第5回
SOCO(カレー屋・バー)
2022.01.17更新
ミシマ社京都オフィスから徒歩3分。昼はカレー屋、そして夜はバーとして営業するSOCOというお店があります。店内には写真や絵画が展示されていたり、お客さんが自由に弾けるギターやピアノがあって、突然がセッションが始まったり、となかなか自由な空間です。
そして、店主の水野さんと話していると、どうやら京大で研究職をしていて、インドネシア語もペラペラという情報が。気になったタブチが、さっそくインタビューを敢行しました。音楽のはなし、旅のはなし、店のはなしなど、盛りだくさんでどうぞ!
(聞き手、構成:田渕洋二郎)
(SOCO HPより)
前職は、研究者です。
-- SOCOには、本当にいろんなお客さんが集いますよね。お店ができるまでの経緯や、水野さんの根っこをつくった体験などあればお聞きできればと思います。
水野 僕は、大学時代に筑波にいたのですが、そこで「芸能山城組」に出会ったことが大きかったですね。生化学の研究者でもある山城祥二さんが主宰する、世界の民族芸能を中心にパフォーマンスする集団なのですが、学生、ビジネスマン、エンジニア、医師、ジャーナリストなど本当にいろんなバックグラウンドの人がいて。
バリのガムランや舞踊もレパートリーで、現地に習いにもいきましたが、そこではもともと田んぼで米をつくるなかでの祝祭芸能で、神への捧げものなんです。だからこうした世界一流のアーティストも基本はみな農民なんですね。プロによる芸術とは違う、暮らしや環境と結びついたアートの存在や、それがコミュニティで果たす役割に気づかされ、日本も含め世界の見かたが変わりました。
そんな影響もあったりして、大学院から京都に来て、東南アジアの地域計画を研究していました。たとえば衛星画像を5年、10年単位で追っかけてモデル化するんです。そうすると人口が増えて、宅地化していったり、どういう過程を経て森林破壊がすすむのかがわかる。1年のうち1〜2ヶ月インドネシアにいって、村でのフィールドワークをしていました。その後もちょうどポストがあったので、20年くらい京大に残って研究を続けることができ、アジア、アフリカを中心に30ヶ国ぐらい見て回りました。
ただ、自分は決して純粋な研究者にはなれないなという思いがあったのと、大学の方も、「論文何本」とかで評価されたり、組織管理の仕事がどんどん増えて、やりたいことができない状況になってきて、教員を辞めたのが2015年です。
地道な、けれどもとても強力な平和構築の手段
水野 その後、Airbnbを利用して自宅でホームステイの受け入れをしたり、2017年からは伏見でもゲストハウスをやっていました。コロナ禍までの3年間で36ヶ国からの550人が我が家に泊まったんです。ゲストと一緒に京都の街を回ったり、地域の運動会の人手が足りなかったら、助っ人で参加してもらったり。フランスから来たカップルが、その後結婚することになって、彼らが滞在中に仲良しになった隣の植木屋さん夫婦と一緒にフランスに行って結婚式に出たこともありました。
過去にクリントン政権の報道官をやっていて、現在Airbnbの役員をやっている、クリス・レハーンさんが、自宅でのホームステイを見にいらしたことがあったんです。そして、彼に「なぜ水野はホストをするのか」と聞かれた。
その時は、「どんなに国と国がギクシャクしていようが、いま目の前に人がいれば、お互い理解しようという気持ちがうまれる。そして理解があれば、お互いを尊重することができて、相手を傷つけたり攻めたりは決してしない。 世界から人びとを家に迎えることは、地道な、けれどもとても強力な平和構築の手段だと思うんです」と答えたことがあります。
マークトウェインは「旅をすることで、思い込みや偏見、心の狭さは消え去る。だからこそ、僕らはみんな旅をしなくちゃいけないんだ。」と言っていましたが、実際にその土地で人とふれあうなかで、尊重しあう気持ちが自然と生まれてくるのかなと思います。
そうやって海外からのゲストやしばらく日本に滞在する研究者たちと話していくうち、彼らが、日本にいてあることに困っていると聞くようになった。それは、携帯を契約するとか、クレジットカードをつくるとか、そういったことがものすごいハードルが高いんですね。
だから、ただのゲストハウスではなく、そういったところまで面倒をみれるような宿をやろうと思って2019年の12月からこの河原町丸太町に拠点を構えてスタートすることにしました。でもすぐにコロナ禍になってしまって、物理的に海外から人が来れないような状況になってしまった。
(店主の水野さん。取材中もさまざまなバックグラウンドをもった人たちが集っていた)
そのうちいい風が吹くだろう
水野 だからひとまず飲食から始めようと思って、昼にはカレー屋を、夜はバーとして営業をすることにしました。そうして営業しているうちに、絵を展示したい、というお客さんが来たからギャラリーもはじめたり、ライブをやりたい人が現れたのでピアノやPAを揃えたり。
そのうち、みんなが好きなようにsocoを使ってくれるようになって、勝手にいろんな人が集まってきました。イベントによっては、京都中のフランス人が集まる、みたいなこともあったりします。
店に集うさまざまな人たちと組んで、食品事業の会社も立ち上げました。地域計画の研究をしていたときに、プロジェクトによっては新しい農産物の導入を支援したりもするわけですが、なかなか作ったものが流通に乗って売れる、というところまでが難しい。そういった出口になればいいな、と思っているんです。たとえばタンザニアで農家と一緒に栽培から製品化まで手掛けたバニラを仕入れて、オリジナルのカクテルなどに使っていますが、そうやって、これまでお世話になったひとたちに恩返しできたらないいなとも思っています。
店づくりで意識していることがあるとすれば、京都らしくなくていいかなというか。僕自身も「よそ者」なので、そういう人もいられるような、風通しのいい場所であったらいいなあ、と。根本には諸行無常があるというか、そのうちいい風が吹くだろう、くらいの気持ちですね。僕がこうしたい、こうあるべきというのはなく、流れに漂うなかで、あ、面白い流れだなと思ったらそこにぴょん、と乗る。
僕のこれまで人生を振り返っても、そうやって研究者になったり、ゲストハウスのオーナーをしたり、猟師になったり、大工をやったり、カレー屋の親父になったりしてるわけなので。みなさんも使いたいようにsocoを使ってもらえたらと思います。