみに英語の「yes」の語源は「そうであろう」という意味の古英語のgeseあるいはgiseだそうで、文字通り肯定の表現なのですが、日本語の「はい」は元々感嘆を表す言葉、つまり「ああ」や「おお」のような意味だったそうです。
そう考えると、肯定にも否定にもなる「はい」という言葉のユニークなニュアンスが理解できるような気がします。
ここでふと思い出したのが、懐かしのオバマ大統領のキャッチフレーズ「Yes we can!」です。
「そう、私たちはできる!」などと訳されることが多いのですが、ひょっとするとこれ、本当はこう訳すべきだったのかもしれません。
「私たちはできます。はい」
なんだか急に自信なさげになってしまいました。
アメリカ初の黒人大統領として任期の8年を務めあげたオバマですが、やはり大統領という重責を前に、「俺はできる。できるに違いない!」と自分を鼓舞していたのでしょう。
そんな、彼の心の揺らぎをよく示しているのがこのキャッチフレーズなのです。はい。
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特別寄稿「声に出して読みたいウクライナ語」
『声に出して読みづらいロシア人』の著者である松樟太郎さんに、特別寄稿「声に出して読みたいウクライナ語」をご執筆いただきました。ぜひ、本連載と、松さんの著作と、合わせてお読みください。