第10回
イカ語尾という発明
2023.01.12更新
犬は「だワン」、猫は「だニャー」、牛は「だモー」。
マンガやアニメ、絵本などに出てくる動物は、流暢な日本語をしゃべりつつ、なぜか語尾に鳴き声をぶっこんできます。
まるで、そうしないと自分のアイデンティティが保てないとでもいうように。
いや、もともと犬や猫が日本語喋る時点でアイデンティティも何もあったもんではないのですが、意外とすんなり受け入れられているようです。
日本語にとっていかに語尾が自由自在かを示す、象徴的な例のような気がします。
もっとも、彼らはまだ「鳴き声」なので許せるのですが(別に私に許す権利も罰する権利もありませんが)、問題は「名前をそのまま語尾につける系」です。
「象だゾウ」とか、「ワニだワニ」とか。マンガや絵本に出てくるゾウやワニは結構な確率でこんなしゃべり方をしている気がします。もはや鳴き声でもなく、ただ自分の名前(種族名?)を連呼しているだけ。これを「種族系語尾」と名付けます。
そういえば小学生の頃とか、自分のことを名前で呼ぶ女子とかいましたが、あんな感じでしょうか。「ミユって、そういうのあんまり好きじゃないでしょ」みたいな。知らんがな。あと、ミユは種族ではありませんが。
問題は、「種族系語尾」によって、発言に制限がかかるケースです。
例えばカニは「そうじゃないカニ?」などと、語尾のせいですべてが婉曲表現になってしまいます。
自分のアイデンティティを示すときですら、
「私はカニであるカニ?」
と疑わなければなりません。もはや哲学的ですらあります。私は本当にカニなのか。そもそもカニとは何か。我思う、故に我あり。そういえばタラバガニはカニじゃなくてヤドカリの仲間なんだそうです。どうでもいいですが。
くだらない前置きがやたらと長くなりましたが、今回ご紹介したい語尾は、そんな「種族系語尾」の中でも私が最高峰かつ極北だと思っているものです。
それは「イカ」の語尾です。
『侵略! イカ娘』という漫画(およびアニメ)があります。海底から地上を侵略せんとやってきたイカの化身? の少女が、なぜか海の家で働かされるというほんわかコメディなのですが、その「イカ娘」が、このような語尾を使うのです。
「そうでゲソ」
「そうじゃなイカ?」
ポイントは、同じイカ発祥の語尾で通常文と疑問文の2つが作れること。これは革命的です。こうなるとほぼ、何でも表現することができるからです。
死のうと思っていたでゲソ。ことしの正月、よそから着物を一反もらったでゲソ。お年玉としてでゲソ。着物の布地は麻でゲソ。鼠色のこまかい縞目が織りこめられていたでゲソ。これは夏に着る着物じゃなイカ。夏まで生きていようと思ったでゲソ。――太宰治『晩年』より
語尾をカタカナにするだけでお手軽に種族を誇示できる「じゃなイカ」の語尾も秀逸ですが、やはり白眉は「でゲソ」でしょう。下っ端が使うことで有名で、かつ実際に使っている人を見たことがないことでも有名な、「でゲス」という語尾をほうふつとさせます。
ちなみにこの「でゲス」という語尾は元々「でございます」から派生したとされており、江戸末期から明治初期は男性の使うごく普通の語尾だったようですが、いつの間にか下っ端感あふれる語尾となってしまいました。「でゲス」という語尾を使っていろいろやらかすトンチキなキャラが出てくる落語の影響じゃないかと思います。
そして、この「イカ娘」というキャラクターは、わりと不憫というかすっとこどっこいなキャラクターなので、この下っ端感あふれる語尾がイカにもジャストフィットなのです。
そのあまりの使い勝手の良さに、このアニメが放映されていた頃にはネット界に「イカ語尾」が溢れていたものです。
私の携帯は今でも「じゃないか」と打つと、AIが勝手に「じゃなイカ」と変換しようとします。それを見るたびに、AIによる人類支配の日も近いんじゃなイカと思ったりします。
ちなみにこの『侵略! イカ娘』というマンガが面白いのか、と言われるとちょっと困ってしまうのですが、アニメ化までされた理由はやはり「語尾」にあったのではないかと、私は思っています。
イカに匹敵する、あるいはそれを超えてくる「種族系語尾」が現れる日は来るのか。楽しみに待っていたいと思います。