はじめての住民運動――ケース:京都・北山エリア整備計画

第3回

素朴な声は届かない?

2021.10.13更新

 これまでの経緯を簡単に記す。
 2021年7月9日、「北山エリア整備計画」に関して京都府の職員の方とヒアリングの場をもった。私の思いはこのようなものであった。
「日本最古の植物園は世界に誇れる多様な植物などの生態系がいる空間。今後も、公園化せず、植物園としてあって欲しい。その角地のスペースにアリーナをつくったり商業施設をつくったりする案があるが、住民はそうした「消費」の場所は望んでいない。それより、子どもたちがお金を使わずとも、普段づかいできるような空間が欲しい。たとえば図書館とか」
 こうした場に初めて出席した私は、思いをストレートにぶつけた。結果は剣もほろろ。「白紙にすることはできないですね。もう、通ったことなので」。この一言にむざむざと腹を立ててしまう。あとで気づくのだが、何でもかんでも反対を唱える「そっちの人」と見做されたようだ。
 何度かこうした交渉の経験のある井崎敦子さんは、終始、ほほえみを絶やさず、「住民の知らないところで話を通すのは良くないと思いますよ。周知する場を一緒につくっていきませんか?」と提案。府の職員も「まだ十分、ご理解いただいていないのはわかっています。私たちの方でもご理解いただく場を設けていきます」と応答した。だが、「一緒にやりましょうよ」には、頑として拒否された。「特定の団体とはできません」と。
 特定の団体?
 最初、耳に入ってきたとき、この言葉の意味にとまどった。――僕は特定の団体に入っているのか? 初対面の人たちも数名いるこの7名の集まりは特定の団体なのか? そもそも特定の団体って何だ??
 そんな疑問を抱えたまま、その日の会合は散会となった。井崎さんが最後に、「一緒に会合を開かないか、もう一度検討して連絡ください」と後日の連絡を取り付けてくれた。
 週明け、府の職員から確かに連絡が来た。結論を言えば、回答はいっさい変わらないものだった。合点が入った。
 行政と住民のあいだに、ものすごく大きな溝があるーー。これだけがくっきりと浮き彫りとなった。

 この会合からすでに3カ月が経過したわけだが、この間、ただ漫然と沈思黙考していたわけではない。動いた。目一杯とは言えないが、自分なりに動いた。大切にしたのは、負担に感じないよう、楽しんでやること。
 府議員の人たち、他県の議員さん、有識者たちに話を聞いた。そうするうちに、見えてきたことがある。
 ――どうやらこの国では、住民不在で議会が進んでいく構造になっているらしい。

 端的に言えば、共産党と非共産の対立が根深いことがわかった。
 以下、某県(京都ではない)で議員をする知人が教えてくれた話だ。
「たとえば、ミシマさんのようなケースでも、相談先が『どこか』を議員は気にするわけです。仮によくわからないまま、共産系の議員に相談をしたら、その時点でストップすることだってある。住民運動が成功した暁には、それを使って勢力拡大をめざされるのが一番嫌ですから」。
 なるほど、ようやく合点がいった。政治に疎い私は、「そっちの人」と自らが見做されたことと、こうした議会の力関係が結びついているとは思いも寄らなかった。つまり、自分と議会とが繋がっている。そこまで思い至っていなかったわけだ。
「そっち」とは共産系を指していたのか。なんてこった。
 身に覚えがないとはこのことだ。
 断言するが、私は特定の党を支持したことがない。選挙のたび、その時のベストと思える人に投票するようにしている。それがたまたま共産党支持の候補者である場合もあれば、自民党支持や(旧)民主党支持の人である場合もあった。先に答えありきの発想自体を好まないこともあるが、特定の党を応援する気は全くない。
 言うまでもなく、それは法人の代表としても同じだ。出版社をしていると、たまに政治家の売り込みやある政治家の本を出したいという話が持ち込まれることがある。そうした一切をお断りしてきた。たとえ、その人がどれほど社会的な正義を実践している政治家であろうとも。本にしたとたん、その政治家ないし党の「宣伝」になることは免れない。それは、あくまでも「読みもの」としての本を出しつづけたい出版社としての一線を犯すことになる。
 以前、ミシマ社が小さめの町にも拠点を置いたとき、地元の政治家の方々が何人か来られた。私の考えは、こうだった。普段からメディアの人間は政治家とは距離を置くべきーー。なぜなら、懇意になった人の頼みは断りにくいものだから。最初から、距離を置くことが肝要と心得る。
『くらしのアナキズム』の中で松村圭一郎さんは、政治を生活のなかに溶け込ます一つの手段として「茶飲み」を挙げている。が、それはあくまで一住民としてすべきことであり、メディアの人間としては避けるほうがいいだろう。だが、その辺りの線引きは小さな町ではむずかしい。そういうこともあって、出版というメディアの仕事に徹するため、都市部へとオフィスを移した。それが正しかったかはわからないが、あの当時の自分の実力ではそれしかなかった。都市のいいところは、仕事と個人の切り分けが断然やりやすいことにある。
 もっとも、その切り分けのしやすさに安住した結果、政治の場と生活の場の大きな溝を生んだのかもしれない。個人の反省としてもそう思う。

 いずれにせよ、個人、法人を問わず、特定の政党と関わったことは一度もない。
 そういう人間でさえ、行政側の案を「肯定しなかった」だけで、「そっち」へ区分けされ、交渉の対象から外れてしまう。
 私は議員の人たちに言った。
「議会で党争いをしている間に、解決されないといけない問題がなし崩しになる。その争いで不利益を被るのは、住民なんですよ」
 すると、どの地域のどの議員も、「おっしゃる通りです」と言う。おっしゃる通りです、とは言うが、「じゃあ、そうしましょう」とはならない。住民、議員、どちらも「こうするほうがいい」と思っていることがまかり通らない。そういう構造になっている。

 ちょうどこのタイミングで、京都植物園の元園長さん2人と元副園長が声をあげてくれた。
『京都新聞』(2021/10/6)には「元園長ら見直し訴え」と見出しのついた記事が5面にある。

 にぎわいや人の流れをつくることを目指す案に「本来の植物園の姿からかけ離れている」「植物園の本質が分かっていない人が作った計画だ」と真っ向から批判した。
(9代目園長)松谷氏は「(海外の植物園は)園の舞台裏を支えるバックヤードが広い。そういう植物園を目指してほしい」と要求した。

 まさに、我が意を得たり、だ。この問題が浮上したとき、「植物園とは何か」の議論がないまま、人を集めることが唯一の目的のようのようになっているのを危惧した。別の稿で扱いたいが、その原因の一つは、民間委託という名の「公共放棄」がある。今回でいえば、東京に本社を置くコンサルティング会社と監査法人が開発案の作成に関わっている。
 私が聞いた話では元園長らは研究者でもある。京都植物園の職員さんも研究者が多いと聞く。こうした良心のある研究者たちの声を無視してはいけない。そうした人たちの存在が実に心強い。

 ちょうど同じようなタイミングで、本上まなみさんも連載「現代のことば」(『京都新聞』2021/10/7夕刊)のなかで、

「〜人流を増やし賑わいを創出しようとする方面にシフトしている(ように私には見受けられる)ため、植物園が変わってしまうの? と大変心配しています。」
「本当の豊かさとは、わが町の宝物とは、次世代に残すべきものとは何なのか、これからもっと議論を重ねられていくことを願います」

 と書かれた。
 研究者、住民ともに、この歴史ある植物園が無闇に開発されることを望んでいない。政治家たちや府の職員たちもきっと同じ、と信じるのみだ。どうか誠実に対応してほしい。

 それにしても、である。先の「元園長ら訴え」の記事の最後を読んで、もやもやしたものが込み上げてきた。

 松谷氏ら3人は「自分たちは反対運動を主導しているわけでない」とし、あくまで専門的な見地からの訴えだと強調した。

 反対運動を主導しているわけではないーー。もちろんそうだろうが、いちいち、こういうことを断らないといけないものだろうか?
 反対運動とみなされることを過剰に拒否する体質がここにも垣間見られる。

 反対運動にならないように、誰かを責めるような言い方・書き方にならないように、相談する先を間違いないように、などなどNGコードが多すぎやしないか。
「おや、近隣にこんな建物困るなぁ」
――住民がこう思ったとき、素朴に訴えることはできないものなのか?
 素朴な声が無視されたり、党間の政争の具になったり、そうしたことが放置されていていいのだろうか?
 あまりに住民主権とかけ離れていると感じてしまう。
 それとも、「君が言っているのは所詮、うぶな理想論だよ」と一蹴されるのだろうか。
 もし、そうして鼻で笑うような人がいたら、「そんなことありませんよ」と断言したい。なぜなら、今、私たちが日本中で直面している問題は、冷笑や諦めが積み重なって先送りされてきたものばかりだからだ。これを一つひとつ崩し、分解し、命あるものへと変えていくには、一人ひとりの具体的な声、素朴な問題意識から発せられる叫びからやり直すしかないのだから。
 少しずつ少しずつ、そのやり直しの実現に近づいていきたいと思う。



「学校はこのままでいいのか?」。この具体的な素朴な声から生まれた活動のひとつが、「学びの未来」プロジェクトです。10月30日、その活動を一般の人向けに公表する「僕たちはどう学ぶか」が開催されます。ぜひご参加くださいませ。

三島 邦弘

三島 邦弘
(みしま・くにひろ)

1975年京都生まれ。 ミシマ社代表。「ちゃぶ台」編集長。 2006年10月、単身で株式会社ミシマ社を東京・自由が丘に設立。 2011年4月、京都にも拠点をつくる。著書に『計画と無計画のあいだ 』(河出書房新社)、『失われた感覚を求めて』(朝日新聞出版)、『パルプ・ノンフィクション~出版社つぶれるかもしれない日記』(河出書房新社)、新著に『ここだけのごあいさつ』(ちいさいミシマ社)がある。自分の足元である出版業界のシステムの遅れをなんとしようと、「一冊!取引所」を立ち上げ、奮闘中。 イラスト︰寄藤文平さん

編集部からのお知らせ

森田真生さん×瀬戸昌宣さん「僕たちはどう学ぶか」のご案内

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 本文で言及されている「学びの未来プロジェクト」。10月末に、主催者の森田真生さんと瀬戸昌宣さんが対談をされます。
 1年半続いてきたプロジェクトを、あらためて一般のみなさまに広く公開するイベントです。これからの「学び」のかたちを具体的に考え、実践していく活動にご興味を持ってくださった方は
、ぜひぜひ、ご参加くださいませ!

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