第2回
希望の種をまく前に
2021.08.25更新
7月9日の会合に私を誘ってくれたのは、仕事仲間でもあり、子育てを通じて友人でもある tupera tupera のお二人(亀山達矢、中川敦子)だった。tuperaさんは、絵本を中心に子どもたちに唯一無二の驚きと楽しさ(『こわめっこしましょ』など、それはときに恐怖を伴う!)を届けつづけている創作ユニットだ。
お二人は、この北山エリアが気に入り、5年前、東京から家族で移住してきた。今回の問題に対しても、前回書いたように回覧板できた「府民の意見」募集に対しても長文を書いて提出したという。
そこには、二児の親として切なる思いを載せた提案がされていた。要約すると、次のような内容になる。「図書館があると嬉しいです。晴れの日は鴨川があるのでいいのですが、雨の日、子どもたちが集う場所がとても少ないように感じています」。
創作ユニットとしても、京都に図書館、とりわけ子ども向けの図書館の必要性を感じていたという。詳しく訊けば、京都府立図書館から講演を頼まれたこともあったが断った。理由は、「府立図書館には児童書が開架されていない」から。児童書を手がけるおふたりが、この事実を知ったときの心痛ははかりしれない。
こうした実感をもっての提案である。――京都には、子どもに開かれた図書館がいりますよ――。
府としても無視できないだろう。と思って反応をじっと見ていたが、やや表情をゆがめつつも、「大枠は変わらないです。府議会で一度、通ったことでもあるので」と返答は変わらない。
議会で通ったことって何?? 全然、知らないんですけど。
率直な感想はこうだ。だが、待てよ、知らないのは私だけかもしれない。普段から市議会や府議会のことなどまったく興味なし。むしろ、できるだけそうした「公」から距離を置こうとしてきたキライがある。そのツケが出たということか。
という考えが脳裏をよぎった。
が、その場にいた7名全員が「それは知りませんよ」と言ったり、「府民が知らないまま通すってどういうことですか」と反論した。
そうだ。そうだよな。さすがに、町であれ市であれ府であれ、むろん、国であれ、全ての動きをウォッチするのは無理だ。なぜなら、私たちには日々の生活、暮らしがある。それを支えるために、それぞれの仕事がある。のみならず、それを支える一助と言っていい、余暇や娯楽の時間も要る。
新聞の情報以外に、地元議会の議題や決定事項のひとつひとつに目を配るのは正直、むずかしい。行政のホームページをじっくり、くまなく読むなんて経験、ほとんどの市民がしたことがないだろう。
けど、このままでは、知らない間に自分たちの住む街の大小さまざまな決定がされていくばかりだ。じゃあ、どうすればいいのか? 生活や日常を犠牲にすることなく、こうした問題に取り組めないものか?
と、ここまで書いたとき、京都新聞に次のような記事をみつけた。
「市民意見9千件 反映せず」
京都市が10日にまとめた行財政改革計画を巡っては、案の段階で市民らからパブリックコメント(市民意見)が約9千件寄せられた。門川大作市長は「関心の高さを重く受け止める」としたが、計画には意見がほぼ反映されていない。市は「今後の施策検討の参考にする」とするが、意見を寄せた市民は「民意を生かす気はあるのか」など市の姿勢に疑問を投げ掛ける。
(「京都新聞」2021/8/11)
この記事は京都市に対するもので、私がこの連載で考えようとしている北山エリア整備問題は京都府の管轄である。そのため、京都新聞の記事がそのまま今回のケースに当てはまるわけではない。ただし、構図はさほど変わらないと考えて間違いないはずだ。
ちなみに、府のホームページにある「北山エリア整備基本計画(骨子案)に対する意見募集結果について」を見ると、意見提出数は「55名 142件」とある。
55名、である。
府の総人口は約250万人に対し、わずか0.0022%の人たちだけが意見を出したわけだ。そして、その貴重な、とても貴重な意見さえ反映されない。
この事実を前に、ついうがった見方をしてしまう。「どうせ意見を出しても無視されるだけだし、意味ないやん」。こうした諦めを生む構造を、わざとつくってきたんじゃなかろうか。
諦めの構造をつくっておいて、突っ込まれても困らないように手は打つ。つまり、こうだ。ーーパブリックコメントを募った。その既成事実はある。しかし、多数は寄せられていない。「確かに参考にさせていただきました」と表面上は答える。そして自分たちの身近な関係者の意見を反映した事案を通す。エクスキューズを担保した上で、行政は、もっともスムーズに事を動かすことができる。
そういえば。
前回述べたとおり、私が発言した際、府の職員は、「むずかしいですね」と、決してぞんざいにではなかったものの一顧だにせず返答した。その返答に、おいおい、むずかしいですね、じゃないだろ、と怒りが込み上がってきたのは間違いない。それで、ついムキになり、直前のやり取りを失念してしまっていた。
私が、「気候危機をはじめとする地球環境のことを踏まえて」と発言したとき、ああ、と口を広げ、府の職員は露骨に首を後ろに反らせたのだった。今思えば、あの反応は、「ああ、そっちの人ね」というものだったのではないか。以前、九州の某所で住民運動に第三者の立場で関わった人が言ったことばを思い出す。「自治体の人から、環境団体の人と最初に思われてしまったら、その時点でボツ交渉ですから」。まさに「そっちの人」と見なされての反応だったのだろう。
そして見事に、私は「そっちの人」然とした振る舞いを取るようになっていた。発言中、ああ、と首を反らせ、どこか人を見下すような態度をとられて、「いいね、そのリアクション!」と言えるほどには人間ができていない。逆に、知らず知らずと、語気は荒くなり、声量も上がっていった。念のため申し添えるが、私自身はそっちとかあっちと人を区分することは好きではない。環境団体の方々には時にはアプローチの違いはあるかもしれないが、その行動力には頭が下がるばかりだし敬意しかない。
どうして、彼は、ああ、と言わんばかりに首をのけぞらせたのか?
それは、意識しておこなったというより、条件反射というものだった。「地球環境」「○×」といった単語を使ってくる連中には、取り合わないで、うまくやり過ごすように、といったマニュアルが存在するのだろうか。そんな邪推すらしたくなるが、さんざん、あるいは、数度は、こうした経験をしてきたからこその反応だったにちがいない。
見知らぬ人がやってきては、あなたたちは間違っている! やめろ! すぐに撤回しろ! と言われる、罵られる。
一年に一度でも、辛いのに、週に何度も、1日に幾度も、こうした声を浴びるとすれば・・・。
そりゃあ、首も反らすというものだ。首どころか肩や腰も反らしたり、回したり、叩いたりほぐしたりしないことには、心身ともにもたない。少なくとも、私はもたない。すぐに辞めるだろう。
そう考えると、あの日、府の職員さんにもう少し優しい対応を取れなかったものか、と反省のひとつくらいしたい。
ちょうど今、編集している『くらしのアナキズム』(松村圭一郎著、2021年9月29日刊)のなかで、松村さんがこんなことを書いている。政治とは、どんな政策をするかということではなく、関係を「耕す」ことである、と。
その視点にたてば、行政と私の間の土地は、まったく耕されていない(この連載の中で、府の職員さんの名前はおろか、イニシャルさえ出てこないことが、両者の関係を象徴しているだろう)。生命力抜群の雑草でさえ生えない、育たない、そんな死の荒野が広がっている。
その荒野に向かって放つべきは、正しいメッセージ、こうあって欲しい希望の種、ではない。それをする前に、やらないといけないことがある。
むろん、私からのアプローチだけでなく、双方ともに取り組まないといけないことだ。
このように考えていくと、朧げながらに、「はじめての住民運動」の課題が見えてきた。
一つは、行政と<私>に横たわる荒野を耕していくこと。
そして、それをするにあたり、日々の生活、日常を犠牲にしないこと。
問題は、この二つを「どう」実現していくかだ。
*
この会合の最後に、本会合を実現させた井崎敦子さんが、府の職員さんに素晴らしい提案をしてくれた。
「一度、府民の人たちを集めるイベントを私たちのほうで開きます。そちらに来て、府民の声を聞いてみてはいかがですか」
この提案に対しては、残念ながら、府の職員さんは、「特定の集まりに参加することはできません」「自分たちのやり方で、広く府民の意見を聴き、こちらの考えを伝えていきます」の一点張りだった。
それでも、あくまでにこやかに、フレンドリーに、「一緒にやりましょうよ」「場所だけでも、提供してください」と井崎さんは交渉をつづけた。そうして、週明けに一度、返事の電話をもらう、という約束を取り付けるに至った。
すごい。
これで、交渉がこの日だけで終わらずに済む。
きわめて細い流れかもしれないが、希望の水脈を断ち切らずに済んだのだ。
初めての仕事同様、はじめての住民運動も、先達についていくにしくはなし、である。
こうして府の職員さんとのヒアリング会という初の経験は終了した。
それから3日後、府の職員さんからはちゃんと連絡が来たのだろうか? 来たとすれば、どんな内容の連絡だったのだろう?