ミシマ社の話ミシマ社の話

第63回

得意な「かたち」を発見した日

2018.04.07更新

  1年遅れの創業10周年パーティーが終わり、ようやくひと息つける。ミシマ社メンバーの誰しもがそう思っていた昨年の10月末。

 もちろん私も例外でなく、ひと息、ふーと吐いた。はー。ああ、気持ち良い。

 もう一度、時間をかけてゆっくりと吐き、吸い込んでみた。

 はー、すー。おっ。

 そのとき、これまで見えなかったものがはっきりと見えた。

 これから10年、と言えるかどうかはわからないが、少なくとも、おもしろいほうへとミシマ社を牽引する方向がーー。はっきりと見えた(気がした)。

 あらかじめ、「重大発表」がありますから、と伝えておき、翌週の月曜日、毎週恒例の全体ミーティングで発表をした。

 たまたまその日は、自由が丘オフィスにいるタイミングだった。ミシマ社は2拠点で出版活動をおこなっているため、必然、スカイプをつないでのミーティングとなる。

 京都はミシマ社最古参のワタナベはじめ5名。自由が丘は学生のお手伝いメンバー2人を入れて6名。総勢11名での会議となった。

 第一声から言った。

「ミシマガを全面リニューアルしたい」

 しばしの間(ま)。

 えっ、リニューアル? といった表情が一様に見てとれる。

 ある意味、予想通りだった。自分たちの選択肢にないことが突然発表されたとき、ひとは一瞬かたまってしまう。私も例外ではない。先日、バッキー井上さんに、この4月に入社した新人ノザキへ「ひとことお願いします」と私が頼んだとき。バッキーさんは、一拍おいてから、こう言った。「におい、どう思います?」。ノザキはえっと言ったまま返答に窮した。いや、彼女だけではない。私を含め、あの場にいた全員が、苦笑するばかりだった。解釈がどうしても追いつかないのだ。それに比べれば、「リニューアルします」がいかに常識的であることか。

 予想通り。そう思いつつも、じゃっかんの寂しさはあった。この第一声だけで、ひゃっほー! うきき、と声があがるのを心の奥底では待っていたのだろう。

「ミシマガを、デザイン、システムともに一新。もっともっと、読みやすくて、使い勝手もよくて、温かな場にしたい。具体的には・・・」

 まくしたてるように語った。「はっきりと見えた(気がした)」日以来、こんこんと湧き出る泉のように、アイデアがあふれるように出ていた。この間、最終的にデザイン監修をお願いすることになる寄藤文平さんからも、雑談のなかでヒントをたくさんもらっていた。

 そのひとつひとつを、順序だてて、しかし、必ずしもそうは行かず、ある一言に触発されて出てきたアイデアに飛躍してはまた戻り、ときにそのまま進み、といったふうに語りに語った。

「ついにスマホでも読めるようにします」

「カレンダー形式をやめようと思う。1本1本が、パソコンであれ、スマホであれ、もっともっと読みやすくしたい。毎日、思わず読みに行きたくなるようなウェブ雑誌にしたい」

「将来的には、僕たちと同じような気持ちでものづくりをしている人たちとも、ミシマガを介してつながっていきたい」

「1カ月とか3カ月間とかだけ掲載して、それ以降は読めなくする。いまのサイトは情報量が多すぎる」

「サポーター専用ページもつくりたい」・・・

  実現の可否を問わず、このリニューアルという一歩が、まだ見ぬ未来をいかに切り拓くか。その可能性すべてを、思いつくだけ共有した。

 時間にしておよそ25分。

 語り終わり、全員の顔を見る。

 かたい。

 一様にかたい。

 ひゃっほー、うきき、どころではない。

  不安を払拭するためにも、「どうでしょう?」と声を発した。そうしないではいられなかったのだ。

 ・・・(無言)。

 おいおい、どういうことや。全身全霊かけて発表したというのによ。と内心思った。

 そのとき、最古参であるワタナベがおもむろに口を開くのがスカイプ越しにもわかった。

「まずですね」

 と言ったのち、「そのリニューアルは誰がどういうふうにやるか、という問題があるわけです」とつづけた。それから5分ほどかけて、今ついてくれている読者がはなれる、運営がむずかしくなる、お金のやりとりが発生するなら仕組みがたいへん、etc.一式を述べた。リニューアルの「中身」には触れることなく。リニューアルにともなう、周辺部分の面倒くささ、たいへんさばかり羅列したわけだ。要は、新しいことするとまた仕事増えてたいへん、このままでいいんじゃないんっすか、ということだろう。

 私はそれを聞き、見て、確信した。

(これは絶対にうまくいく)

 その確信とともに、みんなに言った。

「わかりました。来年4月リニューアルをめざしましょう!」

 思えば、私が全力で何かを提案するとき、ワタナベは全力で反対のことを言ってきた。

 創業間もない頃からそうだった。

 直取引での営業を開始する。そのためには、専属の営業メンバーが欠かせない。ワタナベは、そのタイミングで入社した。つまりは、ミシマ社の営業を一身に背負ってもらう。そういう大役を担っての入社であった。

 実際のところ、倉庫会社選びから、システム導入、運送会社の手配、各書店へのあいさつなど、彼とともにおこない、決定していった。

 そうして2007年6月に、いわゆる書店との直取引による営業が開始した。煩雑きわまりない営業事務の作業を彼がすべて担ってくれた。間違いなく、直取引による営業が可能になったのは彼のがんばりのおかげである。

 ところが、いわゆる外回り、書店さんで自社の本を案内し、注文をもらう。その行為が圧倒的に少なかった。運転資金も尽きようかというなかでの自社営業開始だったのだ。 一店でも多く、一冊でも多く注文をもらってきてほしい。いや、そうしないでは会社がもたない。その日その日の営業結果がダイレクトに会社の経営に直結する。裏を返せば、その行為なしには経営はなりたたない。

 来月、この部屋の家賃を払うためにも、無事に次の本が出るためにも、いまこの瞬間、本が届かないことには始まらないのだ。

 けれど・・・。

 狭いワンルーム・オフィスのパソコンの前に、ワタナベはじーっと日がな座っていた。

 ある日、私はたまりかねて言った。

「なべやん、営業行こうよ」

 ワタナベはパソコンの画面からほんのすこしだけ顔をずらし、けれど、こっちをはっきり見るわけでもなく、ぽつりとこう言った。

「営業、行きたくないんっすよ」

(・・・・・・)

 私は無言で鞄をもって外へ出た。もはや編集をしているどころではなかった。自分で営業をするしかない。

 部屋を出る前、ちらりと後ろを振り向くと、静止画のようにかたまったワタナベの顔がパソコンのバックライトを受け青白く浮かんでいた。

 ずいぶんと若かった。と今は思う。

 あの頃の私にはどこか、ITベンチャーを立ち上げたような気分があったのかもしれない。シリコンバレーのガレージの片隅から、世界をびっくりさせてやるぜ。そこまでは行かずとも、優秀なプログラマーだかエンジニアだかと一緒に、誰も気づかないおもしろいことに向かって夢中になる。そんな時間を過ごしたいと思っていたところはあっただろう。

 たとえば、ぼくが「ア・ハ」と言えば、同僚が「ン・フ」と答える。たったそれだけのやりとりの間に、世界が変わるような製品が生まれている。

 そんな夢をどこかでまだ見ていたのかもしれない。

 が、現実はちがった。

 ぼくが「ア・ハ」と言えば、同僚たるところのワタナベが「いいえ」と返す。ぼくが「ン・フ」と言えば、「はぁ?」と言った表情をされる。しまいには、無言でぼくが彼の営業の仕事までする。

 同じ谷(valley)でも、SiliconとLibertyではずいぶん仕様が違ったようだ。

 だけど、振り返って思うに、あれほど噛み合わない二人だからこそ、ミシマ社の12年目をこうして迎えることができたのだと思う。

「こうして」というのは、どんどん面白くなっている実感がある。この5年間だけで言っても、毎年数百人ものサポーターの人たちが集まってくれてミシマ社の活動を支えてくださっている。10年前には想像もしなかった「おもろい」ことが現実となっている。

 その原点が、ワタナベとの「二人出版社時代」にあったと思う。まあ、2007年3月から6月までの3カ月ほどの期間ではあるが。

 創業期という、とてつもなく大変な時期に、ワタナベとぼくは長いゴムを互いの腰に巻きつけ、正反対のほうへ向かって走った。

 ぼくが全力で山を登ろうとするとき、ワタナベは全力で下へ向かって走り出す。ぼくが海へ向かって走り出せば、ワタナベは陸のほうへダッシュする。

 そうして気がつけば、そのゴムは少しずつ大きな楕円(注1)をかたちづくっていった。二人が逆方向に引っ張りあったおかげでスペースが広がり、いろんなことやものや人がその楕円内に入ってこれるようになった。もしワタナベがぼくと考え方や行動パターンが同じタイプであったなら、その考えを中心としたきれいな真円ができていたかもしれない。けれど、その真円のスペースは今よりずっと限定的で、その真円の思想以外のものが入りづらいものだっただろう。

 何かが始まるとき、あるいは重要な局面で、ワタナベが全力で反対方向へと走り出す。

 これぞ、創業以来のミシマ社の「かたち」、なのだ。

 おそらく、アントニオ猪木における卍固め、昔のオランダ代表におけるトータルフットボール、広島東洋カープの足でかき回す野球、といったようなものだ(ものすごく良く言えば)。

 ただし、こうした決め技、得意技はいつでも出せるわけではない。くり出すときには、多大なエネルギーと気力と体力を要する。まさに心技体が一致したときにだけ、可能となる。

 実際、この日の発表で私はくたくたになった。くり出す意思があって出したわけではなく、結果的にそうなっただけだから・・・。

 いずれにせよ、これがミシマ社の「かたち」。ということに、リニューアル発表のこの日、初めて気がついた。


 だから、ミシマガ・リニューアルを発表したときのワタナベの反応を見て、聞いて、内心、「よし、きた!」と思った。久しく味わっていなかった感覚がよみがえってきたのだ。

 さすがに10年が経ち、ワタナベもそうやすやすと営業を否定することもなくなった。むしろ、若いメンバーを束ね、営業の大切さを滔々と説く立場になっている。事実、そうしてくれている。そのおかげで、ミシマ社の本が確かにいい感じに回り出している。そんなふうに感じていた時期でもあった。

 それだけに「んもう! 復活かよ」と多少は思いつつも、これできっとうまくいく、というふうにも思ったのだ。

 やっぱり新しいことをするときは、こうでなくっちゃ。

  2018年4月1日正午。

「みんなのミシマガジン」は全面的リニューアル(注2)をして、再スタートを切った。

 当日は、サポーター(注3)の方々にもミシマ社京都オフィスに集まってもらった。リニューアル更新の瞬間を「5、4、3、2、1」とカウントダウンをして迎えた。月替わりのトップ画面のバナーがそのときの様子だ。

 その写真のなかには、お気づきの方もいるだろうが、いしいしんじさん、バッキー井上さんがいる。そして、我がワタナベもいる。その顔にはもう、バックライトは当たっていない。


(注1):「楕円」は、平川克美さんの『21世紀の楕円幻想論』からきた言葉です。ふたつの焦点があることで楕円はできる。真円になろうとしがちだが、目指すべき社会は、楕円である、ということがさまざまな角度、そして実践例とともに書かれている。この本抜きに、「これから」を語ることはできない、と個人的には感じている。

(注2):ミシマガリニューアルの方針については、こちらをご覧ください。

(注3):サポーター、絶賛募集中です!

三島 邦弘

三島 邦弘
(みしま・くにひろ)

1975年京都生まれ。 ミシマ社代表。「ちゃぶ台」編集長。 2006年10月、単身で株式会社ミシマ社を東京・自由が丘に設立。 2011年4月、京都にも拠点をつくる。著書に『計画と無計画のあいだ 』(河出書房新社)、『失われた感覚を求めて』(朝日新聞出版)、『パルプ・ノンフィクション~出版社つぶれるかもしれない日記』(河出書房新社)、新著に『ここだけのごあいさつ』(ちいさいミシマ社)がある。自分の足元である出版業界のシステムの遅れをなんとしようと、「一冊!取引所」を立ち上げ、奮闘中。 イラスト︰寄藤文平さん

編集部からのお知らせ

今週末から来週にかけてミシマ社代表 三島邦弘が登壇するイベントが開催されます。ぜひ足をお運びください。

さくらマルシェ2018
三島が《特別企画2》オムライスラヂオ に出演します。

■日時:2018年4月7日(土)・8日(日)10:00〜16:00
■場所:奈良県立図書館情報館 南側庭園前&2Fエントランス

詳しくはこちら


小倉ヒラク×藤本智士×三島邦弘 「発酵と魔法 『ちゃぶ台』公開企画会議」

■日時:2018年4月9日(月)19:30~(開場19:00)
■場所:恵文社一乗寺店
■入場料:1,500円(税込)

■お申し込み方法:
ウェブご予約フォーム、もしくは恵文社店頭、お電話:075-711-5919 にて承ります。

詳しくはこちら

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